第23話
それでも、シュカは額を肩へと預けて擦り寄ってくる。そうした態度を引き出せていることに、わずかなりとも安堵してしまっていた。
「いちいち、突っかかってごめんね」
「いいよ。気にしてない」
「……私もよくないって分かってるんだけど、若宮さんと仲が良いのは本当に気になる。前も言ったけど、健斗さんを信用していないわけじゃないよ。私の問題」
「何を思ってるんだ?」
「嫉妬してるだけ」
言動から、感受するものはあった。けれど、言葉にされると衝撃があるものだ。
どくりと心臓が鼓動を上げた。それはシュカにも届いてしまっていたかもしれないが、シュカが気にした様子はない。それどころか、擦り寄ってくる力がいくらか増したほどだ。
「どうして欲しい?」
「十分してくれてるよ。健斗さんが私と時間を使ってくれてるのも、一緒にいてくれているのも分かってるから、十分」
「本当か?」
「本当だよ」
答える声に起伏はない。胸元に擦り寄られているものだから、具合が的確に受け取れなかった。
そう尋ねたのだから、そう返ってくるのは変じゃない。それでも、かすかな違和感はあった。ただ、これ以上探る方法が見つからない。シュカを胸に抱きしめておくことしかできなかった。
「……ねぇ、健斗さん」
しばらくして、窺うような声が囁く。縋るよう、と感じたのは、直感でしかない。だが、それを感じ取れただけ、俺の感性は正しかった。
「なんだ?」
「健斗さんは、嫉妬する?」
改めて言われたことに驚いた。俺の行動はあからさまだったはずだ。ナンパ男たちを蹴散らしてもいる。今日だってかなり……と考えたが、これは俺の内心の話だ。
話してもいないことがシュカに通じているなんて、傲慢甚だしいだろう。
「するに決まってるだろ。じゃなきゃ、ナンパを追い払わないし、」
「ないし……?」
そこで区切ってしまったことは、にわかに気まずい。素直に伝えるべきなのは分かっている。だが、同級生相手に狭量なことを口にするのは、自分の不甲斐なさが際立って、語尾が濁った。
しかし、そんな分かりやすい態度が、二人きりの状態でうやむやになるわけもない。物音ひとつないのだから、取り零すほうが難しいだろう。
「……今日、シュカが他のやつらと仲良くしてるのも、快く思えなかった」
嫉妬心を剥き出しにするのは、どうも具合が悪い。これもまた、自分の落ち度が原因なのだろうか。それとも、得てして恋愛中というのはこういうものなのか。
小声の俺に、シュカが瞠目する。
「そんなに……?」
「だって、シュカはこっちの人間を俺しか知らなかっただろ。俺以外と接してれば、他にいい人がっ」
言い切るより前に、シュカの手のひらが口元を覆ってきた。面食らって呼吸を飲み込む。シュカは目を尖らせていて、飲み込んだ空気をごくりと嚥下した。
「どうしてそういうこと言うの」
睨み上げられて、こっちが瞠目する。
心の中がぐちゃぐちゃに引っ掻き回された。それなりに感情が伴っていることは、気がついていた、はずだ。だが、こうも攻撃的に否定されるとは思わなかった。
無心で睨みつけ続けられる。口は封じられているので、俺は厳かに顎を引いた。シュカはそれを見てから、ようやく手のひらを離してくれた。
「ごめん」
「私、健斗さんしか見てないでしょ? 盲目だって、若宮さんだって言ってた」
言い切って、唇を噛み締められる。ぎりぎりと心臓を握り潰されるようだった。触れるだけだった抱擁を強くする。身体の線がはっきりと分かるほどに抱きしめた。
「ごめん。ありがとう。心狭くてごめんな」
「そうじゃない」
「うん」
「分かってる? 私、健斗さんと結婚するの」
「分かってるよ。俺だって、シュカしか考えられない」
「……分かってるなら、いい」
「ありがとう、シュカ。俺のことを想ってくれて」
それ以上に、納得していることを伝えるすべがあっただろうか。
シュカはこくこくと頷いているのが、首筋に触れている肌の感触から伝わってきた。愛おしくて、その細身の身体をぎゅうぎゅうと抱きしめる。ふーっと零した吐息が、シュカの耳を撫でたようだ。
「んっ」
ぴくっと震えられて、息を止めた。
「わるい」
「……ううん、へいき」
咄嗟に顔を離して目に入れたシュカは、一気に耳まで真っ赤になった。くすぐったいだけではなく、喘ぎと呼べる類の声音だったと気がついて、こっちまで耳朶が熱くなる。
それを目視したのか。恥ずかしげなシュカが、視線を泳がせた。
「そ、そろそろロッジに行かないと、消灯時間も来ちゃうし、誰かに見られちゃうよね」
「見られるのはいいけど、消灯時間はな」
「え、いいの?」
「なんで?」
「……若宮さんに、気をつけるみたいなことを言っていたから」
「そりゃ、あんまりシュカのことを他人に知られたくないし、過度に変な噂になって絡まれたくないから」
俺としては当然のことだったが、シュカはぱちくりと目を瞬く。
「……変なこと言ったか?」
「ううん。嫌なのかと思ってたから」
「そんなことないよ。ごめん。嫌な思いさせたな。ちゃんと話せばよかった」
「ううん。いいの。そっか。いいんだ」
ふにゃっと笑われて、大息が零れそうになるのを押し留める。これを噛み締められるってことは、シュカだって知られることに嫌気はないということだ。それが胸に差し迫って、感情が揺れ動く。
もう、言ってしまえばいいのではないか。その感情も擡げていたが、こんな物陰で初めてを伝えていいものか。覚悟を決めた分、そんな奇妙な言い分を打ち立てていた。
「でも、本当にもうそろそろ行かなきゃね」
「いつまでもこうしてるわけにもいかないしな」
「……変な感じ」
「何が?」
首を傾げると、シュカの頭がその角度の隙間に擦り寄ってくる。懐いて腹を見せる猫みたいだ。無意識に髪を撫でた。
「今から寝るのに、健斗さんと離れるのなんて変だよ。こっちに来てからは、ずっと一緒だったでしょ? 私、今日眠れるかなぁ」
何気なく言う。だが、思えばシュカがこっちに来てからは、ずっと二人で眠っていた。気恥ずかしくてどうしようもなくなった昨日も、吐くほど緊張した初日だって、欠かさず隣にいた。
そう思うと、シュカが零した不安は、俺のほうにも伝染してくる。
「確かに。俺も変な感じだ」
「健斗さんはずっと一人で眠ってきたでしょ?」
「そりゃ、シュカだって一人で眠ってこなかったわけじゃないだろ?」
「こっちでは、健斗さんがいなかったときなんてないよ?」
「……そうか」
こっちに来てから、あっちでは。こういう話の仕方は、俺たちの中で自然になっていた。
だが、こうして強調されると、シュカが一人で知らぬ世界に飛び込んでいることを思い知らされる。甘酸っぱいことだけではなく、思ったより深刻な話でもあるのかもしれない。
「大丈夫か?」
ゆっくりと頭を撫でながら、声をかける。
思ったより、の思った具合が分からないので、中途半端な問いかけになってしまったのはみっともない。それでも、シュカは十分だったのか。こくんと顎が引かれる。
「心配だけど、しょうがないもん。頑張る」
「頑張らなくていいから、力抜いて横になるんだぞ」
「ふふっ。そっか。健斗さんもゆっくり休んでね。今日は体調を崩してるんだから」
「うん。ちゃんと休むよ。明日はもうちょっと長く一緒にいられるだろうから、あんまり気に病むなよ」
「天文台、楽しみ」
「俺もだよ。楽しみにしてて」
「……うん」
天文台と婚約者の組み合わせだ。シュカだって、何も考えていないわけじゃないだろう。柔和な相槌の甘い行間は、俺の勘違いではないはずだ。
そんなもの、もう言ってしまったも同然で、改める必要性があるのかすら疑問だった。けれど、こうして約束のような会話をしている以上、それを今ここで破るほどに野暮ったいことはしたくない。馬鹿みたいなこだわりだ。
それでも、このしっとりとした空気を裂くつもりはなかった。シュカも同じなのか。無駄口を叩くつもりはないようで、そのままそっと身を離す。
空気を飲み込みながら、シュカの手を引いてロッジまで送り届けた。
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