第22話
「あのさぁ」
一段落。甘酸っぱいような落ち着いたような雰囲気が流れていたところに後ろから声をかけられて、びくりと肩が跳ねた。
ロビーのような場所にあるソファに背もたれはない。後ろから近付くことも簡単で、そこにいたのは結羽だった。それも、呆れたような顔でこちらを見下ろしている。結羽はそれほど背が高くないので、こうして見下ろされるのは稀な構図だった。
それにしても。
「何だよ、急に。ビビった」
はぁと息を吐き出すと、隣でシュカも同じように一息吐いていた。ジャージ姿でも胸は目立つんだよなぁ、と考えていたのは馬鹿極まりない。
「あんたたち、もう少し、周りに注目されてるって自覚したら?」
「それくらい自覚してるよ」
俺との婚約者というパッケージがなくたって、シュカだけでも留学生として注目されている。そうでなくても、シュカは可愛い。美少女だ。そういう意味でも視線を集めていた。自覚はしている。苛立ち半分に。
「嘘じゃん。だったら、そんな実家とか気になる話をこんな場所でぽろぽろする? 周り、めっちゃ聞き耳立ててるよ」
言われて初めて、周囲の様子に気がついた。
シュカと二人で話していると、ついつい二人だけのノリで過ごしてしまう。以前ならそんなこともなかったのかもしれないが、今となっては自然なことだ。同棲の余波はこういうところにも出るものらしい。
「まぁ、いいんならいいんだけど? 惚気?」
「別に惚気てはないだろ」
「だって、実家に一緒に帰るとか、いかにも婚約者アピールなのかと思って」
「アピールしなくたっても、私たち婚約者ですよ」
「それを周りに言いふらしたくて仕方ないのかと思って?」
「健斗さんはアクセサリーじゃありませんよ」
真っ直ぐに答えているのだから、皮肉のつもりはない、はずだ。しかし、痛烈な物言いだ。結羽に俺を貶めるつもりなどなかっただろう。シュカと張り合っているだけだ。
「なんでそんな発想が出てくるかな?」
「若宮さんが言いふらすだなんて言うからじゃないですか。確かに、健斗さんは自慢ですけど、必要以上に外へ出すつもりはないですよ」
「やっぱ、惚気じゃん?」
俺にもそう聞こえる。ただ、これは結羽の誘導もあるだろう。シュカは黙って首を傾げていた。
「シュカさんって盲目だよね」
「盲目??」
シュカの語彙力がどれくらいのものか。俺はもよく分かっていない。元からある程度通じていたものだから、半端になってしまっている。ぶつかったときに教える方向に舵を切っていた。
「健斗のことしか考えてないってこと」
「そんなことないですよ。色々考えてないと、大変だし」
これは天然なのか。
俺と話しているときには、あまり食い違いを感じたことはない。ただ、こうして外から話を聞いていると、ちょくちょく妙な間合いを感じる。結羽との相性がよくないのかもしれないが。
「……健斗ってシュカさんと話できてるの?」
「何の問題もなく。お前が変な絡み方するから、会話が変なことになるんだろ」
「そんなに変なこと言ってないじゃん」
「絡んではいるんだろ。俺とシュカのことは放っておけよ」
「だって、会話に入ろうと思ったら、突っ込まないとどうしようもないじゃん」
「もうちょっと他のやり方を学べよ」
翔もそうだが、絡んでくる方法を軽々しく採っているような気がする。俺たちが真っ当に相手してしまっているからなのだろうが。
「いやぁ、健斗が面白いから」
「面白がってんじゃねぇよ」
「シュカさんが関わると健斗は面白いよ?」
「健斗さんが?」
面白いと評されている部分がどこを指し示しているのか。自覚的な部分は、感情面しかない。俺のシュカに対する態度が他の誰とも違うから。だから、結羽も翔も面白がっているのだろう。それを直接シュカに伝えるのは、むず痒い。
覚悟を決めたくせにこのざまなのは、人目が多過ぎるからということで収めたいところだ。明日、天文台で人がいない保証もないのだけれど。
「そうだよ。シュカさんと一緒にいるときの健斗は変」
「変……健斗さん、我慢してる?」
「してないって話しただろ? 結羽も変とか言うな」
「だって、慣れないんだもん」
結羽の言いたいことはなんとなく分かる。シリアスなわけじゃない。意外性があるとか、そういうことだろう。
だが、結羽の言葉を聞くシュカは、どこか思案げだった。要らぬ不安を掻き立てているような気がして、こちらまで胸がざわつく。
「当たり前。婚約者と友達が同じ態度なわけないだろ。絡むな」
「かっこつけたいってこと?」
「かっこつけたいし、優しくしたいし、大切にしたいってこと。もういいだろ。ほっとけ。シュカ、そろそろロッジに戻るだろ? 行こう」
そんな話をしていたわけじゃないが、時間はちょうどいいころだ。結羽を邪険にして手を振ったそれをシュカに差し出した。
「敵前逃亡」
「しつこいぞ。お前がそういう絡み方するからだろ? 何をムキになってんだよ」
「そりゃ、友人の扱いが雑過ぎる人の特異な態度見てたら気になるじゃん。翔だって同じようなものでしょ? まぁ、もう惚気ばっかりって分かったからいいけどさ……」
「それでいいよ」
「ちょっと周りを気にしろってのはマジだからね」
「分かってるよ。心配してくれてありがとう。おやすみ」
「おやすみ」
人目の件は、俺が気にすることを分かっているからだろう。そこにはお礼を言って、席を立つ。シュカは視線を俺たちの間を往復させていたが、俺が立ったところで慌てて手を取ってきた。
「おやすみなさい、若宮さん」
俺と結羽の会話に疑問があるというか、引っ掛かっている部分があるのだろう。
状況についてこられていないらしいが、辛うじて挨拶をする思考力はあったようだ。それを耳に留めながら、シュカの手を引いてホールを出る。
周囲の目が、ざっとこちらを追ってきていた。結羽の言うように気になるし、気にしておきたいところではある。
婚約者であることが伝わっていることに文句はない。だが、度を超した噂になりたいわけでもなかった。
この辺りも、シュカがどう思っているのか分からない。隠そうという気はないだろうが、話しておかなければならないことがある。ずっと後回しにしてきたものが、今になって追いついてきたのかもしれない。
「健斗さん? 若宮さんにあんな雑な態度で良かったの? 友達でしょ?」
「シュカは結羽を気にしてたんじゃなかったのか?」
「気にしてるけど、それとこれは別じゃない? 仲違いすればいいとは思ってないよ」
「大丈夫だよ。結羽とはあんなもんだから。……それより、変っての、やっぱり気にしてるんじゃないのか?」
自意識過剰かもしれない。それでも、気になった箇所を無視はできなかった。出てきたのは送り届けたかったのもあるが、その辺りを詰めたい気持ちのほうが大きかった。
不安にさせたくはない。結羽に伝えたことは、面倒くささに投げつけたわけではなかった。
シュカはしょぼんと目を伏せる。ブロンドが顔の横に垂れてきて、表情が読めなくなった。詰まるところ、自分が不安になりたくないだけかもしれない。
横から手を出して、垂れた髪を耳へと引っ掛ける。シュカがその動きにこちらへ目を向けた。俺はそのままシュカの手を引いて、建物の陰に入る。褒められた行為じゃないだろうが、シュカは屈託なく従ってくれた。
正面から見据えると、シュカはまたぞろ緩く目を伏せる。
「……シュカ、気にしてるなら言ってくれよ。俺は我慢はしてないし、その話は一度したよな?」
「分かってるよ。でも、変だって言われると、変なことさせてるのかなって」
「結羽は俺が友人として接しているところしか見たことないから、妙な感じってことなんだと思う。変ってのはそういうことで、シュカが俺を変にしているなんて言ってないよ」
変にはなっているだろう。俺はしょうもないことでドギマギしているし、下着の件も脳内から剥がれていかないし。これを変と言うのなら、変だ。熱に浮かされていると言えばその通りで、結羽の感覚としては間違ってもいなかった。
でも、俺はこれを認めているし、悪いとは思っていない。
「本当? 健斗さん、無理してない? 砕けてって言ってからも、あれ以来はそんなに砕けたりしてないと思うし」
「砕けてないって……」
シュカの中で砕けるの代表例は結羽なのだろう。それは否定しないが、友人と婚約者で砕けるところは違ってくる。
苦笑してしまった俺に、シュカは背中を丸めた。怒っているつもりはないし、責めているつもりもない。この異常な反応はなんだろう。俺の感情に対して、何か抱えていることがあるのか。
……心当たりがまったくないわけではないところが、自分の惨めさを浮き彫りにした。
シュカの髪に触れて、そっと梳く。毛先に唇を落とすと、シュカは目を丸くしていた。薄暗い物陰の中で、エメラルドが輝いている。
「婚約者に砕けるってのは、こういうことができるようにことだって思ってんだけど。ダメか? 砕けてるだろ?」
「そんなの、知らない」
だろうな。肝心なことを言っていないのだから。きっと、すべてはそこに繋っている。
「ごめん。言っておけばよかったな。他の誰にもこんなことしないし、ハグだって、それ以上だって仄めかしもしないって伝えただろ? 先々のことも含めて、砕けてるよ」
凍結したままの話を口にした。シュカの頬に桃色が刷ける。
「……そういうもの?」
「そういうもの。少なくとも、俺はそのつもりだった」
そう言って、髪の毛を手放してシュカを抱き寄せる。片手を背中に添えるような形ではあったが、ハグはハグだった。
「そ、っか」
こくんと頷くシュカが、芯から納得しているのかは分からない。
やはり、始まりがズレていることが尾を引いているのだろうか。目を瞑っているつもりはなかった。分からないなりに、アンテナは張っている。それでも、本心だけはどうにもならない。
ただでさえ見透かすことは難しいだろうが、俺たちは肝要な基盤を確認し合っていないのだから、尚のことだろう。
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