第六章

第24話

 そよそよと涼しい風が髪を梳いていく。ブロンドが水面を反射して、キラキラしていた。森林の中にある河原は清々しい。

 シュカと二人、河原のそばに腰を下ろして、涼んでいた。


「いいところだね」

「あっちに比べれば、平凡だろ?」

「健斗さんはあっちをよく褒め過ぎなの。こっちの田舎のほうがよっぽど雰囲気がありそうだったよ」


 田舎の話をした後、写真集を借りて眺めている。

 そりゃ、こっちにだってあっちと同じくらい自然の溢れるいい環境はあるだろう。ただ、シュカがこっちの田舎に見出している印象は、あくまで写真におけるものだ。綺麗なところを取り出している、なんて露悪的に言うつもりはない。けれど、写真集にするような風景なのだから、雰囲気もあるだろうという感じだ。

 苦笑いをする俺に、シュカは唇を尖らせた。


「何? 贔屓してるだけってこと?」

「そうは言ってないだろ。でも、実際あっちは手の入ってない自然ってのが結構そばにある生活だろ? 今更、新鮮味はあるものか?」

「あるよ。健斗さんもいるし」


 こういうところだよなぁ、と目を眇めてシュカを見る。

 なんてことのない平板な顔で、けろりと俺の存在を仄めかした。それがどれだけ嬉しいことなのか。気がついていないってことはないと思うのだが、それにしても、さっぱりとしている。

 照れるときは盛大に照れるので、意識していればこうはいかないと思うのだが。


「シュカはこっちを楽しんでるよな」

「楽しいよ。面白いことがたくさんあるし。緊張感がないってこともないけど、こうやって休める時間もあるし」

「休めてるって思えてるなら、良かった。疲れてるときは、無理しなくてもいいんだからな。家事とか」

「健斗さんにだけ任せられないでしょ」

「シュカはこっちに来てるってだけで負担があるんだから、そこまで気にしなくていいよ。シュカが大変なときは助けるし、それが家事ってだけ」

「そうかなぁ?」


 生真面目だし、律儀だ。それはこういうところでも如実に出る。

 自立心があることは尊敬するところだ。だが、頑なである必要はない。シュカが学業に苦労しているのは、身近で見ていて分かっている。息を抜くときがあったって、何の罰も当たらない。


「甘えていいよ」

「……甘えてるけどなぁ」


 合宿中はジャージだ。だからか、気兼ねのない体育座りの膝に顔を寄せて、のんびりと漏らす。垂れた髪の毛を飾るのは、いつも通り俺の贈りものだった。

 肩肘など張っていない。意地を張っているわけでもなく、気を回して言っているわけでもなさそうだ。

 甘えているところなんてあるだろうか。

 しっかりしている異世界人という印象は拭えない。脱力しているところも休んでいるところもあるけれど。基本的には頑張っている子だ。

 そうして考えていたことが透けていたのか。シュカは眉を下げて、はにかむように笑った。距離は近い。指先が当たり前のように伸びてきて、ジャージの裾を引かれた。


「こういうのって甘えてるでしょ?」


 ぐわっと感情が上ってくる。甘いというか、過激に等しい。額を押さえて、大息にならないように意識して息をゆっくりと吐き出す。


「ダメだった?」


 そんなわけねぇだろ、と直情的にぶつけて、同時にやめてくれとさえ言い出しそうな乱暴さが渦巻いていた。

 息を漏らしながら距離を詰める。肩がぶつかるような距離へ近付けば、シュカは俺の行動を見つめていた。


「ダメなら許してないよ」


 腰に腕を回すと、シュカはぱちくりと大きく瞬いてから、目を細める。それから、肩に頭を預けてきた。こうしたスキンシップが自然だ。俺だって躊躇はないし、シュカも懐いてくれている。


「甘えてるでしょ?」

「甘えてんの?」

「甘えてるよ」

「俺も甘えてるからおあいこだな」


 預けられている頭へ、こちらも頭を傾けて寄り添った。

 シュカがふふっと声を出して笑う。こうまで許容されてしまうと、もうなすすべがない。自分のほうが、よっぽどシュカに甘えているような気がした。

 それは、肝心なことを口にしないままにここまで来たことも含めて、だ。


「健斗さん、ここでのんびりしているだけでいいの? 運動とか、公園に行ってみるとか、色々やりたいことあるんじゃない?」

「それはシュカじゃないのか? 行きたいところがあるなら移動しようか」

「じゃあ、ちょっとだけ。スポーツ施設のほうに行ってみたい」

「運動好きだよな」

「あっちじゃ、野山を駆け回る以外の遊びもないしね」

「読書も好きでしょ?」

「入手に枷があるもの。こっちじゃ、ほとんど無尽蔵に読めるも同然で楽しくって仕方ないけどね。こっちのスポーツにも興味はあるよ」

「今度、アミューズメントパークとかそういうところに行ってみるか?」

「試験が終わったころくらいじゃないと暇ないかも」

「現実」


 シュカは地球に幻想を抱いているところがある。ロマンチストだ。だが、頭がお花畑なわけではない。やるべきことを見定めている。リアルな予定表に苦笑が零れた。

 そうして話しながら、河原から立ち上がって歩き始める。シュカの手を取ってエスコートすれば、シュカは俺に甘えてくれた。

 そのまま、手を繋いでスポーツ施設へと移動する。通りがかる生徒に、度々目を向けられるが、知ったことではなかった。

 シュカが気にしないことは、昨日言質をもらっている。こちらも尻込みすることはないので、毅然と道を進んだ。




「仲間はずれにされたみたいに、何を黄昏れてんのよ」


 バスケコートのフェンスに背中を押し当てて、ゲームを眺めていた。

 隣にひょっこり現れた結羽の言い草は、なかなかのものだ。俺には何を言っても許されると思っているのではないだろうか。長年の友人関係で砕けていると言えばそれまでで、気にも留めていないのだけれど。

 シュカが気にするのはこの砕け方なんだと思うと、思うところも出てくる。単純極まりなかった。


「休憩してるんだろ」


 言いながら、手にしているペットボトルを振る。それだけを答えると、俺は結羽から視線を剥がしてゲームの行方に目を向けた。


「休憩ながら婚約者を視姦してる、と」

「口に気をつけろ」


 頭を手のひらで掴まえて力を込める。暴力は暴力だろうが、俺の握力などさしたるものではない。せいぜい、絞められているような気がするくらいのものだろう。


「違うの?」

「懲りないのか?」


 確かに、シュカを見ていた。だが、視姦などという卑猥な目をしていたつもりはない。

 運動神経のいいシュカの動きは見ていて気持ちが良かっただけだ。当然、婚約者としての贔屓目もある。だが、視姦などに区別されるようなものではないはずだ。

 自覚なくそんな顔をしていたとなると、俺はマジの変質者なのでヤバい。


「まぁ、言い過ぎたけど。でも、見てんのは事実でしょ」

「……大活躍だからな」


 言い訳がましいのは、どう考えても言い訳だったからだ。分の悪さに、手を引いた。


「シュカさん、運動得意だよねぇ。体育のときも時々すごいプレーしてるし」

「そういえば、お前のクラスと体育一緒だっけ。女子は今、何やってんの?」

「バレー。サーブでサービスエースも多いし」

「高校の授業じゃ、シュカだけじゃなくてもできる子はいるだろ? ミスだってあるだろうし」

「それはそうだけどね。でも、パワー押しって感じだったから」

「そんなに?」


 日常生活でシュカの力が強いと思う場面はない。ハグや何やと触れ合うことも多いが、そういうときに全力を出さないだろうし、他に気がつける要素はなかった。

 そういえば、ジャムの瓶でも何でも簡単に開けているかもしれない。普通に開けていたので硬くなっていないのだろうと思っていたが、力で押し切っていたのだろうか。


「知らなかったの? シュカさんとはもう長いんじゃなかった?」

「お前ほどじゃない」

「へぇ? その割には、随分打ち解けているように見えるけど」

「そりゃ、一緒に過ごしてるからな。打ち解けるもんだろ」

「それって、高校になってからでしょ? それより前は?」

「あっちとこっちだし、そんな濃密ってわけにはいかないだろ」

「ああ……そっか。ていうか、そんな外国との繋がり? があったの知らなかった」

「親経由だからな」

「……政略じゃないんだよね?」

「それはもう否定しただろ」


 表層だけをなぞれば、そう取りまとめても相違はない。だが、今となっては明確に違う。少なくとも、俺の心情としてはそんなつもりは欠片もなくなっていた。


「そうかぁ」

「そうだよ。じゃなきゃ、お前が見たことないことするわけないじゃん」

「何それ」

「長年一緒なんだから、もう大抵の顔は見てるだろ」

「健斗もいつの間にか男になってたんだなぁ」

「からかうんじゃねぇよ」


 知らない顔がそこだけ、というのはどうにも渋い。

 俺たちの間の風通しはよかった。それでも、シュカのことでは秘密を持っている。仲違いとは言えないが、距離はできたと言えるのかもしれない。だからって、結羽に心付けをする気はなかった。

 だが、そういう点で、結羽はムキになっているのかもしれない。そう、ここまでのシュカのへ態度の一端を察することはできた。だから妥協できるかと言われると話は別だが。

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