第20話
夕食は飯ごう炊さんだ。カレーを作るのは、学生にとっては定番の行事だろう。だが、高校で初めてのそれには、それぞれテンションを上げているようだった。
何より、シュカにとってみれば、すべてが初めてのことだ。楽しそうに手を出しているようだった。
料理は身についている。カレーなら一人きりでも作れるものだから、お手伝いも何のその。むしろ、かまどを使った調理は、シュカの出番と言ってもいい。あちらには、ガスコンロもIHもないのだから、慣れ親しんだ環境だ。
おかげさまで、シュカは引く手あまたになっていた。友人たちと話しながら、奮闘している。
楽しんでいるのならば、それでいい。そう思う心があるのは、嘘ではなかった。シュカが地球で楽しんでいると、それだけで嬉しい。わけもなく自慢したくなるような心地だ。
だが、と視界の隅でシュカを追いながら、胸が騒ぐ。自信のなさに幻滅しそうになった。堪えきれずに、ため息が零れる。
「お前、大丈夫かよ」
頭上からかけられた声に目を上げると、翔が腰に手を当ててこちらを見下ろしていた。こちらと目が合ってから、翔の視線はシュカの方向へと流れる。
「もう体調はよくなった」
「そうじゃなくて。シュカちゃんに放っておかれて寂しい~ってか?」
「……そんなことはない。楽しんでるなら、それでいい」
「言い訳するようなことか」
しれっと言われて、ため息が零れる。誤魔化しきれない。というか、翔はそうだと決めつけているようだった。ムキになるのもアホくさいし、自分の傷口を広げるだけだ。しかし、そうした姿勢で翔に反抗できるわけもなかった。
「そんなに気になるなら、シュカちゃんのところへ行ってやればいいだろ。シュカちゃんだって、健斗に声をかけられたらすぐこっちへ来るだろうに」
「束縛するつもりはない」
「したい気持ちはある、と」
「誰もそんな行間を含めていないだろ」
「ふーん? 本心は?」
どうしてこうも上から目線なのか。文句のひとつでも言いたい気分だったが、翔だって一事が万事冗談ってわけでもないのだろう。口調の割には、殊勝な顔になっていた。
「……少し? 不安ってだけだ」
「嫉妬だろ、それは」
「まぁ」
曖昧な相槌ばかりを打ってしまうのは、翔相手に含羞を捻じ伏せてまで本心をひけらかすのに引け目があるからだった。
翔は苦笑いを浮かべて、肩を竦める。
「シュカちゃん、健斗しか見えてないだろ」
「……そう見えるか?」
「あれだけ二人だけの空気になっておいて、信用していないってのは何かあるとしか思えないくらいには。若宮に絡まれてあれだけ反駁してるシュカちゃんが、お前以外なんてありえないだろ」
外部から見れば、確証があるらしい。
俺だって、信じている。でなければ、ああいった会話や接触に照れる顔が見られるとは思っていない。許されることもないだろう。
「何を考える必要があるんだよ」
「……ないよなぁ」
「婚約者で同棲してて、ずっと友人の若宮だって間に入れない空気出すんだから、心配いらないよ」
からかいがびた一文入っていないとは思わない。だが、十全にふざけているわけでもないだろう。
「お前から、気持ちがないわけじゃないんだろ? 嫉妬するくらいなんだから」
「当たり前だろ」
「だったら、信じてやれよ」
「信じてるに決まってるじゃん。実際、俺が勝手に狭量になっているだけだし」
「分かってんならいいけど、結構やばい顔してたぞ」
ぐっと言葉を噛み砕く。ぐにぐにと頬を揉んでしまったのは、自覚がなかったからだ。自分がそこまで露骨な顔になっているとは。
「天文台で愛を誓え合えば、ちょっとマシになるんじゃねぇの?」
忠告を終えたものだから、からかいのテンションを取り戻したらしい。口調と顔がまたニヤけ顔になっていた。
こうも俺をからかって面白いものか。分かりやすい反応などをしてやれば、水をあげるようなものだろう。軽い調子を極めて心がけた。
「そのつもりだよ」
断言と同時に、ひゅうと口笛が奏でられる。腹立たしいことこの上なかったので、横っ腹に攻撃を食らわせてから、夕食の手伝いに戻った。
翔はわざとらしく痛がって騒いでいたが、そうしながらも仕事に戻ったようだ。真面目さと不真面目さが混ざり合っているのは、翔の常なので気にすることもない。
そっちは気にならなかったが、シュカを視界内に留めずにはいられなかった。
野外合宿は二泊三日。夜の自由時間は明日の話だ。
正式には、今日も自由時間があるが、今日は外出が禁止されている。いることができるのは、生徒が全員集まれるホールと各自のロッジだけだ。
カレーで腹が膨れた俺たちは、ホールに集まっていた。男女共有であるから、ロッジに戻るよりも集まっている人間は多い。天文台のこともあって、何かとブーストがかかっているのだろう。イベントにマジックは付きものだ。
あちこちで男女の塊ができていて、そうした雰囲気が充満していた。付き合っているカップルにいたっては、イチャイチャしているものもいる。ロッジは一人部屋が確保されているわけではないから、同じ部屋の生徒に気を遣えば、そういうことになるのだろう。
他に逢い引きができるところはない。だから、周りもそれを容認しているし、スルーしていた。触れるだけ馬鹿らしいという論法だろう。
翔だって、誰彼構わずに面白おかしくからかっているわけではないようだ。まぁ、当たり前か。
ホールに辿り着いたときには、俺とシュカは別行動だった。その状態でカップルを目に入れるだけでも、もやっとした感情があった。馬鹿らし過ぎて、何の感情か突き止める気にもならない。
そうして、ソファに腰を下ろして気を抜いていた。シュカは女友達と楽しそうに話している。可愛らしい。女子だけなら和やかな感想も抱ける自分の狭量っぷりが目に余った。
よくないな。覚悟を決めて、けじめをつけようとしている。こうも追いかけて身勝手に考えていても仕方がない。鬱々とした内省を繰り返したところで、どうにもならない。
折り合いをつけるためには、明日が勝負だ。決めたことがあるのだから、迷いはない。無闇に固執して見つめているものではないだろう。
切り替えて視線を逸らそうとしたところで、シュカとばっちり視線が合った。まさに、ばっちり、だ。びりっと背筋に電撃が走るような、それほどまでに明確に目が合って、離れない。
ほんの数秒。シュカはすぐに動き出して、周囲に声をかけると、輪を抜けてこちらへやってきた。後ろ髪を引かれている様子はない。
女子たちは、シュカの目的地が分かると、ひそひそと言葉を交わし合っていたが。シュカはそれにも気がつかずにこちらへやってくる。その間、視線が逸れることはなかった。
「健斗さん」
見えているし、見ている。話があるかどうかはさておき、俺へ突撃してきていた。名を呼ぶまでもない。それでも、ごく自然に呼んでくれる自分の名前が誇らしかった。
「どうした?」
「健斗さんが一人でいるから」
「楽しく話してたんじゃないのか?」
「この時間に健斗さんと一緒にいないほうが変な感じだよ」
「……そうだな」
毎日、同じようにリビングにいる。落ち着かなかったのは、そういう習慣もあるのかもしれない。……単に、嫉妬心が拭えていないだけだろうが。
「一人で休んでたかった?」
「いや? シュカがいいなら、来てくれたのは嬉しいよ。でも、せっかくだろ?」
「んー。ずっとだと気を遣うから、休憩」
それが本心なのか、繕いなのか。ちっとも分からないけれど、にこやかに隣に腰掛けてくる。
ソファに隣同士。それこそ自宅と同じで、周りに人がいること以外に違和感はない。だから、自然にリラックスすることができた。
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