第四章
第14話
「結構、手が出るんだからね」
「じゃれてるだけじゃないですか」
「出されてるんじゃん」
「優しいですよ」
「責められるの平気なの?」
「そんなつもりはありませんけど」
「健斗だって普通の男子高校生だけど?」
「他の男子と一緒だとは思ってませんけど、それはそれじゃないですか? 健斗さんは、特別ですから」
「婚約者だからってこと? 私もずっと友達だし」
「若宮さんにとっても、特別ってことですか? それもまた別じゃないでしょうか」
「お前ら、何の話してんの……」
呆れて零した声は、二人の耳には届かなかったらしい。シュカと結羽は口々に意見を零している。はぁと吐息を零したそれを受け取ったのは、眼前にいる翔だった。
「だから、若宮に絡まれるぞって言っただろ」
「つーか、なんでお前らがこっちに来てんだよ」
「いいじゃん。独占すんなよ。シュカちゃんにだって、友達は必要だろ?」
「あれ、友達か?」
「お前のことで語り合えてるんだから、いいんじゃないか?」
あれを語り合うと呼んでいいものか。言い張っているだけに過ぎない。というか、何やらよく分からない俎上に上げられている。
どういうつもりなのか。友情としても納得できないし、どんな扱いをされているのか分からない。
「わっかんねぇわ」
「お前は、鈍感かなんかなんだっけ?」
「は?」
奇っ怪に見上げてみても、翔は肩を竦めながらコロッケパンを頬張るばかりだ。意味不明過ぎて、眉を顰めてしまう。
「若宮の話に思うところはないわけか」
「まさかそこまで友人として位が高いと思ってなかった」
「……素直で何よりだよ」
「それ以外にどう受け取れって言うんだよ」
会話の全貌が分からない。他に受け取りようがないのだから、捩る理由もないだろう。翔の問いには不審しかない。
「じゃあ、シュカちゃんのほうの話はどう思ってんだ?」
「婚約者として妬いてくれてんだなぁ、と」
翔に零すことに躊躇はなくなっていた。何を言っても都合良くからかいの種にされるものだから、居直っている。翔にからかわれることは日常に分類されてしまっていた。
「……そっちもマジなんだな」
「だから、どっちもそのまんまだろ。シュカは張り合ってるじゃん」
「若宮だって張り合ってるだろ」
「まぁ、ずっと長いこと友達やってるしな」
「……俺とお前の間でもそういうのって成り立つと思うか?」
「どういうことだよ。お前が勝手に俺のことを主張するなら、俺の知ったことじゃないだろ」
「ええ~、お前ちょっと意味分かんねぇわ」
「お前の質問のほうが分からんわ」
翔の視線も白いが、こっちだって同じような顔をしているに違いない。翔はそのうえ、深いため息を吐く。俺の何にそれほどため息を吐くようなことがあるのか。シュカ相手なら不安になるところだが、翔相手に弱気になることもない。
「シュカちゃんにベタ惚れだってのがよーく分かった」
「何を材料にしてんだよ。俺は張り合ってないし、シュカのことをどうこう言ってないだろ」
「シュカちゃんが自分にベタ惚れなんだってこと?」
「そうは言ってない」
「若宮とあれほど張り合ってくれてるのに?」
シュカは初対面のときと同じように、結羽への不安を消していないようだった。だからこそ、ああした話になっているのだろう。
その中身が嫉妬であると確認はしていない。しかし、引き出した不安の会話は二人だけのものだ。
翔に居直ってはいるが、だからって二人のことを伝えるつもりはない。お互いが知っていればいいことだ。私だけが知っていること、にこだわっていたシュカの言葉が記憶に残っている。明かすつもりは毛ほどもなかった。
そうなれば、俺に言えることはない。逃げの一手とも取れるものではあるけれど、仕方がないだろう。
「それは俺じゃなくてシュカに聞いてくれ」
「ほー? 本当に聞いてもいいのか?」
「……なんだよ、それは」
ぎゅっと眉を顰めると、翔が目線を周囲へ投げた。
「ここで、聞いてもいいのか?」
今日の弁当は教室で食べている。ここで聞けば、騒ぎになるのは目に見えていた。
クラスメイトたちの間では、俺たちは公認婚約者となっている。いっそ過ごしやすいので構わないが、見えている騒ぎに突っ込みたいかと言われるとそれは別問題だ。
「困るだろ?」
「それを言い始めたら、そもそも俺がまともに答えるわけもないってことも分かるだろ」
「俺相手なら諦めてるなと思って」
「しつこい自覚があるなら、ちょっとは自重しろよ」
「だって、面白いんだもーん」
「ぶりっこするな、似合わん」
「似合ってればいいんだ? シュカちゃんとか?」
わざと引き合いに出されていることは分かりきっていた。それでも、想像を働かせずにはいられない。俺は実にチョロい馬鹿だった。
「……お前、分かりやすいな。マジでベタ惚れじゃん」
「だから、そういうんじゃない」
「じゃあ、何だよ。婚約者だろ? 夫婦なんだから、それでいいだろ。シュカちゃんに誤解されたくなかったら、変に否定しないほうがいいぞ」
ふざけている、というかからかいの流れではある。しかし、言っていることは真っ当で返す言葉がなかった。
感情面を否定するつもりはない。ただ、ベタ惚れという評価はむず痒くって大人しくしていられなかった。ついつい口答えのような反応をしてしまうのは、俺の悪癖かもしれない。
シュカを不安にさせたことも数知れないのだから、直す努力をすべきことだろう。
「私が何?」
分断していたはずの会話は、いつの間にか終わっていたらしい。すらっと横から入ってきたシュカの問いかけに苦くなった。
「なんでもないよ」
「シュカちゃんに誤解されたくないって話」
俺の誤魔化しと翔の答えがかち合う。俺のほうが声が低いので、ぶつかり合うと分が悪い。この場合は、翔の声がよく通るというのもあるだろうが。
「私が何を誤解するの?」
「婚約者って事情があってのことなのか、ってな」
「……そんなことないよ」
「ムキになるし、そういうこともありそうだけど」
「結羽、勘繰りで煽るなよ」
「だって、ずっと黙ってたわけじゃん」
そこを突かれると弱いのは、面倒くささが強くなるからだ。
こればかりは、俺だけの問題ではない。そりゃ、婚約者の存在を伝えることに枷はなかった。しかし、異世界のことと密接に関わり過ぎていて、切り離せない。
結果として、伝えることも仄めかすようなこともしてこなかった。する意味もない。俺とシュカのことは、俺とシュカのことだ。
ただ、黙っていた大部分は、異世界の秘密に関することという意味がでかかった。
「それはもういいだろ。言いふらす必要はないんだから」
「言いふらしたくない事情でもあったの?」
その疑惑を引っ張るのか。
さすがのシュカだって真に受けることはしないだろうが、それでも妙な疑惑を立てて欲しくはなかった。ムキになると、余計なことを言う性質が強くなることを、このとき初めて自覚したかもしれない。
「シュカとの時間を他の誰かと共有する意味が分からん。俺のだろ」
勢いというのは恐ろしい。くさい台詞をすらすら吐いていたことに気がついたのは、後になってのことだ。
口にした途端、翔は呆れたような顔になる。結羽は唖然としていた。シュカの瞳が見開かれて、頬に朱色が刷ける。
その一連を見て、俺はようやく自分の発言を省みた。
「いや、あのな」
「分かった分かった。榊坂夫婦が仲良なのはよーく分かった」
言い訳のしようもないというか、本音であったがために言葉が繋らずにいると、翔の声が呆れて取りまとめる。これ以上、聞く気はないというか。弁明などさせる気もないのだろう。こちらとて、できる弁明がないので、翔のやり方はちょうど良かった。
「健斗ってそういうこと言うんだ……?」
結羽の疑わしい声音には納得だ。今までそんな傾向を見せてこなかったこともある。だが、それを除いたとしても、自分がそんなことを言うようになるとは思ってもみなかった。言えば言えるものらしい。
「健斗さんは割と」
「シュカ」
思わず、その唇を押さえて引き止めてしまった。いや、いいんだが。いいんだが、照れくささに突発的に動いてしまうところがある。
シュカはぱちくりと目を瞬いた。頬に羞恥の残りはあったが、俺の制止の意味までは分かっていないようだ。その羞恥はあって、俺の心境は察せないのか。二人だけのことが欲しいと言ったのは、シュカだろうに。
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