第12話

 ぎくしゃくするのもやむを得ない。

 そのうえ、どんなに満更でもなくても、噂に晒され続けるのは疲弊する。それはシュカも同じで、どうやら昼間のイチャイチャの一端くらいは見られていたようで、その噂も相俟って面倒この上なかった。

 何より、翔が一番面倒くさい。


「ラブラブだよなぁ」


 に始まり、


「婚約者ってどんな感じなんだ?」


 と繋って、


「結婚だもんなぁ。榊坂夫婦かぁ」


 と結ぶ。

 おおよそその流れで何度も繰り返すのが、数日間に及んでいた。多少は薄れてもきたが、同時に面倒なやつはずっと面倒だ。

 何しろ、俺とシュカは同じクラスで、同じように生活している。消えるわけもない。噂を消し去りたければ、登下校をズラしたりすればいいのだろう。

 だが、俺たちは別に婚約者であることを帳消しにしたいわけじゃない。わざわざ別行動なんてする気がなくて、そのままになっている。

 している、というのかもしれないが。意地になっている部分も否定はできない。こんなことで日常を揺らすのは馬鹿らしい、と。

 せっかくのシュカとの時間を周囲の影響で無駄にしたくはなかった。

 結羽から、好きを肯定したことをニヤニヤされていると分かって尚、シュカと距離を置くつもりはない。そうして二週間も経てば、慣れはするが疲れも溜まっていた。


「大丈夫? 健斗さん」


 リビングのソファに大股を開いて伸びていたら、心配されても当然だ。俺を見るシュカの瞳は、理由を察して苦味走っていた。


「シュカは? からかわれてるのは一緒だろ?」

「私だって疲れてるよ。でも、健斗さんほどじゃないと思う」


 言いながら、隣に座ったシュカも背伸びするかのように背もたれに体重を預けている。背筋を反ると、胸を張る形になる。そのでかさが目に飛び込んできて、視線を逸らした。

 触れ合うことには慣れてきたが、極めて性を意識する部位を強調されると、でくの坊になる。残念ながら、その耐性がつくわけじゃなかった。平然を装って会話を続けるしか、俺にできるすべはない。


「違いあるか?」

「だって、男子のほうが下世話じゃない?」

「……そういうこと?」

「そういうことだよ。違う?」


 すっとこちらを見られるのと同時に、すっと視線を逸らした。肯定したいものではない。ゆえにあからさまになってしまったのは、馬鹿以外の言葉がないが。


「……何言われてるの?」

「ノーコメントで」

「やっぱり、健斗さんのほうが大変そう。何かしようか?」

「何かって?」

「疲れを癒やすこと」

「シュカだって疲れてるんだから、それは不平等だろ」

「そういうこと気にする?」

「俺だってシュカを労いたいとは思ってるって話」

「張り合わなくてもいいじゃん」


 シュカは伸びを終えて、ソファの淵に足を乗せて体育座りになっている。

 丸まっていると小さくて華奢だ。そんなことはいつも思っているけど、姿勢で印象は左右される。小さいから可愛いと同期されるってわけじゃないけれど、それでもやっぱり可愛い。


「張り合ってるわけじゃないよ。シュカだって、休みたいだろ? ていうか、噂はさておき、こっちの生活で大変なのはシュカのほうなんだから、君のほうが疲れてるんじゃないのか?」

「楽しいよ? 授業は難しいけど、新しいこと知れるのは楽しい。健斗さんと同じことを習ってるって変な感じだけど」


 そうか。俺たちは今、本当に同じ世界で生きているのか。

 どれだけ異世界同士のものであっても、分かり合えない相手ではなかった。それは分かっていたし、一緒に過ごす時間もあった。

 違う世界で生きている人間ではあるが、噛み合わないと思ったことはない。違う感性はあるし、気がついていないすれ違いもあるのだろう。ただ、相性が合わないってことはなかった。

 それが今、限りなく重なり合っているのだ。遅ればせながらその実感が追いついてきて感応する。言葉にするのが大切だと、近頃体感してばかりだ。


「分からないことがあったら、何でも聞いてくれ」

「本当? 教えてくれる?」

「元からそのつもりだったよ」

「ありがとう。健斗さんはやっぱり優しいなぁ」

「そんなに褒めても教えるのが上手くなるわけじゃないから、シュカが頑張らないといけないからな」

「お世辞じゃないよ」


 かっこいいを連呼されたことが蘇る。そのときもくすぐったくてたまらなかったが、優しい評価もくすぐったい。やっぱり、という前置詞がつくことで、余計にむず痒くなる。何気ない会話で取り沙汰される言葉が、じわじわと心に染み入っていた。


「それはどーも」

「健斗さんって自分のこと適当だよね」

「照れくさいだけだ」

「ふふっ」


 適当にしているなんて、悲惨な意味は何もない。開き直るしかなかった。俺の持ち札は少ない。笑われたって、どうしようもないことだった。

 シュカは口元を覆って、お淑やかに笑う。細々とした仕草が、いちいちツボをついていた。以前から、そうした部分に目を惹かれていたが、今は鮮明さが違う。

 周囲に認知されてから、何かのスイッチが入ったのか。色眼鏡が装着されたのか。チョロいというか何というか。それには思うところがないわけでもないが、元があったのだから仕方がないだろうと開き直っていた。

 シュカは膝の上に頬を押し当てて、こちらを見上げてくる。膝を抱えた腕がだらりと足元へ下りていて、足の指に触れていた。ポーズがあざとい、と思うのは、フィルターがかかり過ぎている。


「でも、やっぱり勉強も教えてくれるし、他のこともいっぱい助けてもらってるし、私がお礼することのほうが多いよ」

「そういうのは比較するものじゃないだろ」


 その主張は真っ当だと思ったのか。シュカはむぅと唇を尖らせた。

 中庭で話した日から、その表情を直視できなくなっている。視線を逸らすと、それを追いかけるようにシュカが身を寄せてきた。肩がぶつかる距離に、ぎょっとしてシュカのほうへ振り向く。

 近い。


「なに」

「なんで、目逸らすの?」


 ストレートに投げられて、喉を鳴らしてしまう。そんながさつな態度を取っておいて、何もないってわけにもいかない。

 それでなくとも、視線を逸らすなんて無視するも同然だ。突かれたら、素っ気なく切り捨てることもできない。少なくとも、俺にそんな度胸は装備されていなかった。

 はぁと息を吐いて顔面を片手で覆う。


「……可愛いから」


 面映ゆくて仕方がない。シュカ相手だから、という固定の話ではなく、俺はこういうことを言えるような性質ではなかった。

 捻り出した声はかすっかすに掠れて、情けないことこの上ない。婚約者を褒めるくらい、もっとスムーズにできないものか。

 黙ってしまったシュカを手のひらの隙間から一瞥する。頬を染めてぽかんとしている顔すらも可愛いので、もういっぱいいっぱいだった。ぐしゃぐしゃと前髪を掻き乱して、息を吐き出す。


「しょうがないだろ。意識するよ、そりゃ」


 中庭のこともあるし、同棲中でもあった。いくらだって、シュカの様子に当てられている。自分でも自分の理性が信じられない。それはよく我慢できているという点でもあるし、逆に感情が煽られ過ぎているという点でも。


「意識、してくれるのは、いいけど、離れていかないで」


 シュカに秘めようとした気はないのだろう。しかし、こそこそと囁かれると肌を撫で上げられるようでざわついた。縋るような内容もまた、ざわめきを強くする。


「もう少し、待って」


 手のひらの中に息をぶつけるように大息を吐き出した。冷静さを取り戻さなければ、と焦るほど心が上滑りしているような感覚がある。

 シュカは黙って待ってくれているらしい。しかし、離れていってはくれず、触れ合っている肩の熱が伝わってきていた。おかげで、シュカの存在が消えていかず、ちっとも落ち着けない。

 何とか無理やりに捻じ伏せて顔を上げると、シュカはじっとこちらを見ていた。自爆したことも含めて、照れくささは拭えない。これはもう、腹を括るしかないのだろう。

 見つめ合っていると、ろくなことにはならない。我が事ながら、あっさり手綱を手放してキスを求める理性のなさを思い知っている。

 ここじゃ、誰も邪魔なんてしてくれない。自分がどこまで意識的でいられるのか分からない半透明な状態で踏み出すような蛮勇はなかった。シュカに許可を取ってはいるが、だからって攻め寄っていいわけではない。


「悪い」

「ううん。えっと、褒められるのは嬉しいよ」


 ふにゃりと笑われると心臓が痛かった。

 日頃は、平常心を維持して生活ができている。しかし、一度こうなってしまうとまるで使い物にならない。自分のことながら、ポンコツ過ぎることに愕然としてしまいそうだった。


「それは嬉しいけど、こうやって話してくれるほうがいい。健斗さんと顔を合わせていると、安心するから」

「あ、え? 俺?」


 既にいっぱいいっぱいなのだから、更に注ぎ込まれてしまえば、てんでダメになるしかない。辛うじて、表面張力が働いているだけだ。


「うん。だって、いつだって助けてくれるもん。安心するよ」


 あまりの純度が眩しい。誰の話をしているのかとさえ思えてきた。

 いや、シュカを助けるのは当たり前のことだとは思っているけれど。けれど、だからってここまで純粋にぶつけられると胸が詰まる。

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