第10話
あれだけの騒ぎが一日で収まるわけもない。翌日には、隣のクラスにも広まったんじゃないのかってほどの視線に晒された。
それ自体は構わない。シュカが面倒な絡まれ方をされていなきゃいいとは思うが、それ以外の煩わしさは既に覚悟を決めていた。
自分でも意外だが、周囲から認められることは満更悪いものでもない。いや、認められるなんて大層なことではなく、噂にされているだけだが。
今までは、そんなこともひとつもなかった。あえて秘めようとしていたわけじゃない。だが、異世界交流を家庭外に持ち出すことはできなかった。これは俺たちの秘密ではなくて、世界の秘密だ。秘めようとしなくても、交流が外に出ることがなかった。
だから、こうして周囲から認識されているという環境は真新しいものだ。そして、思いの外、俺はこれを肯定的に受け入れている。
婚約者なんだ、と改めて感じさせられていた。
もちろん、端から自覚はある。そうでもなければ、シュカに触れたりもしないし、同棲に納得もしていない。将来のことも考えてある。ただ、周囲に認識されるというのは、自覚を更に促すものだった。
視線に晒される気分は落ち着かないが、だからって、否定する気にはならない。自分の中に、こんな心情が眠っていたとは知らなかった。なので、明らかに声を潜めて噂されていても、あまり気にならない。そんな呑気な態度でいたからか。
隙を突くかのように声をかけられた。
「健斗」
「……なんだよ」
驚きつつも、そちらを見て納得する。
翔を除いた同級生の友人。結羽の姿に肩の力を抜いた。いくら噂を肯定的に受け止めていても、実際に声をかけられるとなると肩肘は張る。友人であれば、気軽に声をかけてくるのも何もおかしなことではない。
その脱力がよくなかったのか。こういうときの結羽は遠慮しない。
「可愛い婚約者が突然現れたって本当?」
他クラスにもしっかり出回っているようだ。
ド直球の問いかけには、苦笑いするしかなかった。どこにも否定する要素がないので、こちらも直球で頷く。結羽は瞬いてから、眉間に皺を寄せた。
「可愛い子なんでしょ? 騙されてない?」
「どういう理屈だよ」
確認されるにしても、もう少し言葉があるだろう。不躾な問いに顔を顰めた。
しかし、結羽も同じくらいに顔を顰めている。そんな顔をされる理由に心当たりはなかった。不要な睨み合いが続く。根負けしたわけではないだろうが、結羽が不機嫌な顔のまま口を開いた。
「突然過ぎるでしょ」
なるほど。結羽とは小学生からの友人だ。幼馴染みと呼んでもいいくらいには、ずっと友達として付き合ってきた。
それでも、家庭の事情を説明することはできない。魔術具を使ってまで秘密とされてきたことだ。いくら幼馴染みであったとしても話せない。そうなると、シュカのことを話す機会もない。
それに、恋バナをした記憶もなかった。いや、薄らと話しているのを聞いていたりすることはあったが、加わったことはないはずだ。
そんなやつに降って湧いた婚約話。詐欺を疑うのも分かるような気がした。しかし、それにしたって頭ごなしに疑われるのは腑に落ちない。
「今までだって、付き合いはあったんだよ」
「え、何それ。聞いたことないけど」
一から十まで話やしないけれど、幼馴染みの距離感ともなれば人付き合いも見えてくるものだ。
目に見えない関係があるのは分かっている。それでも、中学時代までの行動範囲となると、それほど伏せられるものでもない。行動範囲も狭いので、なんとなく把握できるものだ。
しかし、異世界との交流は自宅から。しかも、扉ひとつで行えてしまう。秘密裏な関係が完璧にできあがっていた。
まったく知らぬ存在が浮かび上がれば、やはり疑うかとは思う。思うだけだが。
「聞かれなかったし」
「女子? っていうか、恋愛に興味ないのかと思ってた」
「ないってことはない。俺だって、男だっての」
「可愛い婚約者で色々解消してたってこと?」
「……その言い方はやめろ」
どこか不機嫌なままの結羽の言い方には、性欲解消まで含まれているのがありありと分かった。そんな言い方をされる謂れもないし、そんな事実はどこにもない。鼻頭に力を込めると、結羽は肩を竦めた。
「違うの? 婚約者なんでしょ? 仲睦まじくて、登下校も一緒だし、スーパーでデートしてたって聞いたけど? そのままお持ち帰りじゃないの?」
いくら幼馴染みと言っても、学校外でもベタベタ時間を過ごしているのかと問われると話が違う。
中学時代までは帰りに寄り道するようなこともあったが、高校生になってからはまだ数日しか経っていない。通学路や生活習慣も変化しているため、お互いの状況は知らぬことになっていた。
正直に言えば、シュカが来てからこっち、シュカのことしか考えられていない。生活をともにするというのはそういうことで、慣れないシュカと日常を擦り合わせることが最重要課題になっていた。課題というほど、面倒なものだとは思っていないけれど。
「だからって、シたりしない」
「そこまでは、ってことでしょ?」
どうやら、結羽の中では俺とシュカがイチャイチャしていることは決定事項のようだ。
そりゃ、婚約者であることを認めているし、仲も悪くない。だからって、それを決定づけられるとは思わなかった。不機嫌なままで言うので、侮蔑されているようで居心地が悪い。
「なんで、それ決定事項なんだよ。邪推やめろ」
「だって、婚約者でしょ?」
「婚約者を何だと思ってんの?」
「結婚する人でしょ? そういうこともするじゃん」
「将来の話だろ」
未来を否定する気はないが、今を確定されるのも困る。何より、無根拠で無実だ。噂に邪推が取り沙汰されるのは常だろうが、正面切って尋ねられれば否定しかなかった。
「違うの?」
「違う」
「婚約者はマジなんだよね?」
「それは本当。ていうか、結羽だって、そういうのそんなに興味あるほうじゃなかっただろ」
「でも、さすがに幼馴染みみたいなのに婚約者がいたってのは驚くよ。普通に」
「まぁ、それは悪かったけど」
「紹介できないような子なわけじゃないんでしょ?」
「そんな事情はない」
正式には、今まではどうだったか分からないけれど。今となっては、異世界人という秘密さえ守っていれば、紹介も何も困ったことにはならない。
「騙されてないんだ」
「なんでその線を疑い続けてるんだよ」
「前から付き合いがあるからって、絶対ってことはないじゃん? こっちからすると、どう考えても怪しい。カモられてもおかしくないくらい、健斗の家って大きいじゃん?」
「だから、婚約者なんだろ」
「好きで付き合ってるんじゃないの?」
さらっと告げられて、苦笑いが零れる。
家庭の事情だけではない。お互いに了承しているのだから、強制されているわけではなかった。
……シュカもそう思っているはずだ。さすがに、牽制までしてくれる彼女が家庭の事情だけで、俺と住んでくれているとは思わない。ましてや、触れることに許可をくれているのだ。距離を縮めることをよしとしている。そのくらいの感情を信じてはいた。
「違うわけ?」
「そんなわけないだろ」
「健斗さん」
「っ、どうした、シュカ」
グッドタイミングで背中からかけられた声に、バネのように背筋が伸びる。大きく振り返った俺に、シュカはきょとんとしていた。
「お昼、食べないの?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら首を傾げてくる。
今日からは弁当だ。今朝、シュカが弁当箱と向き合って、てんやわんやしていた。それを二つ重ねて、胸元に抱えている。物体を胸の前に持ち上げられると、身体との距離感から膨らみの立体感が目に入ってきて気まずい。
たった今、結羽に邪推されたばかりだから尚更に。
「食べるよ。ごめん。探した?」
「うん。二つとも一緒に私のほうに入れてたから、食べられないと思って」
「トイレに行った帰りに、絡まれてた」
そうして身体を捩って、結羽の姿を手のひらで示す。シュカはことりと身体を傾けて、俺の身体の影から結羽を見た。仕草のひとつひとつがいちいち可愛い。
「えっと、婚約者さん?」
「はい。シュカネット・ラグ・ヴェルセンです」
「若宮結羽です。えっと、シュカ……」
「シュカでいいですよ」
「シュカさんが健斗の婚約者?」
結羽は驚き顔で、シュカをまじまじと見つめていた。
一見すれば外国人。それを聞いていたのか、いなかったのか。その辺りは分からないが、シュカの見た目が人目を惹くのは分かる。その瞳がじろじろと身体中を舐め回しているような気がして、白眼視したが。
「そうです。えっと……、若宮さんはお友達ですか?」
結羽に聞きながら、こちらも見上げてくる。小さく頷くと、
「そっか」
と頷いた。
その頷きが深くて、表情が見えづらくなる。その角度が昨晩のことを思い出させて、心がざわついた。
「シュ……」
「綺麗な子じゃん」
かけようとした声が、弾んだ結羽の声に掻き消される。おまけに背中と脇腹の中間を叩かれて痛みに声が止まった。
「お前な! 殴るな」
「応援応援。大切にしてやりなよ」
言いながら、バシバシと叩き続けてくる。どんなスキンシップなのか。幼馴染みが故の粗雑さなのだろうが、暴力は御免被る。手首を掴まえて引き止めた。
「分かったから、叩くのをやめろ。もういいだろ」
「ちぇっ。じゃ、あたしもう行くから。お昼一緒に食べてイチャイチャしてなよ」
「うるせぇわ」
するっと手を引き抜いた結羽がぱたぱたと駆けていく。
一体何だったんだ。初手、詐欺を疑っていたわりには、姿を見ただけで納得する。意味不明だ。というか、どこで納得がいったのか。思考回路が読めない。疑いを除外してくれるのであればありがたいが。
去って行く姿を見送って、シュカに向き直る。シュカは小難しい顔で、結羽の背中を見つめていた。
「シュカ?」
「あ、うん。ご飯食べよう? 教室に戻る?」
相槌を打つような声の掛け方をしていない。シュカは無造作に言いつけて踵を返そうとする。やっぱり、角度にざわついた心は勘違いではないような気がした。去ろうとする肩を掴むと、足を止めるしかなかったようだ。
「どうしたの?」
振り向く顔は自然で、それが逆に怪しい。欠陥も多いけれど、これだけ繰り返していれば俺にだって気がつくことはある。
「中庭に行こう。外でもいいだろ?」
「そう?」
「うん。そっちのほうがゆっくり話せる」
「ゆっくり?」
「二人で話したい」
「どうしたの?」
「ほら。いくよ」
「ちょっと、健斗さん」
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