第8話

 図書室の約束があるだとか、そういうことは関係がない。初日と同じようにともに行動するのも何もかも、自然なことだった。だから、そこに意識はない。

 けれど、周囲にしてみれば、意識をすることだったようだ。昨日と今日。二日連続の二人登校であるし、昨日の買い物を目撃されていたらしい。

 ショッピングモールなどの買い物ならまだしも、スーパーだ。そりゃ、何かがあるのだろうと邪推するには十分過ぎる。俺だって、クラスメイトの男女が二人っきりでスーパーで買い物をしていれば、同居か何かを疑うだろう。

 だから、一緒に登校したところで、一時間目の始まる数十分に探りを入れられたことも仕方のないことだと納得はできた。納得はできたが、だからと言って、即応できるものでもない。

 昨日は一緒に料理することに意識を取られて、考えていたはずの婚約者の隠蔽問題について話し合うことを忘れ去っていた。どうしたものか、と眉を顰める。


「前から知ってるだけだよ」


 一番に出てきたのは、当たり障りのない言葉だ。周りもそんな言葉では納得してくれなかったが、何よりシュカが眉を下げていた。

 しくった、と思ったころには、もう遅い。婚約者としての立場対応は、いつまでも上達する気がしなかった。それはちゃんとお互いの気持ちを確認していないからこその余波であるかもしれない。


「それだけにしては、仲良さそうだったけど」

「そうそう。スーパーなんて所帯じみてるじゃん」

「いいだろ、別に」


 シュカの表情を思えば、これ以上否定になりかねない言葉は出せなかった。シュカのほうを見て、状況を確認する勇気すらない。

 みっともねぇなぁ、と頭を抱えそうになる。堂々と宣言できないのは、自分の落ち度か。シュカへの思いやりか。どうしたって、前者の率が高そうでへこみそうになる。


「何だよ、言えない関係なわけか?」

「そんな物騒な関係あるなら知りたいもんだよ」

「シュカちゃん、どうなの?」


 まだ名前と顔が一致しきっていないクラスメイトの中に、よく知った顔がひょっこり顔を出していた。

 翔の顔はへらへらしている。味方じゃねぇのか、と思うが、こんなことで敵味方などはアホらしいことだ。

 翔にズバリ聞かれたシュカに視線を投げる。一瞬かち合った瞳は、何を考えているかは分からない。翡翠色の瞳は綺麗でいつも通りだ。慣れていると言ったって、本心を見透かせるほどではない。そんなことができるのなら、婚約者の距離感があやふやにはなっていないだろう。


「シュカちゃん?」


 追撃するような呼びかけに、シュカは困り眉になった。その身が半分ズレるように、俺の背中に寄ってくる。

 シュカは自分が周囲にどう見られているのかの自覚は薄い。けれど、視線には敏感だ。だから、街中でもこんなふうに助けを求めてくることがあった。頼られているのは悪い気はしない。けれど、今は探られている親密度を教えてしまう行為でしかなかった。

 翔を含んだ全員の目が、邪念に輝いている。惚れた腫れたがそれほど大事か。他人事なら頷けたのかもしれない。


「シュカが困ってるだろ、やめろよ」

「じゃあ、代わりに答えるくらいの男気を見せろよ」


 ここで男気という言葉が出てくる時点で、性差の関係を疑っているのが明白だ。隠すつもりもないだろうが、半ば確定させているのも透けて見える。何を言ったところで信じなさそうで困った。

 ……別に、困ったことでもないか。

 かしかしと後頭部をかいたのは、無意識だった。ふぅと息を吐いたのは、腹を据えただけだ。そこにマイナスな真意はなかった。しかし、その態度はよくなかったらしい。

 シュカの手のひらが俺のブレザーの肘辺りを引っ張ってくる。不安にさせたか、と視線を向けたところで、シュカはもう口を開いてた。


「婚約者ですよ」


 自分たちでその立場を口上に乗せることはよくある。しかし、こうして外側に発信したのは初めてのことだ。俺だって、他の誰かに話したことはないし、こんなふうに詰められたこともない。

 言い切ったシュカの顔がかぁっと赤くなって、こちらまで首の裏が熱くなっていく。


「婚約者!?」


 もっとも高い声を出したのは翔だったように思うが、他のクラスメイトまで声を上げていた。

 そりゃ、そうだろう。俺だって、高一で婚約者がいると聞けば、騒ぎたくもなる。反応が分かるからこそ、躊躇っていたとも言えた。

 それを口走ったシュカは、赤い顔のままこくこくと頷いている。堂々と肯定を繰り返されたほうが、よっぽど精神の安寧は得られた。照れられてしまっては、こちらもドギマギしてまともな口が利けない。

 硬直してしまっているも同然の俺の腕に、シュカがぎゅっと抱きついてくる。豊満な胸が腕に触れていて、首裏から熱が広がった。


「シュカ……っ」


 どういうつもりか、と慌ててその手に触れるも、シュカは意に介さない。それを引き剥がすこともできずにいる間に、シュカは意を決したように前を見据えた。

 何かをするつもりであることは予測できたが、何をするのか分からなくて、止めようもない。元より、置いてけぼりを食らっていたものだから、完全に出遅れていた。


「ですので、健斗さんは私のもの、なのでっ」


 そこまで言ったシュカは、力いっぱい唇を引き結んでしまう。

 周りも驚いたようだ。瞳や表情にからかう色はあるものの、言葉は出なかったらしい。こちらも驚嘆してしまう。

 シュカはそれで力を使い切ったのか。首まで赤くした顔で俯いてしまっていた。


「な、んで」


 そこまで言われる理由が見当たらない。

 婚約者という点を抜いても、前から交流のある相手だ。独占欲に似たものがあってもおかしくはない。ただ、こうもオープンに宣誓されるとは思わず、ぽろりと零れた。


「だって、価値観が合うほうが、気が楽でしょ?」


 小さくこちらを見上げて首を傾げる。

 何かあったのか。それとも、ずっと思っていたのか。それが、こちらへ来て、同年代と会話することで詳らかにでもなったのか。それを今ここで繰り出されることへの道筋が色々と思い立つ。

 だが、肝心なところはそこじゃない。シュカが不安そうに身を縮めているということだけだ。

 ここまで放置してきた落ち度が身に沁みる。こんな衆目で、とも思った。大混乱はまだ続いていたが、外してはならない最後の一線を越える気はない。

 俺の腕を引いている手首を掴まえた。


「そういうわけだから、そういうことで」


 適当極まりない言葉を周囲へ残して、シュカを連れ出す。いの一番に翔が追い縋ってきたが、無視して進んだ。

 シュカが


「あ、あの、え、あ」


 と、こちらへ疑問を投げたいのか。後ろからの声に答えようとしているのか。感嘆詞を零しながら、俺に引きずられていた。

 そんな拙劣な移動をしていれば、当然他の生徒からも視線を浴びる。それもそのまま無視して、ぐんぐんと進んでいった。

 一階の階段下は、階段の設置において絶妙な空間がある。その影にシュカを連れ込んで、廊下側に立って人目を断った。外聞は悪いだろうが、そんなものは後回しだ。優先すべきものを手放すつもりもない。


「健斗さん? 余計なこと言った?」


 参った顔をしている。赤みは引いたようだ。

 不安げな瞳を真っ直ぐに見下ろす。掴んだ手もそのままだから、それなりに威圧感もあるだろう。シュカは俺より十五センチほどは小さい。おかげでこんなところでも、十分に姿を隠せるというのはあるけれど。


「……あんなふうに思ってたのか?」

「え? あ、うん」


 シュカがどれほど本気で主張したのか。その深度までは読めない。それでも、あんなふうなことを言い出したことはなかった。

 頷く顔は未だに不安そうだ。これが本音を口にしたからか。今の俺が威圧的だからかは不明だが。


「俺はこっちのことを楽しそうにしてるシュカを見て楽しんでるよ」

「……それは、そうかもしれないけど」


 そういった視線が落ちる。結構深刻に悩んでいるんじゃないのか。あっさり頷いたわりには、言葉も失墜して消えた。


「けど?」


 詰めると、ますます俯いてしまう。

 そんなに気にしていたとは知らなかった。俺たちの価値観が違うことなんて、最初っから分かっていることだ。出会ったときから違う。だから、端から納得していることだと。歩み寄ってくれているのだと。そう思っていた。

 やはり、確かめることはたくさんあって、このままじゃいけないのだろうなと実感する。婚約者と伝える気があるかないかすらも、話していなかったからこその始末だ。

 すっかり項垂れてしまった頬に手を伸ばす。びくんと震えたシュカが驚いたようにこちらを見上げた。その隙を見逃さずに、両手で両頬を包んだ。


「俺が他の子のことをシュカに話したことがあるか?」

「……ないよ」

「比べたことがあるか?」

「ううん」

「俺は君の婚約者だよ」

「……うん」

「価値観が違うことで、君を面倒にも思わないし、他の子がいいなんて思わない」


 じわじわとシュカの頬に朱色が戻っていく。自分が気恥ずかしいことを言っている自覚はあった。だからこそ、今まで言ってこなかったのだ。


「だから、心配はいらないよ」

「……婚約者って言って良かった?」


 上目に窺ってくる。頬を染めてそうされると、心臓が痛い。申し訳なさそうな態度がしおらしくて、一層心が痛くなった。


「構わないよ」

「ごめんね」

「いいって。俺も、不安にさせてて、ごめん」

「ううん。何も言ってなかったから」

「……お互い、これから色々話していかないとな」


 色々の中身を口に出すことはしなかった。これもまた、話さなきゃいけないことだろう。ただ、それは今すぐってことではない。何より、こんな急ごしらえの場所でそんな大切な話を片手間にするつもりはなかった。


「うん。話す時間もいっぱいあるよね」

「ああ。一緒にいるんだから、ゆっくりやっていこう」


 これまでだって、ゆっくりやってきたのだ。それはただの異世界人との交流と言えるようなぬるいものだっただろう。

 二人で出かけていたし、デートだと認識もしていた。けれど、こういう話はしてきていない。婚約者としての関わりは、きっと今更始まっている。

 こうして、他人に宣言したこともなかった。そうして、外側に自分たちの繋を告げることで、関係は形取られていくもののようだ。


「戻るか」


 これ以上ここで話せることはない。提案すると、シュカがもう一度顎を引いた。

 教室に戻れば、何が待っているのか。そんなものは想像するまでもなく分かりきっている。だが、もう腹は括った。

 感情を口にすることは大切だ。シュカ以外がないのだから、婚約者だと伝えることにも、躊躇いはない。何より、シュカがあれだけ盛大に宣言してくれたのだから、俺が怯んでいられるわけもなかった。

 腹を括ってしまえば、それだけで済むのだからそれでいい。シュカと婚約関係にあることに、ひとつも不具合はないのだ。

 そうして決めた覚悟相応に、散々っぱらからかわれて冷やかされる一日を過ごした。

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