第7話

 入学式当日だ。授業もなく、終わるのも早い。だが、シュカは十分疲れたようだ。慣れない学校という場所柄もあるだろうが、あれだけ絡まれていれば当然だろう。


「大丈夫か?」

「どうして、傍観者でいるわけ?」

「そこまで口出しされるの嫌じゃないか?」

「私、留学生なんだよ?」

「……だから?」

「不安なのに」


 むぅと唇を尖らせる横顔も整っている。そんなことはとうの昔に知っているけれど、下校中というシチュエーションで印象は変わった。これは受け取る側の問題だろうが。


「友達ができたほうがいいだろ?」

「それはそうかもしれないけど、健斗さんがいないのも嫌だよ」

「……そうか」


 シュカが俺を優先的に扱ってくれているのを感じ取ってはいた。婚約者として認められている。それが、どれほどの価値なのかは分からない。シュカが婚約者として俺を贔屓しているのか否か。その判別はできないままでいる。

 覆すことのできない契約のようなものだ。諦めて優先してくれているのか。本心から求めてくれているのか。後者だと信じる自己肯定感は俺にはなかった。

 かといって、すべてが契約と処理した事務的な動きであるとも思っていない。だからこそ、判別ができないままでいるのだ。

 そして、それを直截に尋ねる勇気は、まだない。……まだ、とは見栄だろうか。だが、俺だって、シュカへの感情がどういうものか自分で分かっていない。シュカに判断のすべてを委ねたくはなかった。

 言い訳めいているだろうが、責任をなすりつけているような気がしてしまうのだ。先延ばしにしたいだけ。勇気がないだけ。どんなに言っても、言い訳なんだろう。それでも、俺は距離を測りかねていた。

 シュカはどう思っているのか。二人歩きはもはや自然だ。だから、シュカもさっくりと切り替えたのか。日常会話に流れていた。慣れられているな、とこういう何気ないところで実感する。


「健斗さん、お昼はどうする?」

「ああ……そうか。ハンバーガーとかは? 夜はどうする? 何食いたい?」

「そうだね。うーん。まだメニューと名前が合致しないんだよね」

「和食? 洋食?」

「中華?」


 確信がないのだろう。自己発信しながらも、首を傾げていた。


「麻婆豆腐? チキン南蛮? 餃子?」

「餃子!」

「じゃ、一緒に包むか」

「あれって、自分で包むの?」

「ああ。そうだよ。中身も作るの」

「あのまま売られているのかと思った」

「そういうのもあるけどな。どうせなら、包むのもいいだろ? シュカ、そういうの嫌いじゃないじゃん」

「だって、花嫁修業しなくちゃ」


 ぎゅっと両拳を握り込んで、意気込むように宣言する。シュカはこういうことをけろっというところがあった。

 これだから、真意を尋ねるのを躊躇うのだ。文句なしに可愛い。これで、俺のことを想う言葉なんて吐かれたら、もう一ミリも後戻りができなくなるような気がしていた。


「難しいかな? 覚えられる?」

「タネ……中身を作るのは、そんなに難しくはないよ。包むほうが難しいかもな。不器用だから」

「むぅ。ひどい」

「この前だって、ハンバーグの形成で手間取ってただろ」

「もう慣れたもん」

「じゃ、楽しみだな」

「見てなよ」


 きりっと眉を釣り上げて胸を張る。負けず嫌いなのか。献身的なのか。これもまた、測りかねている性質のひとつだ。

 二人でいることは自然なのに、分からないことは数多くある。それでも、和やかな生活を送れてしまうからうやむやになっているのだろう。どんな形であれ、シュカが楽しそうにしているから、水を差せないというのもあった。

 感情の審議はともかく、シュカにほだされているのは真実だ。どうせ免れない婚約なら、心地良くいて欲しいし、心地良くいたい。真実に手をかけることが、必ずしも平穏であるとは言い切れないのだ。


「とりあえず、昼食べて買い物だな」

「制服でいいの?」

「気になるなら戻るか?」

「こっちで普通のほう」

「どっちもありえる……まぁ、放課後制服デートは定番かもしれないけど」

「じゃあ、このままでいいよ」


 その、いいがどこにかかっているのかを追及する気は更々ない。

 お互いに二人で外出することをデートだと認識はしている。ただ、これは便宜上呼んでいるに過ぎないところもあった。色気や何かを感じるものでもない。

 変に意識しないようにしているから当たり前になっていて、今更空気を変えることもできそうになかった。変えるつもりも、あまりない。

 隣を歩くことに違和感もなく、俺たちは放課後デートに繰り出した。




 餃子は中身が飛び出たり逆にすっからかんになったり、羽なんてものは望むべくもない。シュカはすっかり不貞腐れていたが、


「美味しいからいいもん」


 とぱくぱく食べ進めていた。

 強がり半分だろうが、美味しいのなら教えたほうとしては文句もない。それに、不格好な餃子だってシュカの手作りと思えば、微笑ましいばかりだ。

 花嫁修業と言われると、面映ゆさというかすわり心地の悪さというか。そういうものが先立つ。しかし、地球の慣れないことに触れ合って、悪戦苦闘しつつ楽しんでいる様子を見るのは楽しい。シュカが楽しんでいれば、俺としては何の不服もなかった。

 一緒に料理をした後は、一緒に後片付けをして、後はリビングで一緒に過ごす。書斎という名の自室に引っ込むことは少なかった。

 シュカを一人にするのを不安視するほど、小さな子どもだとは思っていない。ただ、シュカがリビングにいるものだから、あえて引っ込む気もなかった。

 離れるのが惜しい気持ちがある。毎日ともに過ごしていても、惜しいと思うのは不思議なものだ。今までは、何ヶ月に一度の顔合わせだった。それが毎日になっても、感覚というのは抜けないものらしい。

 寝室まで一緒なので、随分長い時間を一緒に過ごしている。鬱陶しくならないものか、とシュカを窺うが、呑気に過ごしていた。

 こっちに引っ越してから手に入れたスマホを、覚束ない手つきであれこれ弄っている。何をそんなに扱うことがあるのか。そういう疑問が湧かないでもないが、自分も初めて買ってもらったときは同じものであったかもしれない。

 それに、今日はあれだけ絡まれていた。連絡先を交換していてもおかしくない。


「健斗さん」


 ぼんやりとシュカの様子を横目に写真集を眺めていた顔を上げると、シュカが隣へとやってきた。

 ソファに座ったすぐ隣。何の感慨もなく、すとんと腰を下ろしてくる。ベッドのときもそうだが、何の逡巡もない。

 もう少し、と思うのは異性として意識しているからだろう。それを露わにして、引かれたくはないし、ぎこちなくなりたくもない。平然を装うのにも、この数週間で慣れてしまった。


「どうした?」

「ワイファイ? が切れてしまったの」

「チェック外したりしてないか?」

「どこ?」

「上のほう……ここに設定画面が出るから」


 横から手を出して、スワイプする。

 ひとつの画面を覗き込むのなんて、距離が近くないとできない。多分、シュカじゃなきゃできないだろう。これを許されていることを喜べばいいのか。嘆けばいいのか。苦笑いしながら、スマホの扱いを教える。

 素直に聞いているシュカは微笑ましいので、まぁいいかと諸々は飲み込んだ。……いつものことになっているような気がする。


「これがWi-Fiのアイコンな。チェックついてないと通信できてないから注意。他のアイコンも同じな」

「ぶるー……これは?」

「外部機器との接続って言えば分かる?」

「??」


 どれだけ地球にやってきていたと言っても、数時間ずつの滞在だ。電子機器などは好き好んで情報を手に入れに行かなければ、早々身につく知識でもない。

 シュカは頭上にクエスチョンマークを浮かべるかのごとく、きょとん顔になっている。


「……イヤホンとかそういうのと無線で接続するんだけど、シュカは今何も繋いでないから、オフにしておいて大丈夫」

「面倒だなって思ってない?」


 こっちが曖昧に濁したことは筒抜けだ。こっちもシュカに慣れているのだから、シュカだって俺に慣れている。こうしたやり取りは、何度か繰り返していた。把握されきっていて、苦笑いをするしかない。


「悪い。今すぐ上手く説明できそうにないんだよ」

「なら、いいけど……取説じゃ分からないから、もっと詳しい本とかある?」


 正直に言えば、シュカはあっさりと身を引いた。

 けれど、貪欲さは持ち合わせている。これは純然たる興味や困りごと半分。こちらへの歩み寄りが半分くらいはある。それが分かるものだから、こちらも何かと世話を焼いてしまう。


「図書館にでも行ってみようか。シュカも図書カードを作れば本を借りられるよ」

「本当?」

「学校の図書室も使えるぞ」

「学校の図書室じゃ、電子機器に詳しい本はないの?」

「どうだろう? 行ってみないと分からないな。俺もどんな本があるかどうか詳しくないし」

「すぐに行ける?」

「ああ。明日にでも行けるよ。市立図書館も近いし、学校帰りに寄れるんじゃないか」

「連れてってくれる?」

「もちろん」

「ありがとう、健斗さん」

「どういたしまして。じゃ、今日はもうこのくらいにして寝ようか」

「うん」


 この時間は、どれだけ経っても慣れる気はしない。いや、声かけをすることにそれほど緊張感はないのだけれど、実際に一緒に寝室に入るとなると、意識せざるを得なかった。

 シュカがどう感じているのかは分からない。初日に確認し合ったのだから、まったく感じていないことはないはずだ。

 けれど、一見には意識が見て取れない。俺からアクションをするのは困らせるような気がして、結局よろしくした内容は棚上げになったままだ。いつその話題が持ち上がってきたっておかしくはなかった。

 そんな状況であることも相俟って、緊張感は拭えないのかもしれない。今日もまたそのわずかな強ばりを身に宿しながら、ベッドに入る。


「おやすみなさい」

「おやすみ」


 余計な挨拶は付け加えない。背を向けてすぐに寝入る姿勢に入る。

 これが何も考えていないが故なのか。それとも、意識しているが故なのか。思えば、同じような二者択一を考えることが多い。苦笑いを飲み下しながら、俺は無理やりに目を閉じる。

 これもまた、毎晩のことだった。

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