第4話
息を吐き出して、扉を開いたまま突っ立っていた寝室に滑り込んでベッドに近付いた。これで少しは意識を刺激されないものか。そんな悪足掻きをしていたが、シュカは俺の行動を不思議そうに眺めているばかりだった。
みしりと音を立てながら、ベッドの淵に腰を下ろす。どこまでも不思議そうなシュカを手招きすると、そのままそばへとやってきた。
迂闊。危機感ゼロ。婚約者として信頼してくれているのか。男として認識されていないのか。どちらにしても、不用意であることには違いない。
とんとんと隣を叩くとあっさり腰を下ろすものだから、ますます頭が痛かった。放り出された手のひらに触れると、シュカの肩がぴくりと揺れる。
それは突然のことに驚いたから、ということにしておきたい。頼むから、俺に触れられたことに恐怖したなんてことはありませんように。そんなことはないと思っているし、態度からも分かっている。
それでも、その不安と願いが消えることはなかった。
「分かってるんだよな?」
「……一緒に、寝るってことでしょ?」
囁くような声が、腹の中をくすぐる。ちらりとこちらを窺ってくる瞳が上目になっていて、余計にくすぐったくて微妙に目を逸らす。あちらの焦点も、俺の顔に合っているかというと微妙なところだった。
「意味も、分かってるよな?」
一緒に寝る。
その文字列をそのままそっくり受け取れば、こう何度も確認をしなければならないようなものに聞こえない。
だが、俺たちは婚約者だ。少なくとも、こうして手に触れることをするほどには、互いへのアクションも認めている。先々を考えないわけにはいかない。契約に流されているとはいえ、その中身については自分たちの裁量で決められる。大切なことだ。
「……私、そんなに清廉に見えるの?」
「まぁ、無防備でしょ」
「どこが?」
顔を見合わせず、手を触れ合わせたまま、ぽつぽつと零す。今まで触れてこなかった話題は、どうにもすわりが悪い。威勢がなくなっていることが、しっとりとした湿度に変わり、それもまたすわりの悪さを加速させていた。
「俺が呼べば、ベッドに並ぶじゃん」
「……だって、健斗さんはそんな卑怯なことしないじゃん」
「信用? 異性と思ってないの?」
「私、婚約者ですよ」
「知ってるよ」
「分かってない。婚約者だよ?」
握られてた手のひらの隙間に指が絡まってくる。ぎゅっと握り締められたのは、心臓だったかもしれない。
「それ」
確認する声が掠れていて、咳払いで誤魔化す。何の足しにもなっていなかっただろうが、そうせずにはいられなかった。
「言わせないで」
「……それで、同棲を認めていいのか」
「一人にするの?」
こちらへ住むことが決定事項になってしまっている。シュカのお義父さんの許可だって得ているだろう。この段にならないとこっちに話が下りてないことには文句しかないが、最初に相談されていたとしても同じことにはなっていたはずだ。
俺が同棲を断ると、シュカの一人暮らしがこちらで始まってしまう。この場合、実家で同居という形になりそうだが。
だが、俺はシュカを受け入れられないわけではない。握られた手を握り返した。
「そんなことしないよ」
「じゃあ、問題ないよ」
「……分かった」
「よろしくね」
「ああ」
「分かってる?」
自分が聞いたことを切り返されて、ぎしりと身を固める。ぎりぎりと首を回してシュカを見ると、まなじりを赤くしていた。喉奥が閉まって、返事が出てこない。空いていた手のひらで、顔を覆って吐息を零した。
「シュカが分かっているなら、それでいい」
「健斗さんだって、分かってないといけないと思うけど」
「分かってないわけないだろ」
「……仲良くしてくれるの?」
両親の会話……というより、お袋の発言時点では、そこに到達していないように見えていた。
しかし、こうして口にされると意味深に聞こえる。お袋からもたらされるよりも、ずっと生々しく鮮明だ。シュカが口にすることで、話が深いところへ続いているからだろう。
「……君が望むなら」
「ひどい」
喉を鳴らして黙るしかない。
一聴すれば、シュカの意見を尊重しているように聞こえる。しかし、これは責任逃れしているも同じだ。この場合は、お互いの進展具合を相手に放り投げているのだから、シュカの文句に文句を言えるわけもない。
「……ゆっくり、俺たちのペースで」
非常に情けなかった。惨めだ。
だが、俺たちは今日まで積極的にスキンシップを取ってはこなかった。地球の人口は、異世界に比べると断然多い。そのため、街中を歩いたり電車移動をしたりする際に手を繋いだことはある。だから、手を繋ぐきっかけはスキンシップをしようという基軸ではなかった。
まったくないわけではないだろう。けれど、合理性の優先だ。そんなふうに遠ざけてきたことに踏み出す。それには勇気がいるし、足踏みする。
何より、環境作りを自分たちで行ったわけじゃない。突然、部屋にぶち込まれて監禁させられたようなものだ。自ら飛び込んだものではないものだから、躊躇も強い。心の準備は必要だった。
俺たちは契約で結ばれているだけに過ぎない。もちろん、シュカは結ぶことを肯定している。だが、交わしてしまった以上、嫌になっても取り消しが効かない。そういうものだ。
シュカが本当にこの先を受容できるのか。その躊躇だって、常にまとわりついている。そのため、どうしたって尻込みしたような物言いをしてしまった。不甲斐なさに、シュカの顔を直視することはできない。
「……そうだね」
ぽそりと落ちてきた言葉は、ゆったりと寝室へ落ちた。落ち着かない。そちらのほうが上回っていて、返事が肯定であったことに気がついたのはワンテンポ遅れてからだった。
「じゃあ、そういうことで」
上擦りそうになる喉を絞めて、どうにか発声を整える。
きっと、整えられていなかっただろう。相変わらず、横目で確認することしかできないことも相俟って、動揺はあけすけだったはずだ。
「うん」
小さな頷きを取り零しそうになるほど、五感がいっぱいいっぱいだった。それを取り零さずに済んだのは、頷いたシュカの頭がわずかに俺の肩に触れたからだ。
寄り添うと言うには遠慮がちで、髪の毛が触れているくらいが正しい。だが、その小さな動きが、鼓動を早くする。シュカはそのまま動かない。息が浅くなるような気がした。
寄り添われてはぁはぁ言っているなんて変質者もいいところで、息を潜めようとするとごくりと喉仏が鳴る。これもこれで、変質的で冷や汗が出そうになった。
ただ、このままってわけにはいかないことだけは、脳の真ん中が叫んでいる。俺は自分からも首を傾けて、シュカに寄り添った。横目で窺った視線がばちりと宙でぶつかる。シュカの頬にぱっと朱色が散って、白い肌がきらめいた。
「、よ、よろしく」
他に言いようもなかった自分のなんと情けないことか。
「わたし、も」
格好なんて、とてもついていない。けれど、シュカが囁くように言う声が、自分と同じくらい拙かったから、第一歩にしては上等だと思えた。
それで情けなさが目減りするわけでも、状況が好転するわけでもない。ただひとつ、同棲に臨む真っ直ぐな心意気くらいは、形になって胸に刻まれた。
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