第3話
三階というのは、どう判断をしたものか。
親父たちの力の使い方を思えば、もう少し上階を選びそうなものだが。お金の使い方を覚えろということを言っていたから、適切な階と判断したのだろうか。どれくらいの一般家庭を推定しているのか。まったく分からない。
恐らく、高校生が借りる部屋にすれば、ランクが高過ぎる。アパートの一室がせめて、だ。二人暮らしであったとしても、マンションの三階は高校生には不釣り合いに思えた。
シュカにはそんな基準が備わっていないので、違和感も何もないだろう。自分の慄き方が共有されないことは、孤立無援感を抱かせた。まぁ、シュカだって、親父たちが一方的に押していることは分かっているだろうが。
「健斗さん、ここ?」
「ああ」
「……広いね?」
「シュカもそう思うか?」
まだ扉の前についただけだ。だが、扉の離れ具合などで察するものはある。
「こっちのお家は全部広いと思うけど、こんなところ大丈夫なの?」
少しは俺と近い感想を抱いていたようだ。基準を持っていなくても、感性が近い。だからこそ、俺とシュカは上手くいっているのだろう。そういうことを、こういう些細なことで感じさせられていた。それが三年も続けば、距離が縮まるのも道理だろう。
「大丈夫も何も、もう準備しているって言うしな。入ろうか」
「……甘えていいのかな?」
「婚約者として巻き込まれてると思ってていいと思う」
「巻き込まれたなんて思わないよ。婚約に関わることなら、二人のことでしょ?」
さらっと寄り添ってくれる。当然と言えば当然だろうが、それを当然のように口にできる素直さは得がたい。
ありがたさに苦笑しながら、鍵を開けて扉を開いた。新居の匂いと呼ぶのか。新品の匂いがする。他人の家独特の匂いがなかった。
「綺麗」
確かに汚れはない。そりゃ、最初から汚れているなんてことはないだろうが、整えていることを差し引いても、築年数が少なそうだ。思えば、このマンションが建ったのはそう昔のことではない。五年以内だろう。
「シュカ、スリッパどうぞ」
玄関に用意されているそれを取り出して進めると、シュカはそろそろと足を突っ込んで上がっていく。
シュカはこちらで初めて経験することに、おっかなびっくりの態度を取ることも多かった。そもそも、初体験が多いものだから、相対的によく見るということだろうけれど。けれど、そのそろそろと歩み寄ってくる姿は、見ていて微笑ましい。
それを追いかけて、部屋へと入った。廊下にある扉を開きながら奥へと進んでいく。最初の扉はトイレと風呂。次は小さな書斎が二つ並んでいた。どちらも物置部屋のようなものだ。
その狭さにそこまで違和感を抱かなかったのは、やはり状況に引きずられていたというのが一番大きいだろう。書斎だと判別したこともある。そこにベッドがないことに、深い引っ掛かりも抱かなかった。
それが失敗だったと気がつくのは、リビングダイニングの向こう側にある部屋の扉を開いたときだ。
そこまでも、準備された家具家電の利便性っぷりに飲み込まれてはいた。オーブンレンジは持て余しそうな気がしたし、冷蔵庫も大きい。ソファの広さも座り心地も、それなりの値段がしそうだった。
そもそも、リビングダイニングも広い。その向こうに扉があることもあって、一体何部屋あるのか。そっち側に気を取られていた。
そうして開いた扉の中は、寝室。過分な装飾などない。寝るためだけに整えられている。環境だけならば、きっと大喜びできた。
しかし、どんと中央に収まっているベッドはどう見てもダブル。並べられた枕は二つ。それを目にした途端に、書斎の狭さを理解した。
こうして、わざわざ同衾を促すための外堀のために。何をどう考えても、婚約者として仲良くすることに不埒な意味合いを付け加えられているとしか思えない。
仮に、自分たちがそういうことをする関係性にステップアップするにしたって、こんなふうに親に囲われた状況でなんて真っ平御免だ。一体何を考えているのか。分かりやす過ぎて、片手で顔を覆ってしまった。
シュカがどんな反応をしているのか、恐ろしくて見られない。いくら地球の部屋構造に造詣がなくても、二人暮らしの部屋にベッドがひとつの意味くらいは、シュカだって分かるはずだ。
ベッドの使い方は異世界と言っても変わりがない。そして、数の数え方だって変わりがない。
「健斗さん」
「はい」
改まってしまったのは、かすかに後ろめたさがあるからだ。
ダブルベッドの用意に心労を感じつつも、同衾の想像をしないわけでもない。婚約者なのだ。いずれを思えば、想像してしまうのもやむを得ないだろう。
「……健斗さんは、いいの?」
「……それはシュカのほうじゃないか?」
ここまで先延ばしにしていた。
本来なら、シュカの意思こそ優先されるべきだ。高校入学についてもそうであるし、同棲についてもそうだ。
もちろん、俺の意思だってあるかもしれないけれど。けれど、俺はまだ割り切ろうと思えば割り切れる。
俺とシュカでは体格的にも俺のほうがでかくて、力もそれに倣っていた。運動神経はいいようだが、力押しするタイプでもない。どちらかと言えばお淑やかなほうで、これが豹変して俺を襲うなんて事態でもなければ、男女の生活において肉体的優位はこちら側にある。俺の意見よりもシュカの意見を優先しておかしくない、はずだ。
押し切られている。困惑もしているし、諸手を挙げて大歓迎かと言われると、葛藤だってあった。けれど、環境にメスを入れられているのはシュカのほうだ。
俺はまだ自立するだけに過ぎない。だが、シュカは世界を跨いで引っ越してくるという大仕事だ。この三年間で常識も知識も身についてきたといえど、学校となればまた独自の文化がある。
それに、常識を持っているのとその中で生活していくのとでは、天と地ほど差があるはずだ。
シュカは黙って緩く首を傾げている。この仕草は、シュカが考えるときの癖だった。
「大変ではあるけど……何か、マズいことはある?」
「マズいっていうか、大変の内容は想像ついてるのか?」
「完璧にはついているとは思ってないよ。いっぱい分からないことあるし、そのことでは健斗さんに迷惑をいっぱいかけると思うけど」
「そのことはいいよ。迷惑だなんて思わないから」
「それでも、私が心配しているのはそこが一番だよ。健斗さんだって、大変でしょ?」
「俺はただ家を出るだけだから……そりゃ、大変なことはあるだろうけど、シュカに比べたら大したことじゃないだろ」
「比較で考えるものじゃなくない?」
「この場合は、考えずにはいられないだろ」
確かに、大変さを他人と比較するのは違うだろう。しかし、今回のことには当事者が二人しかいない。どちらかに負担があることは明白なのだ。
「うーん……マズいの?」
首を傾げながら、うんうん考えている。
生活の大変さは想像できているのだろう。だが、マズいと称している詳細には到達していないような気がしなかった。
目の前に置かれているダブルベッドで過ごすことに関して、何も考えていないのか。それも聞いて確かめなければならないことだろう。
しかし、こちらから切り出すことで過剰な意識を印象づけたくはなかった。とはいえ、黙っているわけにもいかない。結局、一番大切なところはそこになるのだから。
ふぅと息を整えると、シュカは不安そうに眉を下げた。俺がよほどマズいことを口走るとでも思っているのだろうか。
「……一緒に過ごすの意味は分かっているか?」
「今までも一緒に過ごしてきたでしょ?」
きょとんとした翡翠の瞳がぱちぱちと長い睫毛に見え隠れする。
確かに、一緒に過ごしてきた。だが、それは一日のデートでしかない。そりゃ、自宅にかなり遅い時間まで滞在していたことはある。扉を潜れば帰れるのだ。終電などを考える必要もなかったので、あるときは日付が変わっていたこともあった。
だから、普通の中学生のデートとしては規格外ではあるだろう。シュカの言い分も分からんでもない。
だが、もっとも大きなところが目の前にある。
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