第2話
待ち合わせ時間は何もなければ、午前十時。シュカはいつも、礼儀正しいノックをしてやってくる。
「いらっしゃい」
「お邪魔します、健斗さん」
呼び捨てでいいと言ったはずだが、出会ったときからさん呼びは変わらない。
扉を潜ってやってきたシュカの金髪は随分伸びた。肩口ほどだった髪がロングヘアになって、ハーフアップの髪型は似合っている。
そこに揺れている髪留めは、俺が中学の修学旅行で買ってきたものだ。京都で見繕ったそれは、赤と白の花が複数個連なった着物の生地のような布で作られた花飾りだった。
「今日はどうするの?」
ことりと首を傾げると、長い毛先が揺れて胸元へ垂れる。三年で髪の毛も伸びたが、それよりもずっと胸が成長した。口に出すことはないが、その成長に触れないほうが不自然過ぎるほどには膨らんでいる。
重ねて言うが、口に出すことは決してないが。
「今日は親父から話があるらしい」
「お義父様から?」
自分の親父に様付けをされると、むず痒くてしょうがない。父と呼ばれていることには、もう慣れている。出会ったころから婚約者になったため、そのころからずっとお互いの両親を義両親として呼び合っていた。
「ああ、何か面白そうな顔をしていた」
親父がそうなるときは、こちらにとっては面白くないことが多い。それを感じて渋くなる俺を尻目に、シュカは目を瞬いていた。
「面白いお話?」
「俺たちにとってそうかは分からないけどな」
「お義父様は、そんな無茶苦茶なことを言う人じゃないでしょ?」
「どうだろうな」
シュカは迷惑に思っていないから、無茶苦茶だとも思っていない。ただ、そうなだけで、親父は出し抜けに食事に連れ出しそうとしたり、予定を壊すことはある。無茶苦茶と言うほどの破壊者ではないが、それでも無理を通すことはあった。
シュカは気にしていないというよりは、気に留めてすらいないらしい。おおらかなのはいいが、この場合は少し抜けている。
シュカにはおっとりとしたところがあった。空気感が緩い。それは柔らかくてシュカらしいいい部分だが、抜け感だと思うと不安になる。守ってやらなくては、と柄にもない心を刺激された。
そんな呑気なシュカを連れて、親父の待つ和室へと向かう。どれだけ面倒事が危惧されても、当主からの呼び出しだ。
この交流は婚約者とのプライベートなものだが、同時に世界の平定もかかっている。親父からの横やりを徹頭徹尾無視するわけにはいかない。
抱きしめてやれだの何だのというふざけた茶化しは知ったことではないが。だが、こうして予定を押さえられるということは、一応言うべきことがあるのだろう。
俺も今年の春から高校生になる。今はその狭間で、中学生とどちらに付属するのかよく分からない時期だ。
初めて異世界と交流を持ったのも小六の終わりと中学生入学の狭間だった。同じ時期の話が無意味ということはあるまい。
和室について、膝を折る。俺の後ろでシュカが同じようにしていた。日本のマナーも身についてきただろう。一歩下がってついてくる、という古式ゆかしい大和撫子のような振る舞いもあった。
俺は特に亭主関白気質なんてないはずだが、こうしてお淑やかに追従してくれるのは悪い気はしない。いつだって俺に合わせて欲しいなんて微塵も思わないが、こうして半ば公式な会見に同席する婚約者としてはありがたかった。
まぁ、俺にとってはただの親父だが、シュカにとっては異世界の交流家庭の当主だ。改まってマナーを守るのは当然なのかもしれない。
ノックをすると
「入れ」
と低い声が答えた。
どうやら真面目モードらしい。こちらも、いつもより背筋が伸びる。
襖を開けると、親父の隣にはお袋もいた。これは本格的に真面目な話らしい。それも多分、婚約者的な意味合いで。
「失礼します」
お辞儀して入るのは、続くシュカの手本になるためだ。緊張を解く意味もあるかもしれない。同じ立場の人間がいるだけで、いくらか気は落ち着くものだ。ちなみに、異世界には他種族が混在しているらしいが、シュカはれっきとした人間だった。
二人揃って室内に入ると席に着く。シュカは正座すら俺に倣った。
「シュカちゃん、そんなに改まらなくったっていいのよ。足も崩して」
「はい。お言葉に甘えます」
異世界の生活様式は、どちらかと言えば外国のほうが近いだろう。畳はない。床に座ることにも、当初は戸惑っていたくらいだ。正座は未だに苦手らしい。
足を崩したシュカは、ワンピースの裾を直して前へ向き直った。それをきっかけにして、親父が口を開く。
「何度かシュカちゃんのお父さんと話して決めたことがある」
前置きも何もない。本題の切り出しが早いのはいいが、この辺りに振り回す突発性が見え隠れしている。どれだけ当主然としていてもそうした部分を見てしまうのは、家族だからだろうか。
シュカは静かに耳を傾けていた。親父は淡々と言葉を続けていく。
「そろそろ、もっと交流の時間を持ってもいいのではないか、と思っている」
「今も十分、遊びに連れて行っていただいていると思いますが……」
そりゃ、異世界での外出に比べれば、地球での外出は満足度も高いだろう。だが、十分と呼べるほど、会う日が多いとは思えなかった。
「それでも、まだ婚約者として仲良くしているとは言い難いいんじゃないのか?」
そう言って、俺だけに目配せをしてくる。婚約者としての仲良く、に意味深さを感じるのは気のせいだと思いたい。
「婚約者として、ですか?」
シュカはその意味深さを思いつかないようで、きょとんとしている。その無邪気さに、余計なことを言い出さないかとハラハラした。
俺が言うならまだしも、親父が言うのはひどいセクハラだ。しかし、今ばかりは真面目モードのままらしい。親父が名家の当主であると理解はしているが、俺にしてみればどうしても中年親父で心配は拭えなかった。
「今はまだ、生活をともにしてはいないだろう? 結婚したら同居になる。シュカちゃんはこちらへやってくるつもりなのだろう?」
お互いに婚約者の自覚はある。しかし、将来の展望を話し合ったことはない。初耳の情報に、俺はシュカを見て目を瞬いた。
「嫁ぐのですから、地球に来るものだと思っています」
親父に言い切るシュカの発想は、おかしなことではない。ただ、世界を跨ぐとなると、同一に語っていいものか。海外でも躊躇するだろうことを易々と口にするシュカは、覚悟が決まっている。
「なら、もうちょっとこっちで健斗と二人で生活することに慣れたほうがいいだろう」
「それはまぁ、そうだろうけど……どうするつもりなんだよ」
言いたいことは分かるが、今とどう生活を変えるというのか。学校と生活。それぞれに忙しくしている。今以上とするのは、実際問題として難しい。
尋ねると、親父はにこりと深い笑みを浮かべた。解決策を持っている。そう思えればいいのだろうが、嫌な予感しかしなかった。これは家族間の距離だからこそ感じられるものなのだろう。
シュカは変わらず、静かに話を受け入れていた。
「学生生活をしてみるつもりはないか?」
「……高校ってことか?」
異世界で学校に通えるのは、貴族などになるらしい。俺たちは異世界と一口に呼んでいるが、異世界とはいくつもある。
シュカの世界では、一部の人間にしか許されていない階級特権らしい。そのため、最初は俺が学生生活していることに随分驚いていた。それを提案されたシュカは、面食らっている。
「お前と同じ高校へ入学手続きをしようかと思っている」
「ちょっと待て。試験とかそういうのはどうするんだよ」
「留学生の受け入れ制度を使う形で、話を通している」
「それ、試験が免除されるわけじゃないよな?」
「話をつけるにあたって、色々とある」
……一般に、それは裏口と言うのではないか。
怪しさはあるが、異世界との折り合いにそうした手口を応用することは仕方のないことだ。地球の条理から外れた世界のものと折り合いをつけようとすれば、こちらでは狡知な画策を行わなければならないこともある。
すべてをスルーするには、越えてはならない一線はあるだろう。よほどの倫理観に抵触するのなら、俺だってここまで冷静に聞いてはいられない。
シュカはその卑怯さを理解することはないはずだ。それでも、驚きが隠せないようだった。
「そして、同棲生活して過ごしなさい」
「は」
声を出したつもりはない。漏れただけに過ぎない音は掠れていた。シュカもぽかんとしている。
言葉は理解できた。しかし、中身はてんで理解ができない。何より、決定事項として伝えられたことで、脳がバグる。
「家計のやりくりを覚えるという点でも、試用期間のような形で、二人だけで過ごしてみなさい。マンションの一室を借りてあるから」
「ま、て。もう、借りてるのか?」
掠れてからからになっている喉を無理やりに震わせた。決定事項にしても、お膳立てができすぎている。
こっちの置いてけぼり具合などお構いなしで、親父どころかお袋までにっこりと笑っていた。息子の彼女にはしゃぐような真似をするな。恥ずかしい。居たたまれない。そう思いながらも、動き出すことはできなかった。
その間に、親父が机の上に鍵を置く。何か、なんて聞くまでもない。分かりきっていた。それでも、バグった脳では鈍い反応しかできない。
「もう部屋の準備もできているから、様子を見てきなさい」
「足りないものがあったら、自分たちで賄うようにね。言ってくれればお金は渡すから、遠慮しなくていいわ。シュカちゃんに苦労させないように整えてあげなさい」
さらさらと告げられる金に物を言わせたような準備のよさに、自分が名家の生まれだと実感する。こんなふうに翻弄されることで知らされたくなかった。
「気をつけていってこい」
俺たちが一切返事をしていないことなど、気にも留めない。我が両親ながら、こうも押しが強く、無神経だったか。いくら俺たちが流れに身を任せるしかないとしても、反応くらい鑑みて欲しい。
「シュカちゃん、お部屋好きにしてちょうだいね」
「え、っと、あの、はい?」
恐らく、俺よりも理解できていないはずだ。俺の場合は理解を拒んでいるが、シュカの場合はどういう仕組みで進んでいるのか分かっていない。
にもかかわらず、勢いで頷いてしまっている。おいおい、と思いつつも、撥ね除けろというのも難しい。
俺だってお義母さんに振られてしまったら、おおよそのことには頷いてしまう。どれだけ慣れていると言ったって、義両親にまったく気を遣わずにいられるほどではない。
ましてや、お互いに知らない土地に住んでいる相手だ。自分が芯から理解していないことを言われても、あやふやになってしまうところがあった。今のシュカもそれだろう。
「ほら、健斗。場所はここだ。分かるだろう?」
出されたパンフレットに描かれているものは、駅近のマンションだ。自宅からもそう遠くはないし、場所は分かる。だが、そういうことじゃない。俺は唖然としたままでいた。
「急だろ……」
絞り出せたのはそれだけだ。激しく否定するのは、シュカを拒絶するかのようで躊躇う。その心境も分かるからこそ、封じ込めのためにシュカを同席させたのではないか。それを疑うほどに、用意周到さだった。
「こういうのは、いつ言っても急になるだろう。時間を無駄にしない」
「強引っていうんだよ」
「シュカちゃんと一緒に過ごすのは嫌なの?」
親父と違って、お袋の発言に計算はないだろう。ごくごく自然な問いかけだ。しかし、それが一番俺を黙らせるのに攻撃力が高い。
「そうは言ってない」
「じゃあ、いいじゃない。見てらっしゃい。家具も入れてあるから、すぐに過ごせるわ。引っ越しの準備もしなくちゃね」
こちらの意見を聞くつもりはないようだ。こうなると、もうどうにもならない。
深い息が肺の奥から零れ落ちた。肩を落とす俺に、シュカもようやく不思議さを感じ始めたようだ。不安そうにこちらへ目を向けてきた。ここでシュカを不安にさせて、同棲についての所感を両親の前で言い合うつもりはない。俺は脱力をしたまま、鍵を受け取った。
それで両親は納得したと思ったのだろう。満足そうな顔でいた。分かりやす過ぎる。
「シュカ、出かけようか」
「お部屋を見に行くの?」
「もちろん。住む場所は見ておきたいだろ?」
「うん」
シュカがどこまで理解できているのか。ここまでさらりと頷く思考を確かめたいが、それも両親の前でやるつもりはなかった。立ち上がった俺に、シュカも続く。
「いってらっしゃい」
見送ってくる母親に、シュカは頭を下げてから俺の後を追ってきた。
どうしたものか、と考えながらも、こうなるとマンションに行くより他にどうしようもなさそうだ。話し合うのもそちらでいいだろう。
もう借りてしまって準備もしているという。シュカとタッグになってグダグダ言ったところで、通じるとは思えない。諦め半分で、マンションへと連れ立って出かけた。
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