第5話 味方

誰にも頼らず何でもできる女、それが山上渚が目指していたもの。

 空手を習い始め、男性が相手でも引けを取らないほどの実力を身に着けていた。

 小柄でもともとはスポーツすらも苦手だった渚が何故その道を選んだのかはもうすでに彼女すらも覚えていない。


 現状、

 新堂彩花と精神が入れ替わってしまった彼女は今の姿に苦労していた。


 心が入れ替わっただけで身体までも頑丈になったわけではない、よって何をしてもすぐに疲労が襲い掛かってくる。

 運動神経などは感覚でカバーできるがいろいろと制限されている。

 といってもこの女性が激しい運動をする場面などそうそうない、穏やかで物静かな彩花が渚のような行動を起こすなどありえない。


――――どんなことがあってもアタシは演じなきゃいけない。


 新堂彩花像を壊さないために。






「でだ、何故お前がまたこうして呼び出されたかはわかるな?」

 昼休みに広人は職員室に呼び出され、生活指導の須藤と面談するのももう恒例になってしまっていた。

 周囲の教師たちも気にすることもなく昼食をとっている。


「先生俺のことお気に入りッスよね」

「好きで呼んでるんじゃないっ」

 原因は昨日提出した進路希望の用紙、出さなければ呼び出されるし提出したらしたで呼ばれる、結局未来は決まっていた。

 須藤は人差し指で彼の出した用紙に触れる。


「第一志望、伝説の男」

「やっぱ夢はでっかくいかなくちゃッスよね」

 一度ため息をついた須藤はゆっくりと指を動かす。


「第二志望、最強の男」

「やっぱ男の憧れッスよね」

 呆れ切った須藤は静かに指をスライドする。


「第三志望、一般人」

「やっぱ普通が一番ッス」

「それでいいんだ、それでいいんだが挫折の仕方が半端なさすぎるわ」

 二と三の差が激しすぎて何とも言えない様子だった。

 適当に書いたのは教師も気が付いてはいるが内容が内容だったようだ。


「ところで先生」

「なんだ」

「和久…三島は何て書いてたんスか?」

「…」

 無言で引き出しを開けて一番上の書類を取り出す、その様子からすると和久は広人の前に呼び出されたようだ。

 もう一人の問題児は一体どんなことを書いているのか。


 第一志望、社会人

 第二志望、アルバイト


「アイツがまともなことを書いて…」


 第三志望、世界征服


「二と三の間に何があった」

「先生が聞きたいわ」

 和久は彼と違って挫折を繰り広げたあと大きな夢に向かおうとしていたようだった。







 昼休みを結構奪われた広人は購買部で残り少ないパンを購入し、教室に戻りながら昼食をとることにした。

 歩きながら窓の外を見ると一年だろうか、態度の悪そうに騒いでいる。

 進学校とはいえああいった生徒がいてもおかしくはない、彼自身がいい例だ。

 ただ少し最近目立ちすぎている気がしていた。

 だからといって彼が周囲をどうこうするわけではない、どちらかと言えば好きにやればいいといったスタイルだ。



「あ、やっと帰ってきた」

「なんだ麻宮か」

 教室に入るとクラスメイトと喋っていた麻宮香奈が彼の方へとやってくる。


「どうせ進路の件でしょ?何て書いたのよ」

「…麻宮」

「なによ」

「俺は世界を滅ぼそうなんて考えてないからな」

「…なに言ってんの」

 そう書いた張本人はおそらく寝心地がいい場所でも探し求めて出て行ったのだろう。


「そういう麻宮は何て書いたんだよ」

「普通に進学」

 本当に普通だった。


「お前なら砲丸投げの選手とか狙えると思うぞ」

「は?」

「机とかよく投げるじゃん」

「アンタ達だけにねっ!」

 机を持ち上げて放り投げられる女子生徒なんておそらくこの女だけだろう。


「香…麻宮さん」

 一瞬にして周囲が静かになり、声のする方へ視線を向けると渚が大きな辞書を持って立っていた。

 あの新堂彩花がB組にいる、それだけで注目を浴びるこの存在感。


「あっ彩花、って香奈って呼んでって言ったじゃん」

「えっと…はい、香奈…ちゃん」

 なんだろうこの爽やかな青春臭のする空間は。

 渚からすれば一つ先輩の香奈を名前呼びをするのは結構抵抗があるだろう。


「朝言ってた辞書、持ってきました」

「おー!ありがとー!」

 丁寧に扱っているのか、渚が持ってきた辞書は汚れ一つ見つからない。


「麻宮」

「なによ」

「枕にするにはちょっと大きすぎないか」

「アンタと一緒にするな」

 そんな会話をしていると周囲のざわつきが少し落ち着き、こちらに向けられる視線もなくなってきていた。

 問題児とギャルとお嬢様という不釣り合いな関係だが、最近ではこのメンツでいることが多く、生徒たちもそれを目撃している。


「ちょっと便所行ってくるからヒロ、辞書持ってて」

「便所とか言うな」

 いろいろとツッコミどころがあったがひとまず香奈から差し出された辞書を受け取っておく。



「全くアイツは…」

「…」

 未だ自分の教室に戻ろうとしない渚、このまま彼女が戻ってくるのを待っているつもりだろうか。


「ねぇクズ男」

「なんだクズ男の妹よ」

 もちろん周囲には聞こえない声量で話している二人、渚はいつもの彩花フェイスだ。


「最近一年の男子見た?」

「ああ、結構態度でかい集団がいるな」

 ちょうど先ほど見たところである。

 普段から他の生徒のことなど気にかけていないし、気にしようとも思っていない。


「アンタからしたら気に食わないんじゃない?」

 校内一問題児として見過ごせないのでは、とでも言いたげな渚。


「ん、いや全く興味がない」

「なんで」

「別に俺は問題児になりたくてなってんじゃないからな」

 ただ自分が楽しみたい、好きにしたいからしているだけであり今の立場に誇りを持っているわけではない。


「…そう」


 一度、渚にバレない程度でため息をつく広人。

 彼女の本当に聞きたかったこと、言いたかったことはそこじゃないことに気づいていた。

 詳しい内容までは理解していないが、言い出せないことまで彼は聞き出すつもりはない。



「ごめんごめん、いやぁ便所が混んでてさぁ」

「…道が混んでたみたいに言うんじゃねぇよ」

 戻ってきた香奈に預かっていた辞書を渡す。


「ん、彩花どした?」

「え?」

 渚はいつもの彩花スタイルだが少しだけ表情が暗くなっていたことに香奈は気づいた。


「まさかヒロに変なとこでも押された?」

「どこをだよ」

 それを言うなら変なことを言われたか、だ。


「い、いえ何でもないですよ、ちょっとボーっとしていただけです」





 山上渚が苦手とすること。

 誰かに助けを求める行為、弱音を吐く見せる、要は強い女性を目指していた。


 渚が一年生として入学した時、態度の悪い新入生に絡まれていた中学からの友達を助けたことがあった。

 小柄だが兄と同じように目つきが悪く、言葉遣いも男以上に男らしい。

 女子生徒が男子生徒に回し蹴りを食らわせて気絶させた、はしばらく話題になっていた。

 そこで渚は上級生達にこう思われた。


 さすがは山上広人の妹。


 悪かったのは男子生徒だったため彼女は責められることはなかったが兄が彼とわかった時の教師の反応は「…あぁなるほど」といった表情だった。


 そこから連中は目立つような行動は見せなくなった。

 この高校には有名人がいて、同じ学年にその妹がいるからだ。


 彼らが活発になりだした理由は簡単、渚が入院して学校にいないから。


――――めんどくさいことにならないといいけど。


 授業中、窓の外を眺めながら渚はそう願った。







「相棒、帰ろうぜ」

「今日は病院だ、あと相棒言うな」

 ホームルームを終え、和久が帰宅に誘ってくる。


「そっか、妹さんの容態はどんな感じなんだ?」

「頭を強く打ってるからな、でもまぁお前ほどじゃないから心配するな」

「おいおい、それじゃ俺が頭おかしい子みたいに聞こえるじゃないか」

「…え?」

「いや、気づいてないの?みたいな表情やめてくれ」

 和久は和久で彼の妹のことを心配してくれている。


「ヒロ」

「麻宮か、どうした」

「はいこれ」

 カバンを持った香奈が彼に渡したものは数時間前に見た辞書だった。


「麻宮、これで和久をドついても治らないぞ」

「知ってるわよ」

「治らないとか言うな、あと知ってる言うな」

 広人と香奈の会話にツッコミを入れる和久は置いておいて、この辞書を渡される意味がわからない。


「ちょっと先生に呼ばれてるから彩花に渡しといて」

「は?自分で行けよ、なんで俺がお前のパシリをさせられ…」

「行け」

「はい」

 対問題児、耐有名人、これが彼女が有名になった理由である。




 香奈と和久と別れた彼は隣のクラスへ向かう。

 扉を開けた瞬間、放課後のトークタイムに花を咲かせていた生徒達が一瞬言葉を失う。

 彼と目を合わせないように視線を逸らせながらそそくさと教室を出ていく。


「あ、新堂いる?」

 横を通り過ぎようとした男子生徒に声をかける。


「え、えっと…新堂さんならしょ…職員室です」

「ありがと」

 彼は軽く笑顔を見せA組の教室を出る。

 返し損ねたら後が怖いのでしかたなく渚を探すことにした。





 

 担任に書類を提出し終えた渚は教室に戻る途中人だかりができていることに気が付いた。

 どうやら外で何かが起きているらしく、野次馬達の後ろを通るついでに横目で窓の方へ視線を向ける。


「…え」

 進めていた足が止まる。

 一年の男子生徒五人が女子二人を囲んで絡んでいる。


「美奈と…舞」

 彼女らは渚の友達で学校にいるときはいつも一緒にいた。

 外の騒がしさが中にも響いてきている。



「お前らのボディガード意識不明なんだってなぁ」

「な、渚はボディガードじゃなく友達…」

「あの女にもらった蹴り、忘れてねぇからな」

「それはアンタ達が悪いんでしょ…っ」

 これまで彼らが目立つ行動を起こせなかったのは山上渚がいたからであり、今大きな顔ができるのはその彼女が学校にいないからだ。

 兄の広人と違って渚は生徒達から怖がられているわけではない。

 むしろ男子生徒に立ち向かえるその姿に憧れを持つ者もいる。


「…っ」

 飛び出して助けに入りたい気持ちを渚は必死で堪える。

 行けない理由はただ一つ、彼女は今新堂彩花だからだ。


 この騒ぎだ、教師が来るのも時間の問題だがそれは解決にはならない。

 明日、また明後日がやってくる、注意を受けた連中が大人しくしているわけがない。

 

 ここで飛び出してしまえば新堂彩花のイメージを変えてしまう。

 元に戻った時苦労するのは渚ではなく彩花だ。


 目に涙を浮かべて対抗する友人達をただ見ているだけしかできない渚。


「いたいた」

 そんな時彼女に声をかけたのは兄の広人だった。







 彼女を見つけ出すのは簡単だった。

 職員に向かうため一階を歩いていたら外が騒がしいのか、窓周辺で野次馬ができていた。

 その中で、後ろの方で俯いている渚がいた。


「いたいた、探してたんだよ」

「…アンタ」

 周囲は外に夢中でこちらの会話など聞いていない。


「ん、あれお前の友達じゃん」

「…」

 彼女が何故下を向いて震えていたのか、彼はそこで気づいた。

 助けに入ってやりたいけど行けない、行けば新堂彩花のイメージを崩すことになるからだろう。


「まぁいいや、渡すものがあったんだよ」

「…まぁいいや?」

「ああ、俺には関係ないだろ」

「あれを見て何とも思わないの?」

 だったらこの野次馬達はどうなのだろうか、後のことに怯え助けに入ることもせずただ見ているだけ。


「俺は正義の味方じゃないんでな」

「…っ」


 山上渚は人に頼ることをしない、それは兄である彼が一番知っている。


「クソ…野郎」

「ははっ、もう言われ慣れてるねぇ」

 唇を噛んで苛立ちや悔しさを抑える渚。


「お前は助けを求めるの嫌いだもんなぁ」

「…」

「そういう性格の自分を恨むんだな」

「…ねぇ」

 俯く彼女に追い打ちを何度もかける。


「アホらしい、誰が好き好んで面倒ごとに首を突っ込むかよ」

「…お願い」

 彼は渚に背中を向ける。


「もう一度言うが俺には全く関係のないことだ」

「あの子たちを…」

「こっから先は教師に何とかしてもらうんだな」

「あの子たちを助けて…、ヒロト」

「まかせろ」

 その瞬間、彼は投球ポーズをとる。


「オラァアアア!!!」

 彼が本気で投げた辞書が生徒たちの間を通り過ぎていく。


「うわっ!!」

 外にいた男子生徒が間一髪で避けたその物体はすでに見えない場所へと飛んで行った。

 野次馬をかき分け、彼は窓に手を置いて勢いよく外へと飛び出した。



「おいコラ一年、何やってんだ」

 相手は五人、普通なら不利な状況。

 そう【普通】なら。


「あなたは渚の…」

「お…お兄さん」

 彼女たちとは一度会話をしたことがある、渚が事故にあった後のことだ。


「や…山上広人」

 一同の表情が恐怖に変わる。


「先輩、が抜けてるぞ後輩」

 相手が何人いようが絶対に引かない広人、それが恐れられる理由の一つでもある。


「な…何スか、アンタには関係ないでしょ」

「そうだな、でも悪い、理由なら今できた」

「…は?」

「妹を悲しませんじゃねぇよガキ共」

 その瞬間我慢していた渚の友人たちの目から涙が零れ落ちる。


「はは…っ、その歳で妹、ですか??」

 何とか立ち向かおうとする後輩、広人はすぐ近くにあったベンチに手をかける。


「シスコンなんだよ俺は」

 右腕に力を入れてベンチを思いっきり投げ飛ばす、状況がありえなさ過ぎて後輩たちは一歩も動くことができなかった。

 当然当てるつもりのなかったソレは彼らの手前で転がり落ちる。


「お前ら、顔覚えたからな」

「え…?」

「今度妹の友達にちょっかいかけてみろ」

 そして彼は一番言いたかったことを口にする。


「授業中、外、家、全てにおいて気の休まらない生活を送らせてやる」

「…っ」

 噂でしか聞かなかった山上広人の怖さを身に染みて実感した彼らは言葉にならない叫びをあげて逃げて行った。



「ありがとうございます、お兄さん」

「助かりました」

 毎日ちょっかいをかけられていたのだろう、心の底からほっとしているのが見てわかる。

 二人を助けた彼は決して正義の味方なんかではない。

 ただ――――。


「俺は妹の味方だからな」

 まるでいたずらをした後の少年のような笑みを浮かべて彼は二人に呟いた。


 そして彼はポケットからマジックを取り出し、投げてボロボロになったベンチに文字を書きだす。


【三島参上】


「よし、じゃあな二人とも」

「え…、あっはい!」

「本当にありがとうございました」

 やることを終えた彼は教師が来る前にさっさとその場を去っていくのだった。







――――俺は妹の味方だからな。


「ホント…、バカじゃないの」

 彼本人は気づいているのかいないのか、外の会話がここまで届いていた。

 兄が去ったあとの彼女の友人たちの安堵している姿を見てホッとする渚。


「やっぱすげぇよな山上っ」

「あの人に目をつけられたってことはもう終わりだな、あの一年達」

 周囲の反応から見てわかるように広人や和久は生徒達から嫌われているわけではない。

 次はどんなことをやるのか、などと実は人気があったりもする。


「…そっか」

 彼に助けを求めたことの悔しさは一つもなかった。


 誰にも頼らないこと、何でもできる女、それが彼女の求めていたものではなかった。


 【山上広人の妹】

 彼の妹だからこそ強くありたい。

 渚はその力がほしかった。


「ふふ、ホント気持ち悪い」

 これだけは絶対に兄には知られたくないこと。



 そして彼は、香奈から受けた任務を果たせなかったことにより、翌日教室でとんでもなく怒られることとなったのだった。

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俺の物語のヒロインが妹だなんて認めない! @hiroma01

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