第4話 兄の好きな人


新堂彩花に成りきって生活している山上渚は現在、病室で意識を失っている本体を一度も目にしたことがない。

 兄である広人にも告げたが、痛々しい自分の姿を見たいとは思わない。

 ただ彼女には気になっている点があった。

 この姿でいる以上、あの本体は目を覚まさないのじゃないか、それとも彩花は渚として意識を取り戻すのではないか。

 いずれお互い元に戻った時に備えて渚は今も学園のマドンナを演じ続けていた。





 2ーAでの授業はとても穏やかで静かなものだった。

 訂正、それは2ーAの中での話。


『ぎぃやああああ!』

 となりのB組から男の悲鳴が聞こえる、あの声は恐らく英語の教師。

 周囲の生徒達は<またか>といった表情であまり驚く様子がない、かという彼女、渚も最近では慣れてきてしまっている。


『誰だ!チョークをラムネに変えたやつはっ!!』


――――そう、隣のクラスには兄がいるのだ。



 和名高校の超問題児、山上広人は渚の兄でありこの学校で彼と彼の友人である三島和久を知らない生徒は一人もいない。

 進学校とはいえヤンチャな生徒がいないわけではない、ただ彼らが特別であり別格なのだ。


「…はぁ」

「新堂さん、どうしたの?」

 無自覚でため息が出ててしまっていたことのに気が付いた隣の席の女子生徒が彼女を心配する。


「い、いえ何でもありません」

 有名人を持つ身内は大変である。










「とうとうこの時が来たな広人」

「ああ、来てしまったな」

 変わって2ーB、名の知られた二人が深刻そうな表情で窓の外を眺めていた。


「…」

 それを真後ろで無言で見ている麻宮香奈。


「俺はさ、持たざる者なんだよ」

「広人…、お前まさかっ」

「悪いな和久、俺は行かなければいけない」

 友人に背を向ける広人。


「で、アンタ達は何の話をしてるの」

「昼飯」

「昼飯」

「…」

 昼飯を持ってきているか持ってきていないかの話であった。


「まぁいいや、そこのバカ共付いてこい」

「和久とひとくくりにされたくないんだが」

「それを本人の前で言うのはどうなのかね広人よ」

 この二人をこんな扱いをできるのは香奈だけであり、彼女もまた有名人だ。




 快晴、雲一つない青空の下。

 購買部でパンを数個と飲み物を購入した広人は香奈に伝えられていた場所へと到着する。


「…」

 始めからおかしいと思ってはいた。

 同じクラスの香奈がわざわざ教室ではなく中庭で昼食を取ろうと言い出した時に違和感がなかったわけではない。

 たかだか昼飯、その言葉が『まぁいいか』という気分にさせてしまっていた。


「こんにちは、山上さん」

「なぎ…新堂もいたのか」

 以前クレープを食べに行った時から仲が良くなったと香奈が言っていた。

 【新堂彩花】と仲良くなるのは問題ない、ただあるとすればそれは中身の問題だ。

 この学園のマドンナを動かしているのは今、彼の妹の渚。


 和久と彼女は初対面だが、広人が到着する前に自己紹介は済ませたようだ。


「さっさと食おうぜ相棒っ」

「言われてるぞ麻宮」

「コイツが相棒とか、死を通り越して無になりたいわ」

「無茶苦茶言いますね!」

「ふふ」

 彼らのいつもの光景に渚はおしとやかに微笑むがこれも彩花の完全コピー、しかし彼は少しずつ見抜けるようになってきた。

 演技だが実は楽しんでいる、演技だが実は怒っている、等々。




「で、そん時担任がなぁ」

「え~なにそれっ」

 前方で盛り上がる香奈と和久。

 隣では間違いなくプロが作ったであろう豪勢な弁当をゆっくり口に運ぶ渚。


「すげぇなお前んとこの弁当」

 もちろん彼ら二人には聞こえないほどの声量で渚に話しかける。


「フランス料理よ、アンタのは?」

「フランスパンよ」

 兄妹にしてこの差である。


「にしても麻宮先輩すごいわね」

「何が」

「A組に堂々と現れて大声で誘われたわ」

「ああ、コイツはそんな奴だ」

 山上広人と三島和久を扱える女が普通なわけがない、その時の様子が想像できる。


「マジでカップラーメン食べたい」

「お前好きだもんな…」

 渚が家にいた時はよくゴミ袋に彼のではない容器が捨ててあった。


「まぁその内俺が食わせてやるよ」

「きっしょ」

「笑顔のままそのワードはやめてもらえますか」

 表情を崩さないまま暴言を吐ける特技を渚は完全に身につけていた。



「ところで相棒」

「相棒じゃねぇけど、なんだ」

「そういやお前、好きな奴とかいんのか?」

「…っ」

「…」

 急に青春している学生のノリになる和久、こんな話題はこれまで一度もしたことがない。

 誰が聞きたがるんだ、とため息をつきながら見渡すと興味津々な眼差しの香奈と無言で耳を傾ける渚の姿があった。


「…い、いねぇよ」

 否、いるのにはいるがその存在は偽物。

 彼が淡い恋を抱いているのは新堂彩花であって隣にいる彼女ではない。


「だよな、いたら腹下すわっ」

「腰抜かす、ね」

 頭の悪い和久にすかさツッコミを入れる香奈。


 山上広人に色恋沙汰など似合わない。


「…」

 何か悟った渚は不満そうな雰囲気だったが口を開くことはなかった。


「さてはあれだな、お前妹さんが好きなんだなっ!」

「ごふっ」

「…っ」

 話題を広げようとするのはいい、だけど時と場合を選んでほしかった。


「そういやヒロ、渚ちゃんが事故にあってからしばらく元気なかったもんね」

「あぁ~、えっとそりゃ身内が…」

 香奈もこの話題に便乗する。


「へぇ山上さん、妹さん大好きなんですか?」

 よくそれを妹である自分が言えるものだ。


「そんなんじゃねぇって、妹は妹だ」

 さっさと話を終わらせようと適当に流そうとするが、和久が阻止する。


「じゃあ妹さんに彼氏ができたらどうすんだよ」

「とりあえず俺を倒してから彼氏を名乗れ、と伝える」

「シスコンじゃねぇか」

「シスコンじゃん」

 例え仲の悪い兄妹であろうがそこは譲れない広人であった。


「ん、彩花どした?顔赤いけど」

 いつの間にか彼女を名前で呼ぶようになっていた香奈が不思議そうに顔を覗かせる。


「あっえ?いや、えっと大丈夫です!」

 香奈が友達になった新堂彩花は実は彼の妹の渚だなんて思いもしないだろう。



「ああっもうこの話題は終了だ!」

 こういう話に慣れていない広人は無理やり話題を変える。


「じゃあ次は朝からチャック全開の和久の話題で盛り上がろうぜ」

「閉めたら終わりだよな!その前に気づいてたなら言ってほしかった件!」



 きっと周りからすればおかしな組み合わせでしか見えていないだろう。

 学園一問題児の広人と和久、その二人を扱えるギャル風の香奈、そして清楚という言葉が似合う新堂彩花(渚)。


 彩花がこれまでどういう友人関係を築いてきたかまでは彼も知らない。

 だけど普段堅苦しい生活を送っている渚が少しでもストレスが解消されるのであればこのメンバーはありかもしれない。

 そこは素直に香奈に感謝するべきなのだ。


 いくら渚にバカにされようが邪見にされようが彼は兄なのだ、こればかりは誰にも変えることはできない。


 渚と彩花の精神が入れ替わってしまったのが神の悪戯だったとしても、曲げようがない事実なんだから。









 夕食が終わり、入浴を済ませた渚は自室に戻り机に向かう。

 彩花の父は既に他界しており、大きすぎる会社は彼女の母が引き継いで全てを支えていた。

 当然多忙で、渚が顔を合わしたのは事故にあって新堂彩花として目を覚ました日だけだった。


――――まぁだからこそバレないで済むんだけど。


 この屋敷にはメイドが数人、いつも監視されているようで気が休まらない。

 自室でのんびりできるのが唯一の至福の時。


 昼間、兄達と昼食をとった時のことを思い出す。


「アイツに好きな人、か」

 広人の悪名は耳にタコができるほど聞くが、そういった話は全く入ってこない。

 あの男がどんな女と付き合おうが何とも思わない、が渚はあの時の彼の歯切れの悪さが気になっていた。


「…どうでもいいか」

 知ったところでどうなるもんでもない、と考えるのをやめた渚はカバンからノートを取り出す。

 彩花は成績優秀である、だからこそ一学年下の渚は少しの油断もできない。


「あ、ノートいっぱいじゃん」

 机の引き出しを開けて新品のノートを探す。

 おそらくメイドに言えば一発なのだができるだけ頼りたくはない。



 そこで見つけてしまったのだ。

 【新堂彩花の日記】を。

 まるで隠しているかのように一番下の方にあった。



 毎日書いてはいるが内容が薄く、多くて二行。

 その中でも手を止めさせたページはぎっしりと行がはみ出るまで書かれていた。


 それは山上広人と話をした日のことだった。

 一つ一つ細かく書かれてあり、本当に彼との時間が楽しかったのがわかる。


「へぇ、実は面識あったん…」

 最後の行、ここだけは見るんじゃなかったと後悔に襲われる。


 知るわけがない、知りようがなかった。

 まさか広人が彩花に交際を申し込んで断られていただなんて。


――――アイツ…、新堂彩花が好きだったんだ。


 渚は鏡に映る彩花の姿を見る。

 複雑な気持ち、兄が惚れた女性は今妹が動かしているのだから。


「…ほんと」

 日記を閉じてカーテンを開けて空を見る。



「ツイてないね、兄妹ともに」


 辛いのは事故にあった彼女だけではなかった。

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