第2話 彼女として生きていくことにした彼女

 窓の外から流れ込む爽やかな風が金色に染めた麻宮香奈の髪をなびかせる。

 彼女、香奈と山上広人は小中高と同じ学校だが付き合いが始まったのは去年、高校一年からである。

 ひどい話ではあるが広人曰く、彼女のことは全く知らなかったとの事。


 広人の妹、山上渚が階段から落ちて現在も意識不明。

 朝、彼が教室に入ってきた時声をかけようとしたがどんな言葉を投げかければいいかわからなかった。

 いつもは後ろの扉から教室に入るのだが彼は今日は前から入ってきて、授業が始まってからもずっと窓の外を眺めている。

 慰めの言葉が思い浮かばない彼女は自分の不甲斐なさに嫌気がさした。


「黒板一度消すぞ~」

 そんなことを考えていたら全くノートを書いていなかった。


「って誰だ!黒板消しをコンニャクに代えた奴はっ!」

「やることやってんじゃねぇか!!!」


 思わず大声で広人にツッコミを入れてしまった香奈であった。







 さすがに食べ物を粗末にできないのか、教師はビニール袋にコンニャクを入れ手を洗うために一度教室を出て行った。


――――すまないコンニャク、賞味期限を切らせた俺が全部悪い。


 と窓の外を眺めながら心の声で広人は呟いた。


 そんなことよりも彼は今、考えなければいけないことが山積みである。

 新堂彩花と妹が入れ替わってしまった、そのことで頭がいっぱいなのだ。





「お前渚かっ!!!」

 今朝、中庭での衝撃な事実に驚きを隠せなかった。


 目の前にいるのは清楚で有名な女子、新堂彩花だが鋭い目つきに腕を組んだその姿は紛れもなく彼の妹の渚だった。


「よくこれだけで気づいたわね」

「だってそのクソ生意気な口を利くのは渚くらいしか」

「…」

「オーケー、とりあえずファイティングポーズやめようか」

 その姿での武道の構えは違和感でしかない。


 整理するまでもないが、一度やってみよう。

 彩花が階段から落ちたのを庇った彼の妹、渚は頭を強く打ち意識不明の状態で今病室で寝ている。

 彩花は軽傷で済んだが何かの拍子で二人の精神が入れ替わってしまった。つまり意識を失っているのは新堂彩花ということになる。


「…ねぇ」

「な、なんだ」

「<アタシ>はどんな状況なの?」

 それは病室で寝ている本体のことを指しているのだろう。

 彼は現状のことを妹に伝える、少し落ち込んだ様子を見せた彼女だが持ち前の強い心がすぐに立ち直らせる。


「まぁしかたないよね」

「お前…これからどうすんだ」

 朝の様子からして今後彼女がどうしていくかは薄々わかっていた、<新堂彩花>が普通に登校してきたのだから。


「もしも精神が入れ替わったことが世間に知れたらやばいよね」

「そうだな、テレビとかそういうなんがくるかもな」

「そうね、うん…よしっ」

 改めて彼女の決意が固まった。


「戻るまでアタシは新堂彩花としてやってくわ」

「…」

 反対することはできなかった。

 事実を世間に打ち明けた時の方がリスクが大きすぎるからだ。


「友達にも伝えないのか?」

「言わないわよ、アンタだけ」

「…そうか」

 山上渚の状況やもしもの時のことを考えると広人にだけでも知ってもらっていた方がいい、と彼女は事故後に目を覚ましてからずっと考えていた。



「でもいいのか、一つ上だし新堂は成績優秀だぞ」

「そこは少し記憶障害を起こしてることにするわ」

 兄と違ってそこそこ成績のいい渚ならすぐに付いていけるようになるだろう。

 その他でもわからないことがあればそのせいにしてしまえばいい、という考え。


 これに関しては助けてやれることがない彼。


「で」

「ん?」

 渚は真剣な眼差しで彼を睨んだ。


「病院で今、アタシ寝てるんだよね」

「ああ」

「着替えはどうしたの」

「俺が持ってった」

 家族なのだから当たり前だろうと当然のような表情で答える広人。


「し…下着は」

「二段目の奥の真っ黒のやつはやめておいた」

「…」

 それを発見した時の彼の感想は、年頃の女の子だな、だった。


「死ねばいいのに」

「すみません、新堂の姿でそれ言われると落ち込みます」

 ましては惚れてる女に。








 少し違和感があったが今朝の妹のコピー能力はすごいと実感した。

 中庭から戻った渚は完全に新堂彩花に成りきっていた。

 あれだけ自信満々で彼に告げたのだ、完璧に演じ切っていくに違いない。


――――ん、あれは…。


 窓の外を眺めていると2ーB、つまり新堂のクラスが体力測定を行っている最中だった。

 中身は妹とはいえやはり生徒の中でも存在感がずば抜けている。

 妹よ、新堂彩花は運動が苦手だぞ、と彼は心の中で助言した。









 この身体の持ち主が身体が弱く運動できないことを当然渚は知っている。

 彼女から言わなくても勝手に不参加、という形になっていた。


「あれ、今日はここにいるんだ?」

 クラスメイトが話しかけてきたが、さすがに彩花が体育の時間を終えるまでどこかで時間を潰していることまでは渚は知らなかった。


「ええ、今日は見学させていただきます」

 爽やかな笑顔で返して何も違和感を感じないところを見ると全く怪しまれていない様子。


――――にしても何、この身体。


 ここ何日かでこれを何度思ったことか。

 出るとこは出ていて引っ込むとこは引っ込んでいる、脚も驚くほど長くて挙句の果てには顔も小さい。


――――同じ人間…?


 山上渚は小柄だが決して顔は悪くない、何なら結構モテる方ではあるがここまで完璧な人間を目の当たり、どころか自分自身として動かしていると思うといろいろとショックがでかい。

 鏡の前で変顔しても可愛いってどういうことだ、と本気で彼女は怒りを感じた。



「じゃあ私は端っこにいますね」

 そう言って邪魔にならないように隅によって腰を下ろした。

 座り方もお上品に。


 ここまでコピーできている理由、それは家にある写真や成長記録の動画などを観察し新堂彩花という人間を何度も見たから。

 品行方正、成績優秀、容姿端麗、この存在を否定する人間がどこにいるというのか。


「新堂さんはいいよね、楽できて」

「よねぇ」


――――ああいたわ、妬み連中が。


「私たちも体育嫌なのにねぇ」

「さすがは社長令嬢」

 コソコソ話がもうそれになっていない、むしろわざと聞こえるようにしているようにも取れる。

 もしかするとこれが嫌で体育の時間はこの場から離脱していたのかもしれない。


 大人しい性格の彩花がこれに対して言い返すことなんてするわけがなく、逆に申し訳ないという感情が出てきてしまっているのだろう。

 今の中身が渚とはいえ立ち向かうことなんてしない。


「先生」

「あら新堂さんどうしたの?」

 渚はストップウォッチを持っていた体育の女性教師に声をかける。


「私もお願いしていいでしょうか?」

「…え?だ、大丈夫なの?」

「やってみたいんです」

「わ…わかったわ、無理しないでね」

 口じゃなく行動で反抗することに決めた。



「え~新堂さん大丈夫ぅ?」

「無理しない方がいいんじゃな~い?」

 いちいち嫌味ったらしく言ってくるのが癪に障るが、もちろんそれにたいしても彼女は完璧な対応をした。



「それじゃあ行くわよ~」

 クラウチングスタートの準備に入った5人の女子生徒を見た教師はピストルを構える。


――――ごめんなさい新堂先輩。


「よ~い」


――――アタシ、逃げるのは嫌いなんで。


 ずっと校舎の三階の窓から何かを言いたげに見ている兄を一度見る。

 そしてピストルの音と同時に女子生徒たちは駆け出した。







 もちろん何が起きているのか理解できていない兄は窓の外で繰り広げられている状況に気が気でなかった。

 あの新堂が女子生徒たちと並んで走ろうとしているのだから。


――――うそ、だろ。


 スタート地点に立ち腰を下ろした彼女を見て広人は冷や汗が止まらなくなっていた。


 ピストルの音が鳴り響く、その瞬間女子とは思えないスピードで彼女は走り出していた。


「うおおぉい!!」

 思わず授業中に大声をあげてしまう。


「ど…どうした山上」

「あ、いえ、先生の授業があまりに楽しくてつい」

「そ、そうか」

 完璧に演じ切れるだろうと思っていたが妹の性格上そうはいかなかった。

 初日からいきなりやってくれた渚。


 当然彼女は一番にゴールし、ストップウォッチを見た女性教師が腰を抜かしかけていた。

 彼は渚が中学の時、陸上部よりも遥かに足が速かったという噂を耳にしたことがあった。

 その他、運動全般全て得意だというのに渚は部活にも入らず、空手の道場に通っていた。


 ゴール後、少し息を切らせた渚がこちらに視線を向ける。

 一瞬鋭い目つきをしたが、すぐに新堂の表情に戻し姿勢を正して彼にお辞儀をした。

 まるでバカにするように。


「腹立つなぁオイ!!」

「や…山上?」

「あ、いえ、こんな問題もわからない自分に腹が立ってつい」


 これはあれだ。

 新堂と精神が入れ替わってしんどいのは渚だけではない。


 見ている彼の方が精神的に疲れるかもしれない。

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