第12話
「やっぱり、無謀な挑戦だったのか?」
オータムリーフが弱音をはいた。湖を泳ぐことになったとき、彼は拒否していた。
「いいや。ここでとまるわけにはいかないんだ」
ブランはオータムリーフをはげました。
ロウラのこどもたちもあやしい。
かけ声をだしながらブランは仲間たちを励ました。
太陽が空のてっぺんまで昇ったころに、完全に陸がみえてきた。
「ああ……よかった……」
オータムリーフの安堵の声がきこえた。
陸に足をつけたとき、全身の疲れが身体をおそった。
泳ぎ慣れているはずだった。ホワティを失った悲しみもあいまって、ブランは草の上で思わず横になった。
仲間たちも次々と脱力したかのように、寝そべるように横たわった。
「もう……体力がもたないわ……」
リリィの身体は毛が水にぬれたせいで余計にやせ細ってみえる。身体をふるわせ、浅い呼吸をしている。
マロンがリリィのそばへ行き、身体をぴたりとくっつけた。反対側でロウラも同じことをした。
「よし。僕はまだ体力が残っている。他に元気なオオカミは?」
「僕がいけるよ」
ロストアイが名を上げた。彼は昔の故郷ではみだされていたことがある。冬でも洞穴の外で寝たりと、こうみえて身体は丈夫だった。
「わかった。あとは見張りをつけてほしい。ウサギでもなんでも、食べれるものを調達してくるよ」
「オオカミのプライドを気にしている余裕はないな」
ロウラの苛立ったうなり声に、ブランはうなずいた。
「僕らはいろんなオオカミとつながったことで、いろんな体験をしたんだ。その経験の知恵を、仲間と協力して働かせるべきだ」
うむを言わせる口調に、ロウラは目をふせてブランの指示にしたがった。
「……この状況に追いこまれてようやくわかった。お前の感性がこの群れの中で、一番正しいってことが」
ブランは誇らしい気持ちで胸がいっぱいになった。自分が行ってきた行動は、つらぬいてきた信念は、間違っていなかったのだ。
山のふもとが見えてきた。夏が近づきはじめ、太陽の光が強くなる。
青空を見たのは、いつぶりだろう。こんなに空はまぶしかったのか。
夏のかおりのする風がふき、毛皮がみだれた。やすみやすみ狩りをしているおかげで、がたいが良くなってきた。このくらいの風では、びくともしない。
ロウラやマロンも、昔のように体型がもどってきている。あのまま島に残っていたらどうなっていただろうか。考えただけでぞっとする。
夏の山は壮大だった。深い緑色で葉はそまっている。小動物や小鳥たち、植物までもが生き生きとしている。
山にはいると、坂道に苦労した。湖を泳いだ経験があるのだから、きっと大丈夫だ。
エンバーが足をすべらした。石につまずいたらしい。大人にくらべ、こどもたちは山登りに苦戦している。
「平らな空き地で休憩しよう。疲れただろう?」
エンバーが待ってましたと言わんばかりに、同意の声をあげた。呼吸が荒く、目つきもけわしい。
「最悪だ」
ロウラの悲観的な声に、ブランはふりむいた。
「このへんにクマがいる。それも、かなりでかいぞ」
「またかよ」
ロウラの発言に、オータムリーフがつばを吐き捨てるように言った。
「ほんとうだ。木の幹に爪痕が残っている……」
しっかりとした木の幹の皮がえぐれられている。そのくぼみに虫たちがはっていた。
ここはいい住処だと思った。葉と葉の隙間に大きな湖が見えるし、前の住処みたいな洞穴もある。
ブランは嫌気がさした。いい場所だと思ったのに。それでも冷静な態度で仲間たちの顔をみた。
「このへんに住み着いているみたいだ。もう少し、頂上ふきんで住処にできる場所を探さないか?」
「頂上ふきんは暮らしにくいかもしれない」
ロウラが不満げにうなった。
「それでも行くのか?」
「大きなクマと戦いたかったら、君はここにいるといいよ」
ブランはロウラの態度に腹ただしくなり、眉間にしわをよせた。
「悪い。お前の意見が正しいと言ったばかりなのにな」
ブランはロウラの顔色をうかがった。瞳が不安げに光っているのがわかった。
「ケンカしないで」リリィは今にも泣き出しそうだ。
そんな様子をみたロウラは、ばつが悪そうに目をそらした。
気まずい空気がふるえた。ブランは感じたことのある感覚に、緊張感がました。
「クマだな」
ロストアイが深く息をついた。
「ロウラと言い争っているうちに、逃げ遅れた」
「な、なんか……すまない……」
ロウラが意外にも恥ずかし気に肩をすくめた。
クマの不愉快なにおいが鼻を刺激した。
ブランは闘志で血が騒ぐのを感じた。ここでクマが出現するのなら、そいつを倒して、ここを僕たちのなわばりにしたらいい。
ブランは横目で大きな湖を見た。俄然やる気が湧いてきた。
「ここを僕たちの新しい住処にしよう。だから、クマにも立ち向かう」
「正気か?」
「故郷をながめることのできる住処。いいと思わないかい?」
「でも、諦める感じだったじゃん__」
ロウラが困惑してそう言いかけたとき、クマが荒々しい形相で姿をあらわした。
足元に影ができた。クマが現れたことによってそうなったのかと思った。しかし、空を見上げると、太陽が分厚い雲におおわれたからだと、ブランは理解した。
目くらましの戦術が効かない。自分たち己の力で今回は解決するしかない。
近くにいたロウラがタッグを組むかのように横に立った。
視線をなげかけると、ロウラはうなずいた。彼の目には、闘志の色があらわれている。
シルヴァーはマロンと、ウィンターリーフはオータムリーフと自然と手を組んだ。
「かかれ!」
ブランは足に力をいれて、クマの胸筋にむかって牙をむいた。
クマは群れをなしてでも悠々としたたたずまいで攻撃をかわした。
ブランは足元をよくみていなかった。小さな石につまずきそうになったが、すんでのところでこらえた。
ブランはこの一瞬で、ぱっとひらめいた。少し大きめの岩がある。クマにとっては小石程度だ。
「あの石にクマが足をからめさせたらいいんだ!」
ロウラと手を組んでクマを岩に追いやろうとした。クマはびくりとも動かず、大きな前足をブランにむけてふりかざした。
足がくじいていたブランは逃げるのに遅れた。肝を冷やした瞬間、ロウラがブランをおしやり、ふたりそろって前足がからまって地面に転がった。
ブランはロウラに感謝をこめてまばたきをおくった。突然のことで、声をかけることもできなかった。
シルヴァーとマロン、ウィンターリーフとオータムリーフがクマを石のほうへ誘導させた。
クマはオオカミたちの勢いと持久力にたじろいだ。大きな後ろ足を岩にひっかけ、そのまま倒れこんだ。
ブランはクマの背骨を仲間たちとともに噛みついた。激しく咀嚼音が鳴った。
クマは苦し気にもだえていたが、やがて息絶えた。
ブランはクマの背中に立ったまま、息を整えた。
「おりてきて、ブラン。あぶないわ」
「もう大丈夫だよ」
背骨のラインの筋肉が上下していないことを確認した。
「まあ、美しい顔がだいなしじゃない」
シルヴァーはブランの顔についた血の汚れを懸命におとそうとした。
「大丈夫だって」
ブランはむきだされた皮膚に何かがあたる感覚は、自分にとってあたりまえだと思った。
ロウラが近くまでやってきた。
「醜い顔だな」
その声には、親しみがこもっている。
「悪かったな」
ブランはふざけて牙をロウラにみせた。
「ここが僕らの新しい住処だ」
ブランは誇らしくなって胸をはった。小さなハエがクマの遺体にあつまった。それが気にならないくらいには、誇らしかった。
「どうしてそんなにここの空き地にこだわったの?」
シルヴァーがやんわりと質問した。
「ほら。あんなに僕らの住処だった湖が見える景色なんて、最高だと思わないかい?」
誰もがブランの視線を追った。みんなの表情が、明るくなった。
ブランは仲間たちの顔ぶれをみたあと、もう一度湖をながめた。
ブランは湖をよく見ようとふりかえったとき、はっと目を見張った。
気のせいだろうか。いいや。気のせいじゃない。
あれだけ大きく見えた湖が、小さく見えた。
【完結】
あれだけ大きく見えた湖が、小さく見えた 空乃晴 @kyonkyonkyon
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