第9話

サマーリーフは、自力で生きることに困難な障害がある。それはブランたちの群れにも被害がでた。夜になると、ロウラたちの遠吠えが聞こえてきた。沢山のオオカミが群れにいるように聞こえるが、実際群れの数はこちら側と同じくらいだろう。

よく耳を澄ますと、ブランたちが境界線を越えたことに対して、強めの警告を発していた。

もしまたサマーリーフが何かの拍子で境界線を越えたら、ロウラとの戦に発展するかもしれない。

ブランも疲れきっていて、昔のようなしゃれた遠吠えはできない。ロウラの卑劣な遠吠えに対抗できない。負け犬のような気分だ。

マロンの遠吠えが他のオオカミの声に紛れて聞こえてくる。ブランは集中して耳をそば立てたが、どういった心情で遠吠えをしているのかまではわからなかった。

シルヴァーが隣で苦々しい思いでロウラたちの遠吠えを聞いている。

「あなたは相手の群れの遠吠えに熱心ね。もしかして、まだマロンのことを考えているのかしら?」

ブランはぎくりとしたが、どうにか顔に出さないように努めた。

「いいや。境界線を越えたことで何か反発していないか、耳をすましていただけだよ」

「それならいいのだけれど……」

ブランはシルヴァーを安心させようと、シルヴァーに頬をこすりつけた。

マロンに攻撃された古傷はほぼ治りかけているが、心に残った傷はまだ治っていないようだ。

マロンに遭遇しても、平然と振るわなければ。そうしなければ、シルヴァーを永遠に安心させることはできない。

マロンがロウラに罵声をあびせられているところを目撃したのに。遠吠えでは強気な態度が見られたが、群れの日常の細部まで知ることはできない。もしかしたら、ロウラに酷い仕打ちをされているかもしれない。

けれど、オオカミのプライドは捨ててはならないことを学び直したばかりだ。ブランはマロンを無視することが、心苦しかった。


アリがさも誇らしげに、自分よりも大きな葉っぱを一生懸命に巣に持ち帰ろうとしていた。

ブランはアリたちを踏みそうになったが、どうにか止まって観察した。

こうした小さな命たちの視線にたってみることで、気がつきが得られるかもしれない。

アリにはアリのプライドがあるのだろうか? もしあるのなら、それはどんなプライドだろう。

ブランは首をかしげた。

「君はオオカミらしくない。オオカミのプライドが微塵もないのもそうだけど。アリを観察するだなんて。普通は踏みつぶして歩くだろう?」

ウィンターリーフが口ごもった口調でブランに声をかけた。彼はウサギをとっていた。

「いや、アリにもプライドがあるのか考察していたところだ」

「はあ……」

ウィンターリーフは呆れたようなため息をついていた。

「見て。デコボコの坂道を上ることに苦戦しているアリがいる」

ブランは彼のため息をよそに、観察をすすめた。

「頑張れ、アリ。ゆっくり、ゆっくりだ」

ブランは声が届いているか確かめようと、アリに声をかけた。アリは相変わらずもたもたしている。大きな葉っぱをもっていたが、小石に足を滑らせていた。

「こんなの時間の無駄だと思う。ブランも狩りを手伝ってほしい」

ウィンターリーフがそう言いながら、アリの道に穴を掘りはじめた。

アリに声は届かなかった。ブランはがっかりと肩を落とした。何かロウラのことや、サマーリーフのことで気づきを得られれば良かったのに。何か発見が得られたら、まだウィンターリーフの文句に対抗できたが。


ウィンターリーフの狩りを手伝った。別れ際、ブランは解決策をじっくり考案したいと言い残した。

ひとりでロウラたちの群れの境界線近くまでやってきた。後ろめたい気持ちは少しあるが、それでも足のおもむくままに歩いた。

ネコ科の動物の糞があった。これ以上プラズマ虫に感染しないようにと、砂をたくさん上から被せた。

川はまだ冬の厳しさで凍っている。ここの土地の冬の期間が長い気がした。

ブランは寒さで身をふるわせた。ひとりだと、余計に寒さを感じる。

群れの誰しもが、オオカミにプライドが必要だと声をあげている。

ブランは故郷の群れを思い出した。父が死んでまもないころ、母は頑固にも小動物を食べなかった。ムースや大きな獲物しか狩らない。それがオオカミのプライドだ、と。

それでも、この湖の島に住むオオカミは違う。魚をメインに捕食していた。

プライドと一口に言っても、多種多様だ。だから、時にそのプライドが邪魔になって小競り合いに繋がってしまう。

ロストアイは一時期人間の捨てたゴミをあさっていたことを、ブランは覚えていた。

プライドを捨てたおかげで、今があるのではないか。

お互い、ちっぽけなプライドなんて張り合わなくてもいいのに……。


ブランは異変に気がついた。敵のオオカミの影が、茂みと茂みの隙間で動いた。

狙われている? ロウラか、マロンか。はたまた、ネコ科の動物か。

ウィンターリーフの言っていた通りだ。ひとりでなわばりの外れまで行く意味はない。

例え、頭の中や心の整理をしたくても。

雨のにおいが混じった風が吹いた。その雨のにおいのさらに奥深くに、こちら側のウサギを敵が狩ったにおいがした。

ブランはしかめっ面をした。

ひとりでいることがどれだけ危険かはわかっている。だが、このにおいの正体を突き止めなければ。あの敵の影は、ロウラな気がした。

ブランは忍び歩きで正体を確かめた。いざとなれば、遠吠えで仲間に加勢しに来てもらえばいい。においから、敵は一匹であることがわかった。

境界線の近くの物陰まで移動し、こっそりと様子をうかがった。

目を凝らすと、茶色い毛皮をした雌オオカミが穴を掘っていた。マロンだということは、すぐに理解した。そこに獲物を埋めるつもりだ。

ブランの鼓動が激しく打ちつけた。注意しなければ。シルヴァーや群れの仲間たちに信用してもらうためにも……。

マロンが近づいてきた。ブランは判断が遅れた。マロンは驚いた鳴き声をあげ、数歩後退った。

「誰かと思えば、ブランじゃない。そうでしょう?」

思いがけず好意的な態度で、ブランはほっとした。

「あのときはお礼を言えなくてごめんなさい。謝ることもできなかったわ」

マロンがはじめて出会ったときのように取り乱しはじめた。

ブランはこの一言で確信した。マロンはロウラの群れにいるべきではない。

そうとう苦労しているのが、毛並みにあらわれている。

「大丈夫だよ。僕のことは気にしないで」

ブランは無意識にマロンに鼻を触れ合わせた。

「私、あなたたちのなわばりで狩りをしてしまったの。ごめんなさい。ロウラの命令で」

「あいつは相変わらず酷いことをしているんだね。今すぐその行為をやめてもらいたい」

「わかっているわ」マロンはどこか疲れ果てている。「でも、あなたたちも境界線を越えたじゃない。だからロウラは、仕返しをしているのよ」

ブランはそのことについて事情を説明するか迷った。マロンのことは信用できる。だが、万が一ロウラにこちらの群れの情報が知れ渡り、弱点をにぎられたら……?

敵の群れのオオカミに情報をもらしたら、それこそリーダー失格だ。

「申し訳ない。群れの仲間たちに注意を呼びかけるよ」

マロンはそっけなくうなずくと、自分たちのなわばりのほうへ戻って行った。


ブランはマロンと立ち話をしたことを後ろめたく思った。

キツネの糞でも身体につけておこう。そうすれば、においだけはごまかせる。

臭いにおいが身体につきまとうのは勘弁してほしかった。それでも、悩みの種の原因を探る収穫には繋がった。マロンはロウラの群れにはふさわしくないということだけはわかった。

ブランは自分の信念を貫いてきたことを、少し誇らしく感じた。

群れの仲間たちに理解してもらうには時間がかかりそうだが、それでもやるだけの価値はあるだろう。故郷の群れにいたときのような、ロストアイのようなオオカミがこれ以上増えてほしくはないと願うのは、自然界の掟に反しているだろうか?

確かに、自然界においては弱肉強食の世界だ。老いてしまったオオカミは群れから自然とはみ出るのかもしれない。群れの位の低いオオカミは満足に獲物を食べられないかもしれない。サマーリーフみたいに病原菌におかされたら、後は死を待つだけなのかもしれない。

それでも、僕たちは考える力、感じる力があるのだから。なんとか解決策を見つけなければ。

群れの仲間たちやロウラは、一部をのぞいてはそれほど僕の意見に賛同していないように見える。皆、それぞれに考え方やプライドがある。対立しても仕方がないといえばそれまでだが。どちらのプライドが正しいなど、正解のない世界だから、謎を紐解くかのように難しい。


「どうしたの? その糞臭いにおい!」

なわばりに戻ると、スプリングリーフが短い悲鳴をあげた。

「運悪く転んでしまったんだ」

シルヴァーがスプリングリーフの声を聞きつけて、不愉快そうな顔をした。

「そのむかつくようなにおいで、私と寝るつもりなの?」

「申し訳ない」

ブランはまたシルヴァーに嫌われたか、一瞬不安になった。マロンのことについて触れると、シルヴァーから遠ざかる気がする。

「冗談よ。臭いよりも、一匹で眠る方が嫌だわ」

ブランは心の中でため息をついた。マロンと会話したことを告白すれば、またよそよそしい態度にはなるだろう。けれど、今のところは大丈夫そうだ。

ブランは前より気兼ねなく喋れなくなったことに気落ちした。

「そう落ち込まないで。小石につまづいて転ぶなんて、誰にもあることよ」

「君が一生懸命観察していた、アリもだな」

ウィンターリーフがブランのプライドの無さを少し小馬鹿にしたが、シルヴァーと同様、冗談であることがすぐにわかった。

「何の話?」

シルヴァーがキツネにつままれたような顔をした。

「解説策を求めて、アリに意見を聞いていたんだ。オオカミのすることか? と僕は思うけれど」

「やっぱり、あなたって変わり者ね。そんな性格だと生き延びれないのが、この世の常なのに。なのに、あなたは顔に傷跡を残してまで生き延びている。本当に不思議なんだから」

「まるで、世の中を変えるために生まれてきたみたいだな。__まず手始めに、僕らの群れを助けたみたいに。__オータムリーフを殺すなと命令した後は、アリを踏みつけないようにって、注意する気か?」

「僕は一応足元も気をつけて歩いているよ」

ブランは本気で馬鹿にされた気分になって、ムッと毛を逆立てた。

「オータムリーフを殺す許可を出していたら、サマーリーフも見殺しにしていいってことになる」

「あなたのようなオオカミに、これまで出会ったことがないわ」

スプリングリーフが首をふった。

「私の群れでは、ロックがそうだったように、老いたオオカミは自然と一匹狼になるの。プラズマ虫が原因で死んだ、私のこどものように。でも、あなただったらそれも神様に懇願してまででも引き留めるでしょう?」

「そうだよ」

ブランはどれだけ言われようが、胸を張った。自分の信念は正しい。いつかきっと、群れの仲間たちにこの考え方が認められる日が来るはずだ。


シルヴァーの愛おしい寝息が、一定のリズムで聞こえてくる。

黒煙がロウラたちのなわばりの空でうかんでいることを確認し、洞穴へはいった。

ブランはマロンのことが気がかりだった。彼女を最後に見たときは、かなりやせ細っていた。

毎晩の遠吠えでは強気なメッセージをくれる。だが、それも苦し紛れに吠えているように思えてしかたがない。

ブランの不安を察知したのか、シルヴァーが目をあけていた。

「眠れないの? 何かに悩んでいるの?」

少し寝ぼけなまこな声の調子のシルヴァーに、嘘をつくのは気が引けた。

「黒煙の影響がこちらまで来ないか不安なだけだよ」

マロンのおかれている状況が気がかりだったが、シルヴァーの前でそれは言えない。今は、まだ。

「西の池の近くにある工場の煙ね。パトロールをしたのだけれど、ネズミが毒でやられていたわ」

その報告を聞いたブランは、はっと息をのんだ。

「どうしたの?」

「敵のなわばりにいたウサギたちを、僕たちが万が一狩ってしまったら……?」

マロンが、黒煙の毒でやられた獲物を食べていたら……?

「そんなの、大丈夫よ。めったなことよ」

シルヴァーはブランの心配を和らげさせようと、頬をゆっくりとなめた。

やっかいなロウラに、クマに、プラズマ虫。おまけに黒煙まで。問題は山積みだ。

この散のように積もった問題を、一気に片付けることはできない。地道にやるしかない。

「__シルヴァー。黒煙を心配している本当の理由があって……」

肩に重くのしかかるような問題の山々をひとつずつ片付けるには、こうするしかない。

「マロンが、ロウラとの対立をやめさせる引きがねになるんじゃないかって」

ブランはシルヴァーの批判を覚悟で言ったが、当の本人はもう眠りはじめていた。

ブランはため息をついた。せっかく本音を明かそうと思えるようになれたのに。

ロストアイはまだ起きているだろうか? 彼はサマーリーフの世話で忙しいなか、夜の静かな時間は格別のはずだ。

起きている可能性は、かなり高い。

ブランはそっとロストアイのところへ向かった。

もう黒煙は風で散り散りになって見えていない。それでも、また人間が活発に動く時間に、黒煙も空へと昇るだろう。


案の定、ロストアイは至福の時を過ごしていた。夜風をあびている表情は、穏やかそのものだ。

「話があって。少しいいかな」

ブランは風下に気をつけて、ロストアイに存在をアピールしながら近づいた。

ロストアイがこちらをふりかえった。

彼は僕の話に納得してくれるだろうか。

一瞬、不安が頭の中をよぎった。

オオカミのプライドを捨てたことのある彼なら、僕の思考も理解できるはずだ。

彼は生まれつき目が見えない。そんな世界だからこそ、僕は彼の意見を信用しているはずだ。

「マロンのことで、少し相談があって__」

事情を話すと、彼は静かに耳先を動かした。

「まあ、よく取り乱す彼女のことを思えば、ロウラとつるむのはふさわしくないと言える」

「僕はもう、オオカミの複雑なプライドという感情にふりまわされるのが、嫌なんだ」

「でも、主にウィンターリーフが、プライドを捨てることを毛嫌いしているだろ」

ブランはロストアイの言葉に、力なくうなずいた。

「君が気がついていないだけで、シルヴァーはマロンに嫉妬しているんだと思うな。普段はあんなに心根が綺麗なはずなのに。そんなオオカミなら、マロンの立場に手を差し伸べるはずだろう?」

予想もしなかった言葉に、ブランは面食らってしまい、言葉が出なかった。

「君も鈍感だな。マロンは、君のことが好きだったんだよ。それを、ブランにとられたくない感情が、シルヴァーを邪魔しているってわけだ」

ブランは、シルヴァーと出会った当初のことを思い出した。見ず知らずの僕に対して、懸命に世話をしてくれた。あれほど、美しい顔立ちを見るのが嫌で離れようとしたのに。

ずっとシルヴァーと一緒にいたからか、そのときの思い出は忘れつつあった。

マロンを助けるには、シルヴァーとの愛情を深め合うことが先だと悟った。

シルヴァーが疑う余地もないくらいに、彼女に不安をあたえないように。


サマーリーフがブランたちの話で目を覚ました。驚いたかのような声をあげている。

ロストアイがサマーリーフに注意をはらおうとしたが、間に合わなかった。

サマーリーフはオオカミの弱点である腹を見せたあと、遊んでほしそうに、外へとびだした。

ブランはサマーリーフを呼び止めようとした。

サマーリーフは遊びなど忘れ、興奮して声をあげている。

その音に仲間たちが目を覚まし、こちらまでいぶかし気にやってきた。

「どういうことなの? さっきまで一緒に眠っていたと思っていたのに」

シルヴァーがブランを見るなり、そう言った。

「スプリングリーフ、彼のために歌ってやってくれ」

ブランは知恵をしぼり、彼女に合図をおくった。

スプリングリーフは戸惑いながらも、歌った。サマーリーフの走る速度がゆるんだ。

ブランは自分のなわばりからだいぶ景色が変わっていることに、毛を逆立てた。

ロウラのなわばりだ。

これほど中央付近にまで迷いこむなんて。

サマーリーフの鳴き声に、ブランは寒気がした。シルヴァーが威嚇しているのが目に見えた。

ブランはシルヴァーの視線をたどると、ロウラとマロン、その仲間たちがごぞって岩山から見下ろしていた。

「かかれ! 容赦なく殺せ!」

ロウラの恐ろしい合図により、火ぶたが切られた。

ロウラの群れは、真っ先にサマーリーフを狙った。敵の群れのなかに、ねがえったオータムリーフもいる。

ブランは気がつけばウィンターリーフとともに戦っていた。狂乱のなかを激しく動く。

息を合わせて、敵を蹴散らした。

ロウラの低いうなり声がしたと同時に、ブランはわき腹を殴られた。

灌木のそばで素早く体制を立て直すと、ロウラとオータムリーフが、ウィンターリーフを狙っていた。

「ウィンターリーフ!」

ブランは声をふりしぼった。

ウィンターリーフは殺意で寒色の瞳を暗がりのなか光らせている。

黄ばんだ歯をみせ、何度もオータムリーフに噛みついた。

彼の形相にロウラは怖気づいたのか、後退った。それを見逃さなかったブランはロウラの足の付け根を狙おうとした。

ロウラの危機に、マロンが反射的に動いた。ブランをロウラから遠ざけようと身体を滑りこませた。

ブランは思わず驚いた鳴き声をあげた。

マロンはロウラの肩を持っている。敵の群れにいるのだから、当たり前といえばそれまでだ。

マロンに敵意をむけられている事実を理解すると、ブランはひるんだ。

ブランの横で、狂乱気味に、ウィンターリーフが目をいからせていた。

ウィンターリーフが誰かれかまわず、ロウラに噛みつこうとした。

ロウラはとっさに近くにいたマロンを突き飛ばした。

ブランは彼に怒りを覚えた。仲間を犠牲にするなんて!

それまでマロンにひるんでいたことを忘れ、ロウラを痛めつけようとした。

ブランとロウラは一騎打ちになった。ロウラが喉元に噛みつこうとしたので、ブランは攻撃をさけた。

何度もかわすブランを見たロウラは、一時撤退した。逃げるように戦いの渦のなかに飛び込んだ。

尻尾を巻いて逃げたロウラを見たブランは、勇気が新たに湧いた。

そう思ったのもつかの間、ロウラはサマーリーフを乱暴に引きずりまわしていた。

ロストアイが近くで顔をしかめている。後ろ足の傷で動けずにいる。

オータムリーフがあざけるようにサマーリーフを笑った。

サマーリーフの口から、プラズマ虫がとびだした。

ロウラがプラズマ虫を戦いの拍子でふみつけた。

サマーリーフは正気がもどったかのように、ロストアイを助けた。

ブランは戦いの真っ最中でも、安堵でため息がもれた。

サマーリーフが正気にもどった!

ブランはこの戦いにらちがあかないことを察知した。

「退却!」

張り上げた声で仲間に伝える。

もう一度サマーリーフを見ると、彼はロウラから攻撃をかわし、こちらまで駆け戻ってきた。


目に星の輝きをとりもどした彼を、ブランはまじまじと見つめた。

自分たちのなわばりにもどったときは、もう月も空の真上を通過した時刻だった。

「よかった。本当によかった……」

ブランは、ウィンターリーフとスプリングリーフとともに彼を歓迎の意味をこめてもみくちゃにした。

サマーリーフは短く喉を鳴らし、その行動を受け止めている。

「覚えているの? プラズマ虫が身体にはいっていたときのこと」

スプリングリーフが遠慮がちに質問した。

「いいや。ほとんど記憶にないよ。けれど、姉さんの歌声だけは覚えている。機能停止した脳みそが、少し動いた感覚になったんだ」

「本当に、よかった……」

ブランは安心で身体の力がぬけて、シルヴァーにもたれかかった。

「きっと、俺がプラズマ虫におかされていたときは、世話がやけていただろう? 申し訳ない」

「いいえ。謝るようなことではないわ。誰でもその可能性はあるのだから、お互いさまよ」

シルヴァーが思いやりをみせた。

ブランは、マロンのことについて話すなら今だと理解した。

このあたたかい空気のなかでなら、話しやすい。

「ずっと前から疑問に思っていることがあるんだ。実は、戦うまえにロストアイと一緒にいたのは、その疑問を解消したいからで__」

「私にも話してくれたらよかったのに。具体的に、どんなことなの?」

シルヴァーが優しくほほ笑み、ブランの耳をなめた。

その言動に安心もしたが、同時に不安もおぼえた。

「僕はシルヴァーがどのオオカミよりも大切だ。そのことをふまえた上での疑問だ」

あれほど穏やかな顔をしていたシルヴァーが、表情を曇らせた。

ブランはつばを飲みこんだ。

「ロストアイとも相談したのだけれど、マロンは、ロウラとつるむべき相手ではない」

ブランはきっぱりと宣言した。語尾をあいまいにしておくと、説得力がなくなる。

マロンという名前に、空気がピリついた。

「あいつはロウラと好んで手を組んでいるんだろう?」

ウィンターリーフが吐きすてるように言った。

「ブランは、オオカミの世界に反した思考をもっていることを自覚したほうがいい」

ウィンターリーフが顎をくいっとあげ、ブランをにらんだ。

「今回の戦いで、僕はオータムリーフを殺そうとした。サーブルとルックが彼によって、殺されたから」ウィンターリーフは冷酷な口調でつづけた。「ブランはオオカミのプライドがこれっぽっちもない。仲良しごっこに付き合うのはごめんだ」

「私も」シルヴァーが困り顔でブランをみた。「彼女が私にした仕打ちを、おぼえているでしょう?」

「もちろんだ」

ブランは息苦しくなった。

「それでも、僕が反対しないのには、きちんとした理由がある。今日の戦いで、ロウラはマロンを犠牲にした」

ウィンターリーフがその言葉に視線をそらした。

「だからって……。どうして……そんなにマロンにこだわるんだ?」

ウィンターリーフが言葉につまりながらも探った。

ブランは答えることに時間がかかった。

僕は、マロンのことを、どう思っているんだ?

……好きなのかもしれない。シルヴァーと等しいくらいに。

シルヴァーやロストアイと過ごした時間を思えば、たった一瞬なのかもしれない。

けれど、マロンとのぬくもりのある友情は、たしかに芽生えた。少なくとも、僕はそう思う。

「しばらく共に旅をした仲間を想うのは、いけないことなのかい?」

自分でも驚くくらいに、冷静な言葉で返した。

アリやウサギといった、小さな命たちに目を向けるのは、それほど悪いことなのか?

地球が丸いことと同じくらいに、命のリレーは丸く繋がっているのではないか。

オオカミは、特にひとりでは生きられない。故郷の群れが壊滅する経験をしたブランは、強く思った。

シルヴァーの視線を感じた。盗み見すると、彼女は何かを考えこむような顔になっている。

「マロンは……。マロンは、こちらの群れにいるべきオオカミなのかも……」

シルヴァーのその言葉に、ブランの胸に希望がうまれた。

「私は、マロンにまだ傷つけられたことを、気にはしているわ。でも、ロウラの受けるはずだった攻撃に犠牲になってしまうなんて。そんな環境に、もし私がおかれていたら耐えられない」

シルヴァーが視線を足元におとした。

「私は、足の不自由なオオカミを助けたことがあるの。それで、自分は完璧なオオカミなんだと自負していたわ。他に弱い者を助けるオオカミがこの世にいるわけがないって。これが私の強みだって……」

シルヴァーが恥ずかし気に耳を寝かした。

「でも、見た目ではわからずに、苦労しているオオカミもいるんだって、わかったの。

ブランがそうやって誰にでも寄りそえられる力があるのには、あなた自身も辛い思いをしてきたからなんだって。私みたいに、弱者を助けるのが誇りだって思わずに、普通のことのように寄りそって接している。もしかしたら、助けているオオカミのことを、弱者だって思っていないのかもしれない。だから、想像力も感受性も、とっても豊かなんだわ」

ブランはじんわりと胸にくるものがあり、シルヴァーに最大限の愛を伝えた。

「マロンがきっと、ロウラとも絆を深める鍵となってくれると、僕は確信しているよ。

時間はかかるだろうけれど、僕は……僕たちは諦めない」

シルヴァーとロストアイが力強くうなずいた。

サマーリーフとスプリングリーフも、賛成の声をあげた。

ウィンターリーフだけが、眉をひそめ、口角を下げていることに、ブランは気がつかなかった。

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