第8話
気分がふさぐような分厚い雲に、空一面おおわれている。
スプリングリーフがウィンターリーフに頼りきりで魚の狩りをしているのが目にとまった。
ロウラとオータムリーフが結託した件で、一番思い悩んでいるのは、ウィンターリーフの方だ。不思議に思いながら、ふたりを観察した。
「サマーリーフは、最近少し様子がおかしいのよ。あなたが次男としてきちんと務めを果たさなかったからじゃない?」
「全ての責任をぼくに押し付ける気かい? ぼくは、オータムリーフの攻撃から、彼を守った」
ウィンターリーフの声は少し枯れている。ふたりの間の空気が少しピリついた。
スプリングリーフが不満そうに口をひらいた。それを見逃さなかったウィンターリーフは、彼女を睨みつけて黙らせた。
「そんなに四匹の兄であることを重要視しているなら、ぼくの意見に従ったらどうだい?
ブランに獲物が少ないとがっかりさせたくないんだ。とりあえず、魚狩りをさっさとすませよう」
スプリングリーフが言うように、サマーリーフの様子がおかしいのは、言う間でもなかった。
ブランはつばを飲み込んだ。スプリングリーフは、彼の容態に気がついたのだろうか。
まだ確信がもてない。しばらく、ウィンターリーフが落ち着いてくれるまでは。プラズマ虫のことを話したくはない。
スプリングリーフがこの前と同じようにウィンターリーフに対して振舞っている場面を、何度も見かけた。
この群れの仲間入りをしてから、ぼくは日が浅い。彼らの事情がよくわからない。むやみに手を出せなかった。
ブランは盗み聞きしていることがバレないように移動した。一足先に群れのなわばりの中心部まで戻った。
西の池の方から、大きな音がし、黒い煙が見えた。それでもシルヴァーたちはお構いなく、平然としている。
ひと息つく間に、ウィンターリーフたちも戻って来た。
夕暮れ時の食事の時間だ。夜になり、激しい風がふいて、ブランの毛が乱れた。
一番栄養のある魚の頭を食いちぎった。この行為にも慣れてしまった。習うより慣れろ。ロックの言う通りだ。
魚のにおいは新鮮で、はじめてここに訪れた日を思い出す。あのころは、ロウラとこの湖でいがみ合うなんて思ってもなかった。
「西の池の様子を見に行った」
ブランの思考を読んだかのように、ウィンターリーフが吐き捨てるように言った。
「相変わらずオータムリーフのにおいがぷんぷんするよ。あれだけ慣れ親しんだにおいなのに」
スプリングリーフが非難の目をウィンターリーフにむけたことに、ブランは気がついた。
「両親の死は、悔やんでも悔やみきれない……。母さんは英雄の死をとげた。それだけは理解できるけれど、父さんの死には納得がいかない」
ウィンターリーフが意味ありげにブランを見たあと、ため息をついた。
「ぼくもそう思う」
夕食を終えると、ロウラたちの遠吠えがした。西の池のオオカミの方が優勢なことを示している。
「ムースを狩っただなんて、嘘だ」
ウィンターリーフが遠吠えを耳にして、苦笑した。
「リーダーが変わって、そんなにすぐに連携できない。それに、ロウラとマロンでさえも、最近結託したことだ」
ブランは好感と期待をよせていたマロンを想像し、苦々しく思った。
ブランはウィンターリーフの発言に、静かにうなずいた。
「憎たらしいよ、あいつらの遠吠えが」
ウィンターリーフは何かを待ち望むかのように、ブランを見た。
復讐の炎を瞳に宿していることだけはわかる。一晩では思い浮かばない仕返しを、一秒で思いつく方法を待っているかのようだ。
ブランたちは勢いのある遠吠えをかえした。西の空の彼方に、黒い煙の跡がのこっている。
誰もが耳に残りそうな、華麗な遠吠えをとどけた。
雨で毛並みが張り付いた。昨日の黒い煙が、まだ西の空に残っている。
東の池の問題ではないが、少し目障りな気分だ。心にずっしりとくるような雨雲が、余計に暗く見えた。
山の近くにはいつも猛禽類が数羽飛んでいる。そのけたましい鳴き声も、今日ばかりはきこえない。雨音しかきこえない。
つかの間の休息かのように、シルヴァーが喉を鳴らした。
ブランの頬が緩んだ。
「雨雲をそんなに見つめたら、気持ちまで暗くなるわ。天候の悪いときくらいは、洞穴で寝ましょうよ」
シルヴァーの甘いささやきには抗えない。ブランは久しぶりに尻尾をふった。
洞穴で寝そべって、濡れて汚れた毛を綺麗にした。シルヴァーも舌で整えてもらった。
気をもんでいた心が、いくらか落ち着いた。
なわばりの見回りから戻ってきたはずのウィンターリーフが、少し不愛想に見えた。
洞穴からじっと様子を見守っていると、スプリングリーフがうなっている。
「オータムリーフのにおいがしたのに、どうして止めたんだ?」
ウィンターリーフが酷なほど冷たい目線をスプリングリーフにおくった。
「ブランがまだ安直に近づかないほうがいいって言っていたじゃない。兄なんだから、状況判断をもう少し身につけてほしいわ」
「きみにだけは言われたくないよ! プラズマ虫の対処法がわからなかったくせに!」
ひと騒動が起こりそうだ。ブランは洞穴から顔を出して、ふたりの間にわって入った。
「何があったんだい?」
プラズマ虫の言葉をきき、背筋に冷たいものが走った。この兄妹は、サマーリーフの状況を完全に察知したのだろうか。
「なわばりの境界線に、オータムリーフのにおいがした。だからぼくはすぐに爪を出そうとしたけれど、こいつに止められた」
ブランは不安になってシルヴァーと視線をかわした。今のウィンターリーフは、何かにとりつかれているみたいだ。目に星の輝きがない。
「だって、ブランから指示がまだ出ていないわ」
「すまない。ふたりを喧嘩まで発展させるような雰囲気にさせてしまって」
胸がちくりと痛んだ。働かない頭を絞り出しても、解決策が見つからない。
「いつになったら指示を出してくれるんだ?」
ウィンターリーフは焦りを感じている。じれったそうにブランを睨んだ。
ブランが問いかけに詰まっていると、彼は鋭くうなった。
「やっぱり、殺しに行くしかないみたいだ」
ブランの背中の毛が微かに逆立った。
「それだけは勘弁してほしい」
「何故だ? そうやって、本当は殺す気がないんだろう!」
興奮して声を荒げている。ウィンターリーフまで身体にプラズマ虫が侵入してしまったのだろうか。そうは思いたくはない。
土砂降りのなか、ウィンターリーフが地面を強く蹴って駆け出した。
殺意をこめていて、いつもの走り方より強い乱れがある。
騒ぎを聞きつけて、ロストアイが近くまでやってきた。サマーリーフと一緒だ。
サマーリーフが驚いて鋭くうなった。吠えているだけで、彼は一言も喋らない。
「プラズマ虫……!」
スプリングリーフがサマーリーフの容態を見て、恐怖で青ざめた。
「サマーリーフ、落ち着いて。ブランは、はやくウィンターリーフを追ってくれ。プラズマ虫に感染していないのに、あんな行動をされたら危険だ」
小さなアリが通った道の跡を崩しながら、必死に後を追った。
遠くで空が光り、雷鳴がきこえてくる。
小さなアリが通った跡で、道はでこぼこしている。雨に濡れていて、滑りやすかった。
必死になって距離をつめた。
「待ってくれ!」
呼び止めようとしたとき、不意にウィンターリーフが身体の向きを変えた。
毛が乱れようと、濡れていようと、彼が美しいことには変わりなかった。
闇雲に突進し、ブランの左肩を強く噛んだ。血と雨が混ざった。
「この痛みをあいつらに味合わせたいんだ!」
「ぼくは違う……」
数えきれないほどの皺がよっている。ブランは尻尾を巻いてしまいたい気分だった。
「ぼくは、きちんと話し合って和解したい」
ウィンターリーフの冷酷な瞳とクマの狂暴な瞳を重ねた。
「きみは世界一馬鹿なオオカミだよ。呆れた」
ウィンターリーフが、恐ろしいほど穏やかにつぶやいた。彼は背を向けて歩き去った。
ブランの肩に痛みが走り、その場に座り込んだ。
肩を負傷したため、一度なわばりへ戻った。ウィンターリーフの行方が気が気でなかった。
池の近くで、シルヴァーたちが待機していた。気まずい空気だ。
スプリングリーフが目線を合わせないように、うつむいている。
「何故サマーリーフとウィンターリーフがプラズマ虫だったこと、私に話してくれなかったの?」
「ロウラが西の池を乗っ取って、オータムリーフのこともあったから、これ以上混乱をまねきたくなかったんだ」
ブランは罪悪感で視線を合わせられなかった。責任の重みが肩の痛みとして表れている気がした。
「私たちで話し合って決めたことなの」
シルヴァーがロストアイを横目で見たあと、スプリングリーフに言った。
「でも、ウィンターリーフはプラズマ虫に感染していないな」
この場にいる誰よりも、ロストアイは冷静だった。
「きっと、復讐の想いが彼をそうさせただけだ」
「私の兄がきちんとしてくれなかったら、私はこれからどうすればいいの?」
スプリングリーフが声を絞り出すようにつぶやいた。
サマーリーフがいつもと調子の違う雰囲気に驚き、声をあげ続けている。
「ぼくとスプリングリーフの力で、どうにかウィンターリーフを探そう。西の池で何か取り返すことができない事が起こったら、不安だから」
「でも、治療しなくても大丈夫?」
ブランは仲間の不安を和らげようと、シルヴァーに元気よく笑ってみせた。
「クマに顔面に怪我をさせられたことを思えば、このくらい平気だ」
ブランはシルヴァーを選ばなかったことに、理由があった。
彼女はウィンターリーフの復讐心を恐れていた。それに、スプリングリーフの兄に対する固定概念を壊さないといけない。そうしなければ、この群れは連携してやっていけない。
アリが仲間とともに大きな葉を持ち上げていた。その力に、俄然勇気がわいてきた。
「行こう」
肩の痛みを無視して、ブランは合図を送った。
ウィンターリーフのにおいは、小雨で消されていた。一縷の望みをかけて、ブランは遠吠えをして彼の返事を待った。思った通りの持ち主の声は返ってこない。代わりに、ロウラの敵対心のある遠吠えが返ってきた。遠吠えの終わり間際に、ウィンターリーフの激しい声がきこえた。
「ロウラと戦っているわ!」
スプリングリーフが、兄に対する嫌悪感で毛を逆立てた。
ブランは心に反しながらも、戦場に身を投じた。
ウィンターリーフの狂気に、相手側は怖気づいた空気感があった。
ウィンターリーフが目にもとまらぬ早さで、相手の動きを翻弄している。
注意深く確認すると、ロウラとマロンたちの身体はやつれている。
西の空は、人工的な煙でにごっていて、砂地を流れる川も、透明さが足りない。
ウィンターリーフがオータムリーフに攻撃をしかけようとした。
乱闘の最中、混乱したクマの雄たけびが遠くできこえた。
誰もが動きを止め、慎重に腰を下げて様子をうかがった。
クマの雄たけびに、ウィンターリーフは青ざめている。
ロウラがマロンとオータムリーフを置いて、一足先に安全地帯へと逃げ去った。
マロンが動揺した鳴き声をあげ、オータムリーフとロウラの後を追いかけた。
「助かった」
ブランは安心して腰が抜けそうになった。いつもは天敵だったクマが、神様のいたずらで味方をしてくれた。
「帰ろう」
「逃しやがって!」
ウィンターリーフの狂気的な行動に、スプリングリーフが、戸惑っている。
「やっぱり、あなたもプラズマ虫に感染したんじゃないの?」
「ぼくはただ、オータムリーフが憎いだけだ。なのに、ブランは和解しようと生ぬるいことを……!」
「はやく帰ろう」
ブランは先が長いことを思って気落ちした。まだロウラたちは対立する気でいることは確かだ。あれほど薄汚れてやつれていたのに。
もう一度クマの雄たけびが上がった。
ブランたちはつばを飲み込んで、急いでこの場を後にした。
クマから距離をとると、ようやく足をゆるめた。走った間にウィンターリーフは穏やかな顔つきに戻っている。
瞳の奥に影を落としながら、ウィンターリーフはブランの肩の傷を見た。
「あのときは悪かった。頭のなかが醜い感情でいっぱいだった」
ウィンターリーフは少しためらったあと、続けた。
「どうして君は加害者のことを許せられる? ぼくは一生あいつらを許せない」
ブランはウィンターリーフの目を真剣に見つめた。
「死は誰でも一番恐れることなんだ。もちろん、罰せられるべきではある。
その罪の償いは、心を入れ替えることだと、僕は思っているよ。僕らは別に、クマみたいに意思疎通できないわけじゃない」
父の背中の折れた瞬間をふと思い出した。ぼくらが、クマのかぎ爪になる必要はない。
どれほど憎たらしい相手だとしても。惨い死に方だけはしてほしくはない。
「わからない」
ウィンターリーフは足の動きをとめた。
「でも、この群れのリーダーは君だから、ぼくはきちんと従わないといけないな」
「ありがとう、ウィンターリーフ」
「サマーリーフのこと、ぼくたちにも面倒を見させてくれ」
ウィンターリーフはスプリングリーフを見た。
「いいだろう? リーダーだから、長男だからって、全部ぼくたちに責任を押し付ける必要はないさ」
スプリングリーフは一瞬ためらったが、黙って兄の指示に従った。
穏やかに時間が流れ、つかの間の休息ができた。サマーリーフの世話で大変だったが、それでも、以前より仲間の絆は深まった。前よりも、美しい遠吠えがうまれた。
西の空に、いつものように黒煙がたれこめている。ロウラの群れの身体つきを見て、哀れにも思ったが、同時にここまで被害が届いていなくて安心した。
サマーリーフの容態も、少し落ち着いていた。スプリングリーフの歌に心地よくひたっている。
「凄い。スプリングリーフは歌姫だ」
ウィンターリーフが心から喉を鳴らし、彼女の頬に触れた。
スプリングリーフの目に輝きが増した。
ブランも気を許し、一緒になって歌うと、サマーリーフが怒った声をあげた。
「あなたの歌声はいらないんですって」
シルヴァーの冗談に、誰もが笑い声をあげた。
ブランはそれでも笑っている群れの仲間たちが嬉しくなり、頬がゆるんだ。
ブランは感謝をこめてシルヴァーに、愛情深いまなざしを送った。
シルヴァーはそれに気がつき、そっとほほ笑んだ。とりまく環境が変わっても、彼女の笑顔だけは変わらない。
「そろそろマーキングに行ってくるよ。シルヴァーとウィンターリーフはついて来てくれ」
「ロウラに注意」
ロストアイがサマーリーフの様子を見守っていたが、ブランに顔を向けた。
「わかっている」
ブランは気を引き締めた。
おしっこのにおいが一番濃い場所まで到着した。驚いたことに、マロンの新しいにおいがする。数分前までここにいたようだ。ロウラと一緒だろうか?
「警戒しなくちゃ」シルヴァーが鋭くうなった。
「すぐになわばりへもどろう__」
「待って。誰かが助けを求めている声がきこえる」
ブランの声をさえぎるかのように、ウィンターリーフが発言した。
注意深く耳をすますと、川の激しい音と共に、助けを求める鳴き声がきこえた。
一度この声をきいたことがあるので、すぐに声の持ち主がわかった。マロンだ。
ブランはためらうことはなく、なわばりとの境界線をこえた。
後ろでウィンターリーフの慌てた声がきこえたが、ブランは気にしなかった。
「待ってて。今助けるから」
「なんで……」
マロンが溺れかけている。ブランは近くにあった枝をつかみ、マロンに枝につかまるように促した。マロンは一瞬ためらったが、枝につかまろうとした。
「何をしている!」
ロウラの激怒した声に、ブランは思わず枝を口から放してしまった。
マロンの短い悲鳴があがった。
「殺してやる!」
西の池のなわばりに侵入していることに、言い訳ができない。
ブランは足がすくんだが、どうにかロウラから逃げ切った。
「馬鹿! 本当に馬鹿!」
なわばりへ戻ると、シルヴァーがブランを睨みつけた。怒りでわなないて、それしか言葉が出てこないようだ。
「すまない……」
ブランはとっさに動いた自分の判断に心の底から驚いていて、言い訳ができない。
「びっくりしたよ。もう少し、オオカミのプライドをもった方がいい」
久しぶりに聞いた言葉だ。ブランは気落ちした。
謝ろうとしたが、シルヴァーは既に不機嫌な足取りでなわばりの中心部へ戻ろうとしているところだった。
「申し訳ない」
ブランはかすれた声で言った後、ウィンターリーフに頭をさげた。
ウィンターリーフが少し軽蔑をこめた視線を送ったあと、シルヴァーを追いかけるために、去っていった。
ブランはもう一度西の池の境界線をふりかえった。マロンはロウラによって助け出されている。マロンが川から上がったあと、罵声をあびせられていた。
ぎくしゃくした空気がなわばりの拠点をつつみこんでいた。それを察知したブランは、居心地の悪さをおぼえて身を低くした。
群れのリーダーにとってあるまじき行為をしてしまった。あのときはとっさに判断しただけで、このような結果になるとは思いもしなかった。
恥をかいた気分でシルヴァーに近づいた。いつも穏やかなシルヴァーとは打って変わり、怒りで少しわなないている。
「どうしてマロンを助けたの?」
その質問がとんでくることは覚悟していた。ブランの身体が微かに震えだした。
もう少し時間をかけていれば、マロンだってこちら側の群れの仲間になれたかもしれないのに。
ブランは口の中がからからになりながらも、知恵をしぼった。
シルヴァーがマロンの古傷を見て、そんな結末にはならなかったことを思い知らされた。
「申し訳ない」しぼりだした声はかすれていた。
「私のことは?」
「もちろん、どのオオカミの中でも一番に愛している」
このセリフを言わなくてもいいくらいに、絆を深め合った関係性だと信じていた。
「浅はかなセリフね」
群れの仲間たちの鋭い視線を感じた。
ウィンターリーフが発言したそうに、シルヴァーに合図を送った。
「自分の立場を犠牲にしてまで、守りたかったものなのか? ぼくがオータムリーフを殺そうと企んだときに、きみは止めたよな? ……そういうところが、君の悪い癖だ」
鋭いかぎ爪が心をえぐるような言葉だ。
「もう一度チャンスがほしい。オオカミの世界で情けがいらないことは、十分承知した」
どれほど相手に情が移っても、見捨てなければいけない。
この島に来たそもそもの理由を、シルヴァーは、ロストアイは、忘れたのだろうか。
それとも、ロウラの仲間になったから、マロンに対して冷淡な態度をとっているだけだろうか。
マロンの命より、シルヴァーやここの群れの仲間たちとの愛情の方が大切だろう?
講義したいことは山のようにあったが、ぐっとこらえた。
「わかったわ。今回だけよ。私はマロンのことを、最初から許してなんかいないの。そう言わせないと、わからないかしら? あなただって、醜い顔のおかげで、酷い仕打ちをされたんでしょ?」
「……わかりました」
ブランの耳の奥には、まだロウラからマロンに罵声をあびせられた声が残っていた。
ブランは気を引きしめた。オオカミのプライドは捨ててはならない。自尊心を捨ててしまったせいで、群れは破局しかけた。
別れ際のマロンの怯えきった目が忘れられない。簡単には助けてあげられない。ブランはもどかしい気分で少し唇をめくりあげた。
「眠れないの?」
心がざわついているなか、その音とともに雨が地面に打ちつけていた。
雨音に混じって、シルヴァーの声が溶けこんだ。
シルヴァーはブランの様子に何か察したようだ。いつもはここまでひっつかないのに、わき腹同士を触れ合わせてきた。それも、無言のままで。
ブランの耳が自然と寝かせた。昨日の鋭い眼光で刺すような痛みから、ようやく少し解放された。
マロンと同じ巣穴で眠ったことがある。シルヴァーと彼女とでは、洞穴で寝ているときの空気感が違う。どちらも心地よかった。シルヴァーはもちろんのこと、マロンとは遠吠えを交わしてようやく巡り合えたオオカミだ。一時期いざこざがあった。それでも、マロンは取り乱すほどの反省をしていた。あれは嘘ではない。
あの時にきちんと僕が群れの仲間として迎えていれば。マロンは残虐なロウラとつるむことはしなかったに違いない。……僕の判断能力が鈍かった。
シルヴァーは雨音のリズムと一緒に、頬を優しくなめてくれた。それが安心に繋がり、深い眠りに落ちた。
翌朝、ブランとシルヴァーは肩を並べて群れの仲間たちのいる場所へ向かった。
ロストアイとウィンターリーフがスプリングリーフと一緒になって、サマーリーフの様子を見守っているところだった。
ブランは三匹に向かって挨拶をした。ロストアイの目は優しいまなざしだ。この前の気重な空気感はない。そのことにブランは安堵した。
「サマーリーフの容態は?」
「凄く安定しているとは言わないな。けれど、今みたいに落ち着いているときもある」
ブランはサマーリーフと鼻面を触れ合わせた。彼に言葉は通じない。
サマーリーフは驚いた声をあげて、短く吠えた。
「この子は遊べるのかい?」
「調子が良くなってきたのが最近のことだから、まだわからないな」
シルヴァーはブランの言葉を聞きつけて、ヘビ一匹ぶんの距離にある小枝を持ってきた。
ブランは感謝をこめてまばたきを送った。そのあと、小枝をサマーリーフに向けた。
のびをするような姿勢をとり、遊んでほしい合図をサマーリーフに送った。
プラズマ虫の威力がどれほどのものか、群れのリーダーとして確かめておく必要がある。
今後被害を出さないためにも。
サマーリーフは喜々として吠えた。気狂いでもしているのかと思うほどに。
ブランはサマーリーフの攻撃をさけようとしたが、間一髪のところで間に合わなかった。
彼にとっては甘噛み程度なのかもしれないが、頬に傷が走った。
ブランはぞっとして毛を逆立てた。サマーリーフは加減という概念を忘れたようだ。
「抑え込んで小枝を取り上げてくれ」
群れの仲間にこんな仕打ちはしたくはなかった。それでも、どうにかしてブランはサマーリーフをおさえこもうとした。
サマーリーフはなわばりの境界線の外へでようとしている。
ブランは全速力で駆けた。すでにサマーリーフの口から小枝はほっぽっている。
境界線をこえた先で、ようやくサマーリーフをおさえこんだ。
足の速いウィンターリーフが手伝って、サマーリーフをふたりしておとなしくさせようとした。埒が明かない。
それでも、おさえこんだ衝撃で、プラズマ虫の体内の液体が口から飛び散った。
少し遅れて、ロストアイがやってきた。サマーリーフがロストアイの存在に気がついたのか、すぐにおとなしくなった。
彼はこちらの事態は知らず、皆に遊んでもらったと思っているのか、ご満悦だ。ぐるぐると短い声で鳴いている。
「プラズマ虫は恐ろしい感染菌を持っているな」
帰り際、ロストアイが顔をしかめながら言った。
「でも、この黄色い液体を見てくれ。身体から出たってことは、彼は治るのかもな」
ブランは、サマーリーフからよだれのように垂れた液体を見た。
ロストアイの言葉に、希望の萌しがみえた。
「それはありがたい」
ブランは言葉をきったあと、申し訳なくなってサマーリーフをみた。
「手荒な真似をして、悪かった」
サマーリーフにこの声が届いたかどうかはわからない。それでも、意識が治ったときにモヤモヤした気持ちが湧かないように、できるだけのことはしてあげたい。
スプリングリーフが怪訝そうな顔つきになったことを、ブランは見逃さなかった。
「彼は本当に声が届いているの? 私たちのこどもは、そんなことはなかった」
ブランとシルヴァー、ロストアイはありえない、といった調子で彼女をみた。
「血の繋がった者に対して、どうしてそんなことが言えるんだい?」
非難するつもりはなかったが、きつい口調になってしまった。
今ここで、仮にもサマーリーフに声が届いていたら……?
「ごめんなさい。でも、どうしても声が届いているとは思えないのよ」
スプリングリーフは一旦言葉をきり、深いため息をついた。
「私のこどもたちは、プラズマ虫に感染したの。何度も我にかえらすことを試みたわ。……でも、できなくって、敵の群れに殺されてしまったの」
こどもを失った悲しみに同情したシルヴァーが、スプリングリーフの耳を優しくなめていた。
「君の事情はよくわかった。でも、君のこどもたちも、サマーリーフも、最初から心をもっていて、感情もあるんだ」
サマーリーフは少し大人しくなったブランたちの異変に気がついた。遊んでほしそうに、ロストアイに向かってじゃれている。
「でも、これじゃあ、生きた屍みたい。生き地獄みたいよ。いつ命を落とすかもわからない。__あの頃の知性のあるサマーリーフは、どこにいったの?」
スプリングリーフの言葉に、誰もが複雑な表情をうかべた。一晩では答えがでない問題だった。
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