第3話 カンブリア爆発

 遙かな太古――今から遡る事五億年ほども前、最後のスノーボールアースが終わった後の事。地上にはまだ草も木も無く荒涼とした大地が広がっているだけだった。しかしそれは地上だけの事。遙かなる水底――この惑星の大半を占める海の中には奇妙な生物達が繁栄していた。

 彼等は温暖化に加えて酸素濃度が上がった環境に適応し、それまでの生物よりも大きく扁平な体を持っていた。後にエディアカラ生物群と呼ばれる事になる。

 このエリアではディッキンソニアとよばれる卵を平べったくしたような生物達が集まって暮らしていた。


「ああ、今日もいい日和りじゃのう……」

「どうした、平和が気に入らんのか? トラマル・ディッキンソニアよ」

「ア、アカシ・ディッキンソニア先輩!」


 虎髭のトラマル・ディッキンソニアが思わず後じさる。力自慢のトラマル・ディッキンソニアも凄腕で知られるアカシ・ディッキンソニアには頭が上がらないのだ。


「い、いやそうではなく……平和自体はいい事なんですが、どうも腕が鈍ってしまって……。これではワシ等の根性も見せ所がないような……」

「そんな事か。つまらん事は気にするな。男たるもの、何時如何なる時でも守るべきものを守れるように己を鍛えておけ。たとえそれを使う事無く一生を終えたとしてもだ。皆が平和に生きられたのならば……それが一番喜ばしいことだ」

「は、はぁ……そりゃそうなんですが」

「退屈なら俺が練習相手になってやろうか?」

「い、いやいや結構です! あ、ワシはちょっと用事があったのを思い出しました! これで失礼します!」


 そそくさと離れていくトラマル・ディッキンソニアの後ろ姿を見送ったアカシ・ディッキンソニアがため息をもらし、銀髪がたなびく。「こんな事でどうするのか」と言いたげに見える。確かにアカシ・ディッキンソニアの練習は猛烈に厳しい事で有名だ。命の危険すらあると噂されている。しかし、だからこそ凄腕で知られているし、己自身の体の外縁部を武器にした「一文字流」を編み出したのだ。

 かつて別エリアにすむディッキンソニア達が攻めてきた際にも先頭に立って迎え撃ち、伝説として語られる程の活躍を見せていた。そんな彼の頭を悩ませているのが後進の育成問題である。確かに見込みのあるものも多くいる。だが今のトラマル・ディッキンソニアのように普段のだらしなさが目立つ者も多いのだ。これはアカシ・ディッキンソニアの美学に反するし、なにより風紀の乱れにつながる。これは由々しき問題なのだ。

 いざという時にしゃんとすればいいというが、普段がこれではなかなか安心出来ないと言うものだ。被害が出てからでは遅い、一度鍛え直してやらねば……そう考えていると別の後輩が鉢巻きをなびかせてやってきた。後輩達のリーダー格、モモ・ディッキンソニアである。


「アカシ・ディッキンソニア先輩、お疲れさまです」

「おう、お前か。どうだ、鍛錬は欠かしていないだろうな」

「押忍、勿論であります。この通り」


 扁平な体全体に浮かび上がる力こぶ。体表の張り。申し分無いレベルだ。


「うむ、お前が日頃から励んでいるのは分かっている。聞きたいのは他の連中だ」

「と言いますと……?」

「ついさっきトラマル・ディッキンソニアと会ったが……どうも腑抜けているように思えてな」

「ご心配なく。あいつはやる時はやる男です。普段はああですが、俺達に見えないところで鍛えているんです」

「ならばいいんだがな……」


 アカシ・ディッキンソニアの不安は後日的中する事になる。彼等の生息域にチャルニオディスクスの一群が攻め込んできたのだ。

 チャルニオディスクスは縦長の海藻の様な体をしている。これにより上から攻撃出来るのだ。対してディッキンソニア達は海底を這って移動する。つまり完全に制空権を押さえられた形になってしまうのだ。現代の格闘でも体の大きな方が有利だし、戦争においても航空戦力の前に地上戦力は無力に近い。

 ディッキンソニア達は圧倒的なイニシアティブを取られ、更には後手に回ってしまい、総崩れの状態である。

 混乱の中で逃げ遅れたディッキンソニア母子がチャルニオディスクスの一体に襲撃されようとしていた。


「ふん、憐れなものよ。平和という名の怠惰に溺れた無力な生命よ」


 怯えて悲鳴も出せない母子にチャルニオディスクスの一撃が上から降りかかる。予想された惨劇は――起きなかった。アカシ・ディッキンソニアが扁平な体の外縁部で受け止めたのだ。


「な、なんと……」

「くらえ、一文字流・斬岩撃!」


 アカシ・ディッキンソニアが跳躍し、チャルニオディスクスの中央部に外縁部で強烈な攻撃を入れたのだ。チャルニオディスクスが吹き飛び海中を漂う。


「さぁ、今のうちに!」

「あ、ありがとうございます!」


 母子がこの場を離れて行くのを見送り前を向くと、眼前に無数のチャルニオディスクスが立ちはだかっていた。


「多少はやるようだが……」

「たった一体でこの数を相手に出来るかな?」

「所詮、戦は数よ」


 アカシ・ディッキンソニアは無言で構えた。攻め込まれた側が問答無用とは。いや、チャルニオディスクス達がこちらを殲滅するつもりなのが明白である以上は当然なのかも知れない。


「見上げたものよ。ならばこちらも敬意を表して……かかれい!」


 水流を巻き上げて壮絶な戦いが巻き起こった。


 その頃、離れた場所で非戦闘員である女子供や年老いた個体を避難させていたトラマル・ディッキンソニア達は思ったほど敵が来ないことに気付いた。


「おい、マツオ・ディッキンソニア、確か攻め込んできたチャルニオディスクス達は結構な数が居ったはずだな?」

「ああ、数だけでもワシ等全員くらいは居ったと思ったが……」

「猛烈に嫌な予感がするのう。ワシは様子を探ってくる! お前は避難の指揮を頼むぞ!」


 言い残すや猛然と海底を走って行った。

 争いの気配を辿って行き着いた先には凄まじい光景が広がっていた。周囲の海域は斃されたチャルニオディスクス達の体液で青黒くそまり、力を無くした個体が無数に漂い流されていく。その中心にいるのは――アカシ・ディッキンソニアだ。だが彼の体からも夥しい程の体液が流れ出し海流に流され長い帯を引いている。体の外縁部もボロボロだ。数え切れない程に一文字流を放ってきたのだろう。


「アカシ・ディッキンソニア先輩! 大丈夫でありますか!」

「……離れていろ……まだ敵は半数近く……残っている……」

「何を言っておるんじゃ――! こんな体ではもう無理じゃ――!」


 抱きかかえようとしたトラマル・ディッキンソニアを突き飛ばすと、また敵に向かって構えを取ろうとする。が、弱い海流に流されそうになる。もう体力の限界なのは明らかだ。


「バケモノめ……だがもうまともに動けまい! 雑魚が一体駆けつけた程度では時間稼ぎにもならんわ!」


 とどめを刺そうと迫るチャルニオディスクス達。その前にトラマル・ディッキンソニアが立ち塞がった。


「やらせんぞ! アカシ・ディッキンソニア先輩はワシが守る!」

「ど……どけ。お前では……こいつらに歯が立たん……」

「いいや! 今こそワシの根性を見せる時! 行く……ぐわぁぁぁ!」


 格好いい台詞を言い終わる前に袋だたきにされてしまった。どうやら本当に鈍りきっていたようだ。情けないことこの上ない。

 力なく横たわるトラマル・ディッキンソニアを見下ろすチャルニオディスクス達。


「ふん、口ほどにもない。さて、邪魔者が片付いたところで……貴様に止めを刺すとしようか……うん?」


 チャルニオディスクスが振り返ると、彼の足下(付け根)にトラマル・ディッキンソニアが噛み付き引き留めようとしているではないか。


「や、やらせん……やらせんぞ……」

「しつこい」


 トラマル・ディッキンソニアに降りかかる攻撃の嵐。もはやまともな戦闘とは言えないレベルだ。


「や……やめ……ろ……」

「慌てるな、アカシ・ディッキンソニアよ。貴様もすぐに後を追わせてやる」


 ようやく攻撃の手を止め、アカシ・ディッキンソニアに振り向く……が、またもやトラマル・ディッキンソニアが噛み付いた。


「やら……せは……せん……ぞ……」

「貴様……!」


 チャルニオディスクスから苛立ちと憎悪のオーラが吹きだした。負の感情にまかせた攻撃が振り下ろされた。その場の誰もが想像した惨劇。それを防いだのはアカシ・ディッキンソニアだった。もはや動ける筈もない体を無理矢理に動かし、必殺の攻撃を受け止めたのだ。


「せ、先輩……」

「後輩を……護れん様では……大きな口を……叩けん……からな……」


 チャルニオディスクスの怒りがサディスティックな喜びに変わる。


「笑わせる。先輩後輩の絆か? そんなものでこの戦力差が覆るものか――!」


 食い止めた筈の攻撃に更なる力が加わり、アカシ・ディッキンソニアの体に食い込んでいく。


「ぐおぉぉぉ!」

「や、止めろ――!」


 昏い喜びに満ちたチャルニオディスクスの冷たい笑顔。それが凍り付いた。アカシ・ディッキンソニアの体を貫く筈の攻撃が止まったのだ。それだけでは無い、アカシ・ディッキンソニアの体から異様なオーラが立ち上りだしたのだ。


「な……これは?」

「見せてやるぞ、トラマル・ディッキンソニアよ……。お前にも負けない、この俺の根性を!」

「先輩、一体なにを――!?」


 アカシ・ディッキンソニアの体表が変化していく。大きな節ができ、外縁部が腕(付属肢)になり、口元から棘のある長く強大な触手が伸びた。何よりも体表全てが固い殻に覆われて行くではないか。更に体が大きくなっていく。一メートル程か。


「ぬうぅぅぅ! これが……俺の根性だ――!」


 生まれ変わったその姿は全くの別物。後にアノマロカリスと呼ばれる個体だった。


「バ……バカな……こんな事が……」

「そのバカな事をやってのけるのが根性だ!」

「す、凄ぇ! さすがアカシ・ディッキンソニア先輩! よーし、ワシも負けてはおれんぞ! うおぉぉぉぉ! 根性じゃ――!」

「ま、まさか!?」


 トラマル・ディッキンソニアの体も変化していく。体の外縁部が鰭になっていく。口が長く伸びてその先端にギザギザのハサミの様な口ができた。そして複眼が五つも顔にできたではないか。体は十センチに満たないが、口を入れれば隊長は倍程になろう。後にオパビニア と呼ばれる個体になった。


「そ、そんな……こんな筈は……」

「俺達の根性を見くびったな!」

「さぁ報いを受けてもらおうか――!」


 チャルニオディスクス達が怯んだその時である。モモ・ディッキンソニア達が駆けつけたのだ。


「あれは……?」

「おう皆きたか――! 根性じゃ、根性で生まれ変わるんじゃ――!」

「その声は……トラマル・ディッキンソニア! そうか! 何が何やら分からんが分かったぞ!」

「おう、とりあえず根性じゃ!」

「うぉぉぉぉぉぉ! 根性じゃ!」


 各々が思い思いの姿に変化していく。共通しているのは固い外殻と高い運動性を兼ね備えている事だ。完全に形勢は逆転した。


「ま、まさかこれは……ガイ・コッカクか……?」

「知っているのかライデン・ディッキンソニア?」


 どじょう髭のライデン・ディッキンソニアに鉢巻きのモモ・ディッキンソニアが問いかけた。


「間違いない……あれは紛れもなくガイ・コッカク……ただの噂話と思っていたが……」


『ガイ・コッカクとは固い外殻により柔らかい体内組織を守る生体システムである。これは皮膚に付属するように形成され、体を支えると同時に守る機能も果たしている。またこのガイ・コッカクを攻撃に使えば恐るべき破壊力を生むとも言われている。

   ――あなたを変える神秘のガイ・コッカク―― 眠瞑書房刊より』

 

「さぁ覚悟してもらうぞ!」

「ワシ等を甘く見た報いじゃ――!」

「皆行くぞ!」

「ひいぃぃぃぃぃぇぇぇぇぇ!」


 こうして根性で撃退に成功し、後にカンブリア爆発と呼ばれる進化の一大イベントが起きたのである。彼等は後に「バージェスモンスター」とも呼ばれる事になる。 

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進化論によくある勘違いを元にシミュレーションしたら根性惑星になった 秋月白兎 @sirius1

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