008.少女の悩み

「おかえりなさいませ、お嬢様」

「…………ただいま帰りました」


 春の夕焼け輝かしい日の入り前の一時。

 私は太陽に背を向けて歩き慣れた道を進み、自らの家へと帰ってきた。

 生まれたときからここにある、散々歩いた道たち。迷うことなど万が一にもない。

 他の家よりちょっとだけ・・・・・大きな門をくぐり、扉を開くと、迎えてくれる声が真っ先に聞こえてきた。

 ちょうど玄関の掃除をしてくれていたハウスキーパーさん。幼い頃から一緒に居てもはや家族も同然である彼女へ会釈してからエレベータに乗り、2階の回廊・・を突き進む。

 

 左に見える庭は常日頃手入れされているためか輝いて見える。春の花であるオオヤマツツジやカマヤマショウブが綺麗な紫の花を咲かせていた。

 窓越しに見える季節特有の花々は心を豊かにする。いつか聞いた父の言葉を思い出しながら回廊の先にある扉をなんの躊躇いもなく開いていく。


「はぁ……」


 開いた先は見知った家の中でも最も落ち着く空間である自室。

 入って早々セーラー服の上着を脱いで放った私はベッドへとダイブする。暖かくて柔らかなベッド。スプリングが大きくたわんで反発しながら私の身体を受け止めた。

 スカートとタンクトップのみのラフな姿。花咲く季節とはいえまだ露出の多い格好をすると肌寒さを感じる。身体を冷やさないよう布団に潜り込みながら頭と手を出してスマホを手に取る。


「振られたということは……夢はあそこで目覚めちゃってたのね……」


 ポツリと、カフェで確かめたことを自ら確認するように呟く。

 思い出すのは彼の言葉。夢の出来事。私に告白してきた一つ下の後輩。好意を伝えられるのはよくあることだけれど、夢でとは初めてだった。その上毎日同じ夢を見るだなんて初めての経験。これはなにかあると思っていたところに彼本人が現れた。

 遅刻スレスレで私にぶつかりそうになった彼。落とした生徒手帳を開いた私は何よりも早く、あの夢の相手だと気がついた。入学式ではすぐ彼が眠そうに効いている姿に気づいたし、中学時代の後輩だったことも早くに思い出した。


 いつも可愛い女の子と一緒にいる男の子。二人は中学で隠れた有名人である。いつも二人で一緒にいる。でも彼氏彼女という関係じゃないと。

 廊下ですれ違うことはあっても実際に話したことはない、その程度の関係性。でも当時からあの二人は私もコッソリ気になっていた。だって女の子はいっつも笑顔で、男の子も面倒くさそうにしながらもその実、すごく楽しそうだったから。


 仕事柄色々な人と会ってきたが、ああも自然体な姿は見たことがなかった。大抵何かしらの遠慮があったり裏に何かを抱えてたり……そんなことばかり。

 男性間のことはわからないけど、女性間の関わりは自然体なんて一つもなかった。表面上は仲良くても裏では別の目論見がある。そんなことばかり。特に私がいた芸能界は隙さえ見せれば蹴落とされる。そんな環境。

 自分を抑える女の子たちを嫌悪していたけど、もちろん私も例に漏れない。むしろ私は特に酷い………。だからこそ、あんな風に私も自分を出せたら。そう思った日は両手で数えきれなかった。



「いいなぁ……あの二人……一ノ瀬さんは」


 ポツリと呟いた言葉は誰に耳にも入ること無く消えていく。

 視線の先にはシッカリと閉じられたクローゼットがある。その奥にしまわれているものを思い出して、ため息を吐いた。


 ―――――私には大きな悩みが二つある。

 人に打ち明けられない大きな悩みが。


 一つは友達がいないこと。

 なにも虐められてるとか疎まれているとか、そういうものではない。授業でのチーム分けはみんなが声をかけてくれるし、お昼休みだって話し相手に事欠かない。

 でも、それは表面上のものであると心の何処かで感じ取っていた。それは私が芸能活動をしているからだろうか。仕事が軌道に乗ってきた頃から友達の目の奥に何処か"遠慮"というものが透けて見えた。

 みんな優しい。遠慮してるなんて事は決して口に出すことはない。でも、だからこそ。だからこそ私は他の人とは違う。そう言外に毎日突きつけられている気がしていた。

 一方であの二人にはそんな物が感じられなかった。遠慮なく言い合って、怒ることはあるがそれでも決して仲違いになることはない。

 今日も二人を見てすごく羨ましかった。心のままに動く姿を見て、あのように私もなれたらと思わずにいられない。


 自然に何気なくフォローし合う関係。心からの信頼の証。私もそんな相手が欲しいと思っていた。親友や悪友みたいな"本当の友達"というものを。今日はその秘訣を聞こうと思った。本当は「夢でいつも会ってるよね?」なんて聞く予定はなかった。

 夢なんて共有するものではない。毎日見てるからといって本人に聞いたところで気が触れた先輩だと思われてしまうだけ。

 ……最初はそのつもりでカフェに誘った。でも、結局秘訣のことは聞けなかった。その理由も分かってる。私は気が触れたと思われても平気だけど、自分の弱さを曝け出すことは耐えられないのだ。

 単純な心の弱さ。弱さのせいで"本当の友達"が作れないことももちろん分かってる。


 自分の悩みを今一度再確認し、身体を起こしてとある一点を見つめる。

 そこには二つ目の悩みが隠されていた。


 二つ目はクローゼットの奥にある存在たち。

 これ・・を知られれば今表面上でも一緒にいてくれる友人たちも離れていくだろう。

 それほどまでの破壊力を持った爆弾。友達どころか家族にさえ知られてはいけない私だけのヒミツ。

 このヒミツだけはきっと墓まで持っていくだろう。そんな確信を得ながらそのうちの一つ、ピンク色のものを取り出して胸に抱く。


「私もあんなふうになれたら……コレも隠さなくて、よくなるのかしら」


 あんなふうに……なれたら……。一ノ瀬さんのような素直な子に。

 ソレを抱きながら小さく呟き、今一度顔を上げる。


 私が今望むのはあの二人のこと。

 もっとあの二人のことを知りたい。二人と仲良くなりたい。

 そう考えた時には既に、私の身体は動いていた。


「っ――――!」

 

 真っ先に開くのはバッグに入れてた手帳。スケジュールが書かれた部分を開いてマネージャーに電話を掛ける


『お疲れ様ですマネージャー。ちょっと明日のスケージュールのことで相談があるのですが――――』


 思い立ったが吉日。善は急げ。

 私はあの二人ともっと仲良くなるため新たな計画を画策するのであった。




 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




 場所は移って少年少女の居る家。

 一つ年上の少女が明日の計画を立てている中、そんなことを露も知らぬ二人は真剣な表情で互いを見合っていた。

 今にも戦いの火蓋が切って落とされそうな雰囲気。今なら蝿を箸で掴めそうなほど極限の集中力が高まった空間で、テーブルを挟んだ両者は身体を捻って片手を隠す。

 その姿はまさしく自身の手の内を隠すよう。二人の集中力がピークまで達した時、どちらからともなく声が発せられた。


「「じゃん、けん………‥ぽんっ!!」」


 ワンテンポもずれることのない二人の掛け声。

 その言葉とともに差し出された手は、グッと硬く握られた手とこれ以上かというほど開かれた手だった。

 数秒、現状を認識するため静寂が訪れた後、手を開いていた側はその手を高く掲げ勝どきをあげる。


「よしっ…………!俺の勝ち!!じゃあラストのマフィン貰うな!」

「む~!あたしが作ったんだからくれたっていいじゃん~!」

「美味いの作ってジャンケン負ける方が悪い。じゃ、いっただっきま~す!」


 パクリ。

 テーブルに置かれていたマフィンを手に取った少年はそのまま口へ一直線。美味しそうに顔を綻ばせる姿を見て、頬を膨らませていた少女も怒りが嬉しさに塗りつぶされて微笑へ変わっていく。


「まぁ、美味しいって言うんだったらいいかなぁ。"あたしの作ったマフィン"が美味しんだもんね?」

「……うっせ。ほら、今日は柚菜の好きなアニメの更新日だろ。テレビ使っていいから行って来い」

「あっ!そうだった! アニメアニメ~」


 思わず出てしまった失言に恥ずかしさがピークに達したのか少年はシッシと追い払うように手を動かす。

 それを気にもとめない少女も慣れたと言わんばかりの様子で今日が新作アニメの配信日だったことを思い出しテレビからアプリを起動する。


「魔法少女モノだったか?好きだなぁお前」

「これを見逃すなんて人生損してるよ颯!ほら、食べ終わったらこっち来て!一緒に見よっ!!」

「はいはい……」


 テレビ画面に表示されているのはピンク色のモフモフ動物がマスコットの魔法少女アニメ。

 マフィンを詰め込んだ少年はそのまま彼女と肩を並べ、ともにアニメに見入っていくのであった。

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