007.理想の相手
「はぁ…………」
ため息を一つ。
ソファーに寝転んでスマホで顔を照らしながら俺は物思いに耽る。
画面に表示されていたのはSNSの画面。キラキラと楽しそうなその人の思い出の断片が今日も世界を照らしている。
「はぁ…………」
再びのため息。
もう何度したのかさえ覚えていない。
しかしそれほどまでに俺の心はここにあらずだった。
考えるのはさっきのことばかり。ソファーからはみ出した腕をプラプラと横に揺らしていると、俺とはまた違う何処かから、「はぁ」と同じようなため息が聞こえてきた。
「何ため息ばかり付いてるの~?幸せ、逃げちゃうわよ」
「…………柚菜か」
「あたし以外居るわけ無いでしょ。ほら、マフィン出来たよ」
コトリとソファー近くにある小さなテーブルに置かれたのは綺麗に焼かれたマフィンだった。
気づけば辺り一面、バターの焼けた香りが仄かに漂っている。どうやら俺がボーッとしている間に彼女はマフィンを焼いてくれたようだ。
料理が得意な柚菜。
それは一つの趣味であり、度々こうしてお菓子を作ったりもする。
マフィンやクッキーは初歩的なこととして、マカロンやケーキだってお手の物。もはや一人でお菓子屋を営んてしまいそうな彼女だが、ソレを俺以外に振る舞うつもりはないらしい。どうも「まだまだ人様にお出しできるものではない」とのこと。俺は人様じゃなくて実験台なのかと突っ込みたくなったが、なんとか飲み込んだ。
そんなこんなで眼の前には湯気立つアツアツのマフィンが。寝転がっていたソファーから身体を起こして手を伸ばそうとした瞬間、ポスンと柚菜が俺の背中に乗ってきた起き上がろうとした肘が見事に崩れ落ちる。
「………重いんだが」
「重くな~い。今マフィン持ってもアツアツで火傷しちゃうわよ?」
「…………」
無言の肯定。
まさにその通りだった。オーブンから取り出されたばかりのマフィンが食べられるようになるまで幾分かの時間が必要だろう。返す言葉もない正論で、むしろ火傷を回避されたことにより文句を言う隙間もなく俺は再びスマホへと視線を落とす。
「さっきからため息ばかりついて何見てる………SNS?」
「あぁ。狭川先輩のな」
その言葉とともに柚菜へスマホを手渡す。俺が開いていた画面は狭川先輩のSNS。さすがはモデルらしく、オシャレな衣装に身を包んだ彼女がそこかしこに表示されていた。
メガネを付けて勉強している写真、ワンピースに身を包んで海の水を蹴り上げる写真。紺色の浴衣に身を包んでヨーヨーを手に持つ写真。どれも素晴らしいものだ。写真越しからも分かる美しさから人気が出るのもよく分かる。
だからこそ今さっきまで一緒にお茶していたのが夢のようだった。
たとえ冗談だといえども『運命の相手』と言われて舞い上がらないほど冷徹ではない。むしろ誰だって喜んでしまうだろう。これは。
オススメのカフェに連れてってなどはきっとリップサービスの一種だ。だからこそ、また会えたらいいなと心躍らせながらスマホをイジっていた。
スマホを受け取った柚菜も「ふ~ん」と声を発しながらページをスクロールさせていく。柚菜も一緒にお茶したから彼女の魅力はわかっただろう。お互い今日生まれたファンとして、狭川先輩の活動を目に焼き付けようじゃないか!
「そっかぁ……。美人さんだったもんねぇ。中学の頃から思ってたけど、やっぱり顔を合わせると一味違うというか、オーラがあるというか……」
「…………そうだな」
ボーっと虚ろな意識のまま柚菜の言葉を肯定する。そのうちふと頭上からスマホが降りて来て、再び先輩の楽しそうな画像を見ると自然とまたため息が出た。
「どうしたの颯。そんなに心あらずみたいな……。……もしかして、恋しちゃったとか?」
「……………」
「えっ、ウソっ!?ほんとに!?」
明らかに冗談交じりの言葉。しかし無言を貫いていると驚きの声が聞こえてきた。
頭上から聞こえてくる彼女の言葉にも否定することはない。
柚菜は無言を肯定と捉えたようだ。驚きに目を見開いた彼女は肩に手を添えこちらへとしなだれかかってくる。
「あぁ。本当に、恋しちゃったかもしれん」
「―――――」
「………なんだよ。恥を忍んで言ったのに。何か言えよ」
相手は幼馴染とはいえ自分の心を伝えるのは勇気がいる。
なけなしの勇気を振り絞ってその思いを口にしたところ、柚菜はなんとノーリアクションだった。
せめてなにか一言……応援でもなんでも貰わないと俺がいたたまれない。そう思って振り向いたら彼女はパクパクと口を上下させてなにかいいたげな雰囲気を醸し出していた。
「…………夢の、続き」
「それ振られるの確定の夢じゃねぇか!!」
パクパクとしていた先。ようやく選びぬいた柚菜が示したのは、まさかの毎日見ている夢の話だった。
俺が誰かに告白して見頃に振られる玉砕RTA。それを毎日見ていた。今日その誰かが狭川先輩と判明したわけだが、正夢と考えると確かに振られるの確定である。
「でも相手は"あの"狭川先輩だよ!高嶺の花すぎる!もっとこう……颯にはいい相手がいると思うんだけどなぁ……」
「いい相手って、誰だ?」
「そりゃあ、あた…………ポンとか」
「あぁ」
なるほどポンか。
あの可愛さは天使とかそういうのを超越してる。そういえばなんで柚菜がここにいるのにポンを隣の家から連れてこなかったんだ。断固抗議する。
「そっか……颯もついに好きな人が出来たんだ……そっか…………」
ポツリ。
背中に座っていた彼女が俺に重なるように横になってきて小さく呟く。
小さく呟いても顔は寝転がる俺のすぐ真上だ。どんな声でも聞き逃すことはない。
その声は寂しさか、悔しさか、それとも…………。真意のほどはわからない。けれどなにかを抱えていることは感じ取ることができた。
そんな柚菜の複雑な心境を肌で感じつつ、俺は恋する心と並行する自らの本心をポツリと呟く。
「まぁでもポンは置いておいて、もし今仮に先輩から告られたら断るだろうな」
それは普通ならば誰の耳にも届くことはない声量。
しかし俺同様、柚菜もその言葉を聞き逃すことはないだろう。耳に届いたであろう彼女は驚いたように身体を起こして俺を見下ろす。
「えっ?恋してるのに?矛盾してない?」
「してるだろうな。でも俺たちほぼ初対面だろ。お互いのこと全然知らないし、付き合ってもすぐに向こうがお断りになるかもしれない。それに…………」
「それに?」
俺は一つ息を吐いて次の言葉を選び抜く。その結論に至った、最大の理由を。
「それに…………そもそも俺がこの陽のオーラに耐えられない…………」
「おー……ら?」
「だって見てみろよこの投稿。海に祭りに。俺がそんな所行けると思うか?」
そう。それが最大の理由。簡単に言えば住む世界が違うのだ。
俺はこんなキラキラした世界は合わない。もっとこう、静かな世界がいい。
嘘偽りのない俺の意見。それを耳にした柚菜は最初は呆気にとられたものの、すぐにだんだんと目がジト目に変わっていく。
「そんな所って、去年あたしと一緒に行ったじゃん」
「そりゃあお前、柚菜とだからだろ。先輩と行ってみろ。緊張やら何やらで爆散するわ」
何が爆散するって?知らない。
でも絶対に碌な事にならないだろう。先輩はよくても俺が死ぬ。
「ふ~ん…………」
ただひたすらな俺の本音。引き出した柚菜が返した言葉はシンプルな返事だった。
しかし、俺の背中に乗っている柚菜は心なしか更に身体を預けてきたような気がした。
寝転がる俺に重なるよう身体を返した柚菜。そこから感じる体温は暖かく、そして信頼の温もりを感じた。
「……まぁ本当に、なんとかの恩返しみたくポンが人になって告白してくれるのが一番いいけどな。早くそんな日がやってこないものかねぇ」
「も~!最悪~!そんな日来るわけ無いよぉ~!」
ピッタリとくっつくお陰で感じた恥ずかしさ。それを誤魔化すように冗談を口にすると、苦笑した柚菜が身体を揺らしてくる。
多分俺は先輩に恋してるのだろう。しかしそれは恋愛か、親愛か、慕情か。
自らの心がわからない限りは今は心の奥底にしまっておくことにしよう。せめて、このマフィンを食べ終えるまでは。
「それじゃ、コレに合うコーヒーでも淹れるかね。柚菜は…………」
「「砂糖ミルク付き!!」」
………だよな。
二人揃って声が重なり互いに笑い合う。
入学式当日の昼下がり。俺たちは自宅でのんびりと、いつもどおりの時間を過ごすのであった。
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