006.夢の相手
夢を見ていた。
毎日毎日同じ夢を。
春休みが始まって終わるまで。昨夜ももちろん同じ夢だった。
学校の屋上で女生徒に告白する夢。更にあえなく撃沈する夢。毎日同じところで始まって同じところで終わる。
始めの頃はショックを受けたりしたが、同じものを毎日見せられれば否応が無しに慣れるものだ。
俯瞰して夢を見る俺はその光景をまるで動けない明晰夢のように淡々と眺めていた。しかし一方で身体を動かしている自分自身はまるで初めて聞いたかのようにショックを受ける。慣れた自分と初めての自分。相反する二つの感情を器用に味わいながら夢を見ていた。
もはや虚無にも到達しつつあるその夢で、未だにわからないことがある。それが相手のこと。制服的に高校の生徒であることは間違いないのだが顔まではついぞ判明することはなかった。声も夢のせいで曖昧になり相手不詳の告白に。
毎日見ていたそんな夢だったが、頻度以外は通常の夢と同じである。故に高校への緊張なだけだと自分の中で片付けていた。
それなのに、今日この場で大したことだと判明する。
声を発したのはみんなが憧れる存在、狭川先輩。彼女が語った内容は俺が見てきた内容と寸分変わらぬものだった。
ただ違うのは夢の視点。俺が告白する側に対して彼女はされる側にいたということ。
する側とされる側。それは共通の夢を見ていたことに他ならない。この春休みの間中ずっと俺は狭川先輩と夢を共有していたというのだ。
そんな非現実なことがあってたまるかという驚きと、言い当てられた動揺で心臓が高鳴り口が動かなくなる。
「えっと……その…………」
なにか言わなきゃ。
「奇遇ですね!自分もなんですよ!」なんてこと無く返事をすればいいだけの話なのだが、口が上手く動かない。
まるで蛇に睨まれた蛙のように言語中枢が停止してしまう。せっかくできると思われた同好の士。そして誰しもが憧れる先輩と出来た縁がこれで途切れてしまうのではないかという思いから次へ行くことが怖くなってしまう。
もしかしたら我が身可愛さなだけかもしれない。影響力のある先輩に失望されて睨まれて、今後やっていけるかどうかと。その真意は自分でもよくわからない。ただ事実として口が動けずにいた。
もはや頭が真っ白だ。なんて返せば良いかも分からなくなっていると、取って代わるように隣から声が聞こえてきた。
「どうして颯が毎日見てる夢を先輩が知ってるんですか……?」
話せなくなっている俺の代わりに口を開いた柚菜。その困惑した表情からは彼女も戸惑っていることが分かる。俺たちの様子とその言葉、それだけで狭川先輩は察したのか「やっぱり……」と一つ息を吐いた。。
「重ねて聞くけどそれは放課後の屋上よね?」
「…………」
「毎日……それも春休み辺りからかしら?」
「…………」
肯定。
彼女の言葉に首を縦に振る。間違いなく俺の見てきた夢と同じだった。何故俺の夢を知っているのか。震える瞳で彼女を見ていると、先輩はハッと気づいたように顔を上げる。
「いえ、ごめんなさい。怖がらせるつもりもなかったの。生徒手帳を拾った時にピンと来たのよ。この顔は夢で告白してきたあの子だって。どうやら私とあなた、二人で同じ夢を見てるらしいわ」
まるで拘束を解くようにフッと真剣な目が解けて柔らかな表情に戻る。
そう言いながらこちらに差し出したのは生徒手帳だった。
開いたページには過去一で映りの悪い写真が載っていた。眠そうにしている俺の写真。彼女は俺を認識していたのだ。手帳を受け取りながらようやく衝撃の情報を咀嚼していく。
「先輩が……夢の相手だったんですね」
「あら、気づいてなかったの?」
「はい……。俺からは逆光や緊張で顔が見えなかったですし。そもそも毎日振られてますから見る余裕も無いですよ」
ようやくわかった夢の相手。しかし受け入れてしまえばスッと胸に落ちる感覚がした。
狭川先輩が相手だったのか。そりゃあ緊張もするしあっけなく撃沈もしてしまうわな。むしろ夢の中の俺はよく無謀なことに立ち向かったと褒めたくもなる。
そんな何気ない言葉。しかしパッと顔を上げて見ると先輩は少し驚いた表情で俺を見ていることに気づく。
「……先輩?」
「……藤田君、ちなみに夢は何処まで見て起きてるのかしら?」
「えっと、いつも『ごめんなさい』って断られるところですね」
「そう……」
夢であることには変わりないのだが、その振られた相手に経緯を説明するのは少し心にくるものがある。
いつも断られたショックで目が覚めてしまう。最近は慣れてきたがそれでも夢の中の自分が地に落とされる感覚というのは中々に辛い。
でも、それがどうかしたのだろうか。彼女も同じところで目が覚めているだろう。それでも何か懸念事項があるらしく彼女は腕組みをして少し考えに没頭していた。
「狭川先輩?それがどうかしましたか?」
「…………あぁ、いえ、なんでもないわ。どうやら私の方はちょっと先まで見てるなって思っただけ」
「先まで……」
あの先、か。考えたくもないな。
告白して断られた俺。その後の行動は容易に想像できる。どうせ適当に心にもない軽口吐いてその場から逃げてしまっているのだろう。自分のことだからよくわかる。
逆に先を見れなくてよかった。ただでさえ毎日告白で辛いのに、そんな小っ恥ずかしい逃走劇を見せられちゃ心が持たない。手に取るようにわかる自分の行動に内心で苦笑していると、先輩は「あっ」と声を出しておもむろに荷物をまとめだす。
「先輩?」
「ごめんなさい、話に夢中になりすぎて時間を見たらギリギリだったことに気づいたわ。私、これから始業式があるのよ」
「そういえば2年3年は午後からって……」
彼女の言葉で俺もようやく思い出す。
そう言えばウチの学校、午前中は入学式で午後は先輩方の始業式が予定されているんだった。
彼女は入学式の挨拶で早めに来ていたが、午後も普通に学校があるのだろう。纏め終わった彼女は席を立って反対に座る俺と向かい合う。
「ありがとう、聞きたいことはそれだけだし、毎日見てた夢についても理解したわ。…………もちろん、原因もね」
「「原因も!?」」
衝撃の事実に俺と柚菜は同時に声を上げる。
たった数度交わされただけの夢の共有。
しかしどこから突破口を得たのか彼女はそれだけで原因まで特定したというのだ。
俺が悩みに悩んで、ついぞ答えの出なかった夢の原因。今日新たに判明したのは狭川先輩が相手だったのと、夢に続きがあったことだけ。一体何が原因なのか。驚きに満ちた顔で彼女を見ると、ふっと笑った先輩は俺の頭に優しく手を触れる。
「えぇ。それはね…………運命よ」
「運命……?」
「えぇ。きっとその夢は、私たちが運命の相手という証なのよ」
「―――――」
――開いた口が塞がらなかった。
思考のフリーズ。理解が止まる言葉。
小さく整った口元から出た"運命"という言葉。
それってどういう……いや、聞くまでもない。つまり彼女は俺の事を―――――
「……なんてね。ちょっとした冗談よ」
「あたっ」
誰もが知る憧れの女性から発せられる言葉に呆然としていると、撫でていた手がすっと離れて指先がツン、と額を軽く押していく。
それは突然の告白に呆然としていた俺を若干ながらに復帰させる。しかし未だ回転せぬ脳の中、何とか浮かんだ言葉を口にする。
「じょう……だん?」
ただの復唱。押された額に手を当てて未だに混乱する俺と、余裕の微笑みを向ける狭川先輩。彼女はそのままテーブル隅の伝票を手に取り俺たちに背を向けた。
「そ、冗談。あらためて入学おめでとう、藤田君に一ノ瀬さん。これからもよろしくね」
去り際にウインクを送った先輩は、伝票片手に手早く会計を済ませ、そのまま店を後にする。
その後ろ姿をずっと目で追っていた俺は彼女の魅力にやられたらしく、柚菜に身体を揺さぶられてもボーっと放心し続けるのであった。
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