005.同好の士
デート。それは気になる相手とふたりきりで出かけるイベントのこと。
所謂青春の1ページ。所謂陽の者にのみ許されたイベント。つまり陰の者かつ友達のいない俺にとっては一切縁のないイベントかと思われていた。
天上の者にのみ許された神々の遊び。しかしその意識は今日、この日この時に覆ってしまった。
ここは最近できたという高校近くの喫茶店。白と茶を基調としたオシャレ空間。
放課後行こうと思っていたその店に、俺は先輩とともに来店していた。
彼女こそ高校で知らぬものはいないほどの有名人、狭川先輩。ここに来る途中も主に同学年から多くの目を引くほどの美貌と優しさを兼ね備えた彼女と、俺はテーブルを囲んでいた。これはもはやデートと言っても過言ではないのではないだろうか。
そう。これはデートだ。生まれて初めてといえるデート――――と、なるはずだった。
俺は差し出されたメニューに目を落としつつ、チラリと左隣に座る人物へ目を向ける。
「わぁ……!ネットでも見てたけどやっぱりすごく美味しそう!ねね、颯は何にする!?」
「…………はぁ」
隣には、俺以上に目を輝かせてハイテンションにメニューを見つめている人物が一人いた。
彼女こそ腐れ縁である幼馴染。柚菜。彼女は「あれもいいこれもいい」と一つに絞りきれないようでメニューをあっちいったりこっちいったりしている。
そんな姿を見て一つため息。あの時、教室で柚菜が耳を効かせていなければ俺は狭川先輩と二人きりのデートだったというのに。さぁ行こうって時に乱入してくるんだから……ったく。
「ねぇ、颯」
「なんだ?」
「さっきから全然メニュー見てないみたいだけど、もう決まったの?」
頬杖ついて店内の様子をボーっと眺めていると、そんな声とともに柚菜がこちらを覗き込んできた。
俺は「あぁ」と適当に返事してメニューをいくらかめくっていく。
「俺はショートケーキのセットかな」
「え〜?そんなので足りるのぉ?後でお腹すいたって言われても知らないよ?私はパスタにサンドイッチに――――」
「俺は朝存分に食べたしな。お前こそ朝も昼もガッツリ食べて太ったって泣きつかれても知らないぞ」
「――――うぐっ!!」
女の子に太るなんて言葉は禁句。そんな言葉を何処かで聞いたことがある。しかし柚菜は俺と同じ帰宅部で運動要素ゼロなのだ。つまり太る危機は俺も同様であり、互いに常日頃気にしている事柄である。
特に今日は朝存分に食べた分、今日は特に気をつけなければならない。それを指摘された彼女はあれもこれもと選んでいた中から一つに絞っていく。
「じゃあ……私はこれで……」
「ふふっ、決まったみたいね」
狭川先輩は既に決めていたのだろう。柚菜が震える手で一つに絞ると先輩の凛とした声が店員さんを呼んでくれる。
まだ正午まで少し時間がある店内。客もそこそこで時間を持て余していたのか店員さんもすかさず来てくれた。
「私はモンブランにコーヒーのセットを。そして二人は…………」
「俺はショートケーキとコーヒー、コイツはサンドイッチとコーヒーのセットを。コイツのは砂糖ミルクお願いします」
「かしこまりました」と簡単な復唱とともに店員さんは去っていく。
さて、ここのコーヒーは一体どんなものなのだろう。初めての店で頼むコーヒーはいつもワクワクドキドキする。はたして自分の舌に合うのか、一体どんなものなのか。こればっかりは趣味ということもあってやめられない。待つ時間も楽しいのだ。
カフェには特有の空気が流れている。ゆったりとした時間が感じられる落ち着いた雰囲気。そしてそこらじゅうから漂うコーヒーの香り。それらを目一杯に感じながら注文したものを心待ちにしていると、ふと正面の少女がこちらに視線を向けていることに気がついた。
その感情は驚きと喜びによるもの。少しだけ目を開いて楽しそうに俺を見ていて、思わず首をかしげてしまう。
「どうされましたか?先輩」
「いえ、注文してからずっと待ち焦がれてる姿がなんだか可愛くって」
「っ……!」
確かにソワソワとコーヒーがやってくるのを待っていた自覚はある。けれどまさか自分がそんなにわかりやすく待ち焦がれていたとは。
嬉しそうに語るその言葉にカァッ……!と顔が熱くなるのを感じた。初対面の先輩の手前、そんなみっともない姿を見せてしまったとは。これがデートだったのならそんな失態は犯さなかったが、柚菜が隣にいて油断してた。どう言い訳しようか頭を悩ませていると、不意にポンと隣から肩を叩く感触に気付く。
「はい、颯ってば初めて来る店ではいっつもこうなんですよ。カフェ巡りが趣味でして、理想のコーヒーを求めて毎日練り歩いて困ってるんです」
「おい柚菜……!」
「へぇ、いい趣味じゃない。私は好きよ、そういうの」
ほとほと困った様子の柚菜に対して狭川先輩はクスリと笑ってそんな俺の趣味を肯定してくれた。もしかして変な人認定は……免れたか?
しかし、やっぱり先輩は優しい。柚菜には度々お金のやりくりとかで苦言を言われたりもしたが、分かる人にはわかるのだ。
そう微笑んだ先輩は手元の水が入ったコップの縁をツゥ……となぞる。指の振動で震える水面。その揺れを眺めながら、ふぅと一息ついて言葉を続ける。
「コーヒーは良いわ。酸味や苦味、浅煎りに深煎り、入れ方や豆一つで大きく味が変わってくる……。この店はね、常連相手にはバリスタがその人を見て僅かに淹れ方を変えてくれるのよ。疲れてる時や集中したい時……その時々によってね」
「お気に入りのお店なんですね」
「えぇ。仕事の打ち合わせで使うくらいにはね。お陰でメニューの半分は制覇したわ」
なるほど、だからあんなに詳しかったのか。開店直後といっても一ヶ月は余裕で経っている。それくらい通い詰めたのであれば半分制覇は余裕だろう。
それほどまでに彼女が好んだカフェ。これはなおさらコーヒーに期待が持ててしまう。そんな事を考えていると、奥から店員さんが調理を伴ってやってきた。
「おまたせしました。サンドイッチとコーヒーのお客様」
「あ、は~い」
カートに乗せられた料理がどんどんテーブルに移され、いずれテーブルには俺たちの頼んだものでいっぱいになってしまう。なるほど、学校近くに店を構えるだけはある。この店は内装は綺麗で値段もリーズナブルだった。だからこそ柚菜も量は大したことないと高をくくって複数注文しようかと画策していた。しかし並べられた料理は一つの品でしっかりとお腹いっぱい満たしてくれそうなほどだった。
これは柚菜を止めておいて正解だったな。あのまま放置していたら俺どころか先輩にまで泣きつく羽目になっていた。命拾いしたな。
そして肝心のコーヒーは……
「…………ほう」
湯気立つカップ。そこから漂う香りは仄かに香ばしいものだった。深みより味わい。きっと飲み心地はサッとしていて、多くの人に向けた飲みやすさを重視したものだろうと予感させた。
スゥと空気を吸えば身体いっぱいにコーヒーを堪能する。きっと仕事終わりの大人にとってビールはこういう感覚なのだろう。コーヒーを前にして味わうまだ早い感覚に苦笑しつつ顔を上げれば、目が合った先輩にどうぞと手をかざされており、待ってましたとばかりにカップを傾ける。
「美味しい……」
黒く苦い液体が口の中いっぱいに広がり喉の奥へ消えていく。
ようやく出た感想はそんなシンプルなものだった。思い描いていた通りの飲みやすさ。やはり万人に向けた味だった。俺は酸味よりも苦味、そして濃さを求めるから好みに合致とは言い難いが、それでも不意に美味しいと口が自然と動く味だった。
飲みやすくもあり、シッカリとした味わい。狭川さんほどの人が通うだけのものはある。俺の好み合致ではなかったが些細な問題だ。もっと濃い味わいが好きだがこれはこれでなかなかいい。どちらも好みに傾倒している人もいて、それぞれに素晴らしい点がある。
俺のつまらない感想に満足してくれたのだろうか。そう思いつつ顔をあげると先輩は「よかった」と笑ってくれて、自らもカップを傾ける。
「実は私、ここで初めてコーヒーが美味しいって気づいたの。今まであんなに苦いと思っていたのに衝撃的な気持ちだったわ」
「コーヒーの好みはなかなか……奥が深いですからね」
「そうね……。美味しさに気づいてからもっといいものを探そうって自分でも淹れてみたけど、なかなか難しいのよ」
コーヒーを淹れるのはなかなか難しい。
単に豆を砕いてお湯を落とすだけの単純作業だが、その実細かな心遣いが必要なのだ。
蒸らしに落とす速度にお湯の温度。ちょっと挙げただけでもこんなにある。人の好みは千差万別だから自分に合ったものを見つけるのは果てしない道筋だ。
しかし、まさか彼女もコーヒー好きだったとは。新たな同好の士の発見に内心喜んでいると、コトリとカップを置いてから「ねぇ」と話しかけられる。
「さっき、趣味がコーヒー巡りって言ってたわよね。どう?あなたにとってオススメのお店はどこかしら?」
その問いかけにフムと指を口元に添える。
もちろん俺も自分が最高だと思うものに出会ったことはない。まだ模索中だ。
しかし最近目覚めた彼女よりも一日の長がある。俺はこれまで巡ってきたカフェの記憶を掘り起こし、やはりあそこだなとアタリをつける。
「そうですね……今のところ一番は自分で淹れたものですが、店でいうとウチの最寄り駅近くですね。ここより二駅離れたところが良いコーヒー淹れてくれます」
「いいわね。是非とも連れて行ってほしいわ」
「構いませんけど……いいんですか?」
「なんのこと?」
これまで通った中でのオススメの店。そこを挙げると彼女は前のめりになりながら提案してきた。
それは嬉しいお願い。俺にとっても連れて行くのは喜びしか無い。しかし彼女はそれでいいのだろうか。そう思って問い返すと何のことか察していないようでその首を傾げる。
「だって先輩、有名ですから。忙しさとか、そもそも俺と一緒に行ったら変な誤解が広まって仕事に支障が出るかと思いまして」
「あら、私の心配してくれたのね。ありがと。でも大丈夫よ。だって恋人さんがいるじゃない」
「…………恋人?」
恋人?恋人とは誰のことだろうか。
その言葉で逆に俺が首を傾げてしまう。しかし答えを示されるのは早かった。狭川先輩は隣へと視線を移す。
そこにいるのは早速サンドイッチを口いっぱいに詰め込んでハムスターになっている柚菜だけ。もしかして恋人とは…………。
「ほら、隣に座ってるでしょう?可愛い彼女さんね。お似合いよ」
「彼女!?」
「もきゅ!?」
俺が驚きの声を挙げると同時に鳴き声を発する柚菜。
彼女!?コイツが!?
「あら、違うの?」
「い……いやいやいや。ないですって。コイツはただの幼馴染なだけですから。そういうのは全く」
「もきゅきゅ!?」
絶対に違う。そう慌てて首を振るとまたも柚菜が鳴いた。
なにか言いたがっている……文句を言わんとしている様子。すまないが全部無くなってから喋ってくれ。
「ん〜!ん〜!」
「ほら柚菜、食べ終わってから話せ。先輩の前でみっともないぞ」
「ん〜!」
よく見れば口周りにケチャップがついてるじゃないか。おっちょこちょいだな。
俺は手元のお手拭きを彼女の口元に押し当てて周りについた汚れを取っていく。先輩の前でこういうのをするのもアレだが、しなかったら店出ても気付かないからな柚菜は。仕方な――――
「…………へぇ、そう。彼女じゃないのね」
「っ…………!」
―――ゾクッと。何やら突然背筋に冷たいものが走って思わず振り返った。
正面には相変わらず狭川先輩が座っている。しかしその目は笑っていなかった。真剣な、何かを見定めようとする目。これまでずっと笑顔だった分、突然の真剣な表情に俺は思わず彼女から視線を離せずにいる。
「は、はい。それが……どうしましたか?」
「いえ、二人が付き合ってるのなら杞憂かなって思ってたけど、付き合ってないのなら聞かなきゃならないことがあるの」
「聞きたいこと……?」
そう言えば彼女は教室で言っていた。聞きたいことがあると。だから俺をこの店まで連れてきたのだと思い出す。
一体何を聞こうというのだ。その真剣な表情に俺も真面目な顔で相対するも、先輩は問いを口にするどころか少し逡巡して口をモゴモゴさせ始める。何やら聞こうとするのをためらっている様子だ。
「……先輩?」
「いえ、そのね……ちょっと荒唐無稽というか、バカな事かもしれないのだけれど――――」
視線を右へ左へ。明らかに迷っている様子だったが次第に決意が固まったのか真っ直ぐ俺を見て今度こそ口を開く。
それは確かに荒唐無稽なことだった。しかしあくまで傍から見ればの話。当事者の俺にとっては間違いなく心当たりのあるもので、彼女が俺に接触した理由を否応が無しに理解させられる言葉だった。
「――――あなた、夢で私に毎日告白してなかったかしら」
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