004.落とし物とお誘い

「ここのお店のスイーツはどれも美味しいけど、中でもケーキが絶品なの。甘さ控えめでコーヒーとあわせて飲むと特にケーキの美味しさが際立ってくれてブラック好きには最高よ。他にオススメというと――――」

「えっと…………」


 軽快なジャズが聞こえてくる店内。全体的に白と薄香を基調とした色に染まっており、壁や機材なんかは白一色。テーブルや椅子、カウンターなど家具に該当するものは優しい薄香の木材で統一されていて暖かさを感じ取ることができる。

 一言でいうとオシャレ空間。学校帰りの生徒たちが談笑するのに相応しい落ち着いた雰囲気で、甘い香りさえも漂わせている。まさに今ドキのトレンドに乗ったスタイリッシュで美しい店内といった様子だ。


 そこは新しく出来た駅前のカフェ。俺と柚菜がこれから行こうと画策していた店。当初の計画通り俺たちはともに来たかったこの店に入店することが出来た。

 本来ならば意気揚々とメニューを広げて何を頼もうか食い入るように目を凝らす場面。しかし今回に限ってはそうはいかず、控えめながらに目の前の人物へ声をかけた。


 俺の前に座るは一人の女生徒。

 銀色の髪を揺らしながら今日入学した高校の生徒であることを証明する制服に身を包み、落ち着いた様子ながらも心なしか楽しげに広げたメニューへと指差していた。

 できて間もないというのにどれだけ通い詰めてるのか「これはよかった」や「これは思ったより辛かった」、「これはこれと食べ合わせが……」などそれぞれのメニューについて解説してくれている。次々と解説を入れる彼女だったが、俺の……いや、俺たち・・・の戸惑った視線に気がついたのか「あっ」と声を上げてみせる。


「ごめんなさい。同年代と一緒に来ることなんてなかったものだから少しはしゃいでしまったわ。どうぞ、好きなのを選んで。全部私の奢りよ」

「あ、ありがとうございます…………」


 口元に手を当て少しだけ頬を紅く染めた彼女はスッと引き寄せていたメニューをこちらにスライドしてくる。

 そんな姿を見て俺と、隣に座る彼女は互いに目を合わせ、少しだけ戸惑いながら目を通す。

 眼下に見えるのは色とりどりのメニューたち。ショートケーキから始まりタルトやロールケーキ、ナポリタンやホットサンドなど軽食も充実している。それらに目を通しながら俺は今一度思い出す。眼の前の彼女は誰で、どうしてこんな事になったんだっけ――――



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「入学おめでとう藤田君。少し時間いいかしら?」

「ありがとうございます。時間はまぁ……かまいませんけれど……」


 時は戻って放課後間もない時間。

 高校入学初日。俺は幼馴染の柚菜とともに駅前のカフェに行こうと画策していた。

 短縮授業。古い言い方で半ドン。授業こそなかったものの早くに終わった俺たちの昼食も兼ねたカフェ。善は急げと席を立ったところで呼び出されたのが目の前に立つ先輩だった。

 ピンと背筋を伸ばし、皆の目を引くも一切気にする素振りも見せない堂々とした立ち居振る舞い。この学校に在籍するならたとえ入学直後の生徒でも確実に知っているであろう女生徒に、俺は呼び出されていた。

 入学直後でも知っているのは当然だ。入学式の場に生徒代表として壇上に立ち、挨拶の言葉を述べたから。その言葉一つ一つに、その容姿に皆が目を奪われていた。つまりは学校の有名人である。


 名を狭川先輩。モデルであり女優になる彼女がなぜ俺を呼んだのだろう。

 確かに彼女と俺は偶然にも同じ中学だったけれど、会話なんて一つもしたことがない。つまり接点なんてもってのほかだ。同じ中学という接点ならばさっき呼んでくれた冨永さんも、柚菜だって同じとなる。しかし呼んだのは俺一人。あまりの不可解さに嬉しさよりも怪訝さが勝ってしまって、いつでも逃げれるよう反対側の扉の出入り口をチラリと確認する。


「あぁ、先輩に呼び出されたからといってそんなに警戒しないで。私はただ落とし物を届けに来ただけだから」

「落とし……物……?」

「えぇこれ。見覚えないかしら?」


 そう言ってサッと胸ポケットから取り出して見せたのは、黒い装飾が施された小さな手帳だった。

 表紙の中央部分にはここの校章が記されており、その下には名前が記されている。

 そう、生徒手帳。学校に入学する生徒全員に配布されるものであり証明書。えっとなになに……。名前は藤……田……。藤田 颯!?俺!?


「えっ!?あれっ!?ないっ!!」


 手帳に記されていたあまりにも見覚えがある名前に、朝しまったであろうポケットに手を突っ込むも、あえなく空を切る。慌てて逆のポケットに、後ろや胸、ジャケットに手を当てるもそのどれもが目的のものを探し当てることのできなかった。

 つまりアレはコピーや偽物なんかではない。間違いなく俺が所持していたものである。でも何故彼女が!?


「覚えてる?今朝学校前で誰かとぶつかりそうになったこと」

「朝…………?もしかしてあの時、俺は狭川先輩と……!?」

「思い出してくれた?突然飛び出してくるんだもの。びっくりしたわ」

「っ……!す、すみません!あの時は謝ることもなく逃げてしまって!!」


 まさかあの時ぶつかりそうになった生徒が狭川先輩だったとは……!

 俺は大急ぎで腰を曲げ、自分でも驚くほどきれいな90度で頭を下げる。入学早々だとか、こんな大勢の人前でだとか気にしていられない。

 彼女は"あの"狭川先輩"なのだ。生徒代表に選ばれるほどの有名人。それはつまり在校生でも相当な支持を集めているということだろう。つまり目をつけられることは今後の学校生活が死に至ることを意味している。

 入学一年目でやらかしてしまうとは。なんとしてでも機嫌を直して貰わないと!俺のちっぽけなプライドなんてどうでもいい!そこらの魚にでも喰わせておけ!!


 まさに土下座さえも敢行してしまいそうな勢い。しかし彼女は突然の謝罪にびっくりしたのか小さく声を上げてしまう。


「う、ううん!そうじゃないの!全然怒ってないから顔を上げて!」

「…………本当、ですか?」

「えぇ。あの時はギリギリだったものね。遅刻しそうだったのでしょう?大丈夫?間に合った?」

「は、はい……」

「よかった――――」


 て、天使…………。

 中腰になって目を合わせ、遅刻回避したことを知るとホッとしたように浮かべる笑顔はまさに天使のようだった。

 明らかに俺が無礼を働いたにもかかわらず笑顔で許すばかりか遅刻の心配をしてくれるだなんて。

 いつかの噂で聞いた人格面でも完璧という話は本当だったんだ。彼女に欠点がないということも真実だったのか。


 その微笑みで緊張が解けた俺は、ようやく彼女の顔を今一度目に収める。

 ハーフやクォーターと噂される銀色の髪が肩甲骨まで伸び、横を一か所三つ編みでアクセントを入れてオシャレ感を演出している。茜色の瞳と少し下がった目元に陶器のような白い肌。そして優しさと凛々しさを兼ね備えた整った顔立ちは、まさしく完璧超人に相応しい様相だ。

 誰しもの目を引くその姿。そして自らの良さを鼻にかけることもなく自然体で、優しく許してくれる姿はまさに天使。

 写真などでは見たことあったはずなのに、実際の姿やオーラを受けて顔を上げた俺も思わず見惚れそうになるほど。

 しかし群衆の手前あまりうつつを抜かすことは不味い。そう察した俺はすぐに意識を取り戻して生徒手帳へと手を伸ばす。


「拾っていただきありがとうございました。今は突然で何も思いつきませんが、後日必ず何らかのお礼を――――」

「…………」

「――――あれっ?」


 ヒュッと。

 彼女の手に収められた生徒手帳を受け取ろうとすると、つかもうとした瞬間に上へと持ち上げられてしまった。

 もちろん俺の手は何も掴むことが出来ずに空を切る。何かの間違いだろうともう一度数センチ上にある手帳に伸ばすと更に上へ。三度つかもうとすると更に。

 三度。手を伸ばしてもこの手で手帳を受け取ることは許されなかった。これは確実といっていい。彼女は俺に渡そうとしていない。むしろ阻止している。つまりこれは……本当は怒ってる!?


「ふふっ、ごめんなさい。何もイタズラにこうしてるわけじゃないの。今回のお礼に……というわけじゃないんだけど、一つ聞きたいことがあって」

「聞きたいこと、ですか?」


 本当に怒っているのかと戦々恐々としたが、彼女は何らかのお願いごとを聞いてほしいようだ。

 しかしなにを?何でも出来そうで人望のあるだろう狭川先輩が何を俺に聞くというのだ?

 もしかして、聞くというのは方便で本当は命令……有り金全てよこせとか!?それとも在学中奴隷になれ!とか!?やっぱり俺の高校生活はぶつかりそうになったばかりに暗いものへと…………。


「そ、そんなに暗い顔しないで!決して変なものじゃないから!」

「本当ですか……?」

「えぇ本当よ!信じて……というより、さっさと本題に入ったほうが早いわね。その本題は夢――――」

「……夢?」


 夢?夢って何だ?

 そこで言葉が途切れてしまった狭川先輩を見て俺は考える。

 夢と言われてまず思いつくことは最近毎日見ている夢。いやでもそれは……。まさかだ。あり得ないな。

 一瞬だけ思いついた可能性を真っ先に投げ捨てる。そうしている間に彼女も整理がついたのか、一つ首を振って今一度俺と目を合わせた。

 ルビーを彷彿とさせる美しい瞳。その真っ直ぐとキラキラした目をこちらに向けて、彼女は口を開く。


「ううん、なんでもない。聞きたいことについてだけどね、少しついてきてほしいんだ」

「……どこへですか?」


 どこへか。校舎裏か、それとも生コンクリートが置かれた近くの港か。

 嫌な予感がしながら問いかけるも、彼女は「心配ないよ」と言って笑いかける。


 彼女は語る。取得物の対価を。

 そして俺は加速する。彼女に対する不安と混乱を。


「――――今日、今から駅前のカフェで一緒にお茶してほしいの」


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