003.予期せぬ来訪者

「死ぬかと……思った……」

「アハハ……。おつかれさま、颯」


 早朝から始まった全力遅刻回避レースも終わり、午の刻に入って暫く経った頃。

 つつがなく入学式や高校1番の伝達事項を終え、放課後を迎えた時間帯。辺りは新たに出来た友人や中学からの友人など早くも様々なグループが作られていてお昼ごはんは、午後から何するかを楽しげに話している。

 そんな中体力の限界点に到達した俺は、机に突っ伏して身体全体に襲ってくる疲労感とともにその光景をボーっと眺めていた。俺のように孤高に教室を去る者、新たな友達とこれからの計画を立てる者、課題をやり忘れて今必死に冊子を埋めている者、様々な人が見受けられる。


 今日の工程が全て終わり放課後になってようやく襲ってきた疲労感。それは席から一歩も動けなくなるほどだった。変な癖が付きそうなほど身体を曲げ、呟きに反応して近づいてきたのは言うまでもなく柚菜。新たな制服に身を包み少しだけ疲労の色を見せている彼女は、突っ伏している前の席へと腰を下ろす。


「柚菜は早かったな。本気で走ったのに全く追いつけなかったぞ」

「えぇ。前の電車が遅れてギリギリで入れたの。だから余裕を持って着くことが出来たわ」


 あぁ、やっぱりそのキャラでいくのね。

 しかしそれは運の良いことで。俺なんてそんなラッチーパンチが無く定刻通りの電車だったというのに。いや、遅延しなかっただけ僥倖と見るべきか。

 謎キャラで行く彼女は俺が着いた頃にはしっかりと着席していた。同じクラスというのはもう驚かない。小学からこっち、今までずっと同じクラスだったから今更だ。もしかしたら友達の居ない俺に教員が配慮した結果という線も考えられるが、真実は先生のみぞ知る。


「お前は平気そうだな。俺と同じように走ったんだろ?」

「少し疲れたけどこれくらいなら何とか。引きこもりの颯と違って普段ポンちゃんを散歩させてる分差が出たわね」

「むっ……」


 フフンと鼻を鳴らしてドヤ顔する柚菜だが、あまりにも正論だから返す言葉もない。

 引きこもりにとって遅刻の回避の全力疾走は死活問題だ。いくら電車で休憩できるといっても2駅だから立ってると大した回復にはならない。今回は初日かつアドレナリンドバドバでなんとかなったが次はうまくいくとは限らない。きっと後で筋肉痛が襲ってくるだろうし、次同じことがあったら諦めるだろうという確信すらある。

 あまりにも勝ち誇った顔に顔を背けてむくれていると、不意にポンポンと肩を叩かれた。見上げた顔は柔らかな微笑み。まるで労うような表情を浮かべ、真っ直ぐ俺を見ながらお礼を告げる。


「今朝は本当にありがと。本当に助かったわ。颯が見せてくれなかったらどうなってたことか……」

「ま、まぁ。高校一発目からやらかされると一緒にいる俺の株も下がるからな。俺の為だよ」

「ふふっ、そうね。そういうことにしておきましょうか」


 くっ……。なんだよその『わかってます』みたいな表情は。

 机に頬杖ついて目を逸らす俺とそれを見守る柚菜だったが、彼女はふと何かを思い出したのか、「あっ」と言葉を漏らしたあとおもむろにバッグを漁り始めた。そこから取り出したのは2枚の小さな紙。お金……よりも小さい、カラフルなデザインからしてクーポン券だろうか。


「……これは?」

「今朝ママから貰ってすっかり忘れてたの。ほら、最近駅前に新しいカフェが出来たでしょう?そこの割引券。どう?これから行ってみない?」

「ほう……」


 そこには確かに最近高校最寄りの駅前にできたカフェの名前が書かれていた。その30%オフクーポン券。

 俺がコーヒー好きなのは柚菜もよく知っている事実。朝は目覚めのコーヒーを毎日飲み、帰ってきてからも高頻度で飲んでいる。そして新たな美味しいコーヒーを開拓するためにカフェ巡りをするのはもはや趣味と言っても過言ではない。むしろ俺のお小遣いの大半は殆どそれ関連に消えていると言ってもいいだろう。

 それほどまでのコーヒー好き。だからこのカフェも当然気になっていた。高校に近いから入学後早いうちに行こうとも思っていた。


 しかし!

 しかし今はタイミングが悪い。朝のバタバタのせいで財布を家に置いてきてしまったのだ。

 電車に乗ったタイミングで気づいていたが、引き返したら確実に遅刻するのと今日は午前中で帰れるからという理由で捨て置いていた。だから生きたくても行けないのが現状である。

 クーポンの期限は今日までか。非常に惜しいところだがお金を借りないことを信条にしている手前、今日のところは見送りを……


「柚菜、悪いが今日は遠慮――――」

「もちろん、お礼なのだからあたしが奢るわ」

「―――行く」


 熱い見事な掌返し。

 そりゃあ奢ってくれるのならば行かないなんて選択肢は消え去るだろう。

 お金を借りることはしないが奢ってくれるとなると話が変わってくる。色々と気になるお店だったんだよね。コーヒーはもちろんスイーツも美味しそうだったしSNSで見た内装もオシャレだったから実際に見てみたい。

 そうと決まれば善は急げだ!俺たちのような生徒がカフェに集まる前に早いところ出発―――――


「ね、ねぇ、藤田くん。ちょっといい……かな?」

「……冨永さん?」


 放課後の予定が決まった。ならばさっさと行こうとバッグに手をかけたところで、ふと俺を呼ぶ声が降り注いでいることに気がついた。

 発信源は正面の柚菜ではない。ならば誰かと顔を上げれば一人の女生徒……同じクラスの冨永さんが控えめながらに声を掛けていた。


 同じクラスの冨永さん。彼女もまた同じ中学のクラスメイトでお互いに顔と名前くらいは知っている、いわゆる知り合いだ。よく話す友人という程ではないが、仲が悪いだのイジメている関係でもない。ただ用があったら業務的な会話をする程度。その程度の関係である彼女がわざわざどうしたのだろう。

 あまり話すことに慣れていないのか普段からオドオドとした様子を見せている。寡黙、そして口下手である彼女は掛けた眼鏡の隙間から俺を見上げるように瞳を向けるも、パチっと目が合えば慌てたように視線を下げてしまう。


「えっと……。藤田くんの事を呼んでる先輩が……その……」

「颯のことを呼んでる先輩?」


 その言葉に柚菜がいち早く反応し互いに目を合わせるも、首を振って心当たりは無いと示す。

 自慢じゃないが、中学時代帰宅部の俺には関わり合いになる先輩なんて全くいなかった。だから唐突に俺を指名するなんて一体何事だろう。

 そう思ってもう一度冨永さんを見上げると、パチっと目が合って慌てて逸らされた。悲しい。

 けれど彼女は目を逸らしながらもその先を誘導するように、視線でその人物を示していた。視線を向けるは教室の出入り口。今も生徒たちが出入りするその開かれた扉に、一人の女生徒が立っていることにようやく気付く。


「あの人は……」


 ようやく認識することが出来た俺は、立っている人物を見てポツリと呟く。

 教室を出入りする生徒、まだ残っている生徒、廊下に出た生徒もみな一様に彼女を見ていた。


 ありえない。なんでここに。用なんてないはずなのに。

 そんな言葉が口々に聞こえてきて俺も全く同じ感情を抱いた。なんで彼女がここにいるのか、そしてなんで俺を指名しているのか。


 わけのわからない状況。しかし教室を見渡していた彼女が俺と目が合うと、ホッとしたように微笑んだ。

 それは会うことができた安堵感からくる微笑み。何故だ。人違いではないか。そんな疑惑の感情が俺の中で浮かぶも、間違いなく俺だと示すように彼女はこちらに向かって手を振っていた。

 見間違いではない。人違いでもない。それは間違いなく彼女が俺を呼んでいる事実。何故だ。会ったことも話したこともないはずなのに。


「狭川……先輩……」


 柚菜や冨永さんと同じ制服に身を包んでいるものの、明らかに格が違うとわかるオーラを放っている女生徒。

 教室の入口から俺を呼ぶのは先程の入学式でも壇上にて見た顔、そしてこの学校で最も有名であろう狭川先輩その人であった。

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