002.余裕だったはずの時間
「あれ?父さんと母さんは?」
「え?聞いてない?今日は二人とも仕事で早く家を出るって。あたしがお邪魔する時すれ違ったよ?」
記念すべき高校入学の朝。まだ始業には幾分か余裕がある時間帯。
まだ若干サイズ余り感のある新たな制服に袖を通し、少し着慣れない感覚に違和感を覚えつつも階下へ向かうと、そこに座っていたのは柚菜一人きりだった。
幼馴染かつ同い年の柚菜。
同じ高校に入学するため初めて見る制服に身を包んだ彼女はいつも食事をするテーブルにつきながら自ら焼いたであろうトーストを口にしていた。
俺たち腐れ縁の間ではよくある光景。しかし今日は珍しく父さんも母さんもその周りにいなかった。父さんは普段から朝早いから気にすることはない。しかし母さんまで居ないとは珍しい。さっきの柚菜の言葉によると仕事のよう。珍しくはあるが、まぁそういう日もあるかと納得しつつ椅子を引いて向かいに座る。
「ふぅん。じゃあこれ、お前が作ったのか」
「うん!……じゃなくて、えぇそうよ。おばさんにも頼まれちゃったしね」
今朝から始まった謎の高校デビュー柚菜はまだ継続中らしい。
不自然なキャラ変だと思いつつも特に言及することなく手元に視線を移すと、美味しそうな朝食がテーブルに広がっていた。
しっかり焼かれたトーストから始まり、ハム付き目玉焼き。焼きアボカドにサラダとフルーツポンチ、最後に珈琲と見事な朝食だ。
適当にトーストを手に取ってパリッと音を鳴らすと、染み込んだバターの香りが口いっぱいに広がっていく。
「ん。なかなか……」
「ホント!?えへへ、今日のは自信作なんだ~」
思わず口から出ていた感想をすかさず耳にした柚菜は嬉しそうに足をパタパタ揺れ動かす。
そそっかしくてドジばっかりで頭も言うほどだけど、料理はかなり美味いんだよなぁ……悔しいことに。
普段は母さんが朝食を作ってくれるが、昼を中心に何らかの理由で作れない状況になると依頼を受けた柚菜がすかさずやってきて食事を作ってくれる。
だからなのか知らないが、柚菜の作る料理はかなり美味い。思わず俺も唸るほどに。特に今日は半月ぶりということも相まって思わず口に出してしまっていた。普段なら絶対言わないのに。
自らの失言が恥ずかしくなって誤魔化すようにコーヒーを傾けると、柚菜は更に言葉を重ねてくる。
「料理のことも嬉しいけど、それより先に言うことがあるんじゃないかしら?」
「……そのキャラ変のことか?せっかく高校デビューのところ悪いが合ってないぞ」
「違うの!そうじゃなくって……!!」
はて、それじゃないなら一体なんなんだ?
今一番おかしくて言いたいことといえば全く合ってないお姉さんキャラなんだが。所々ボロが出まくって全然なってないし。
それ以外に言及するべき点は……。眉を吊り上げて返事を待つ柚菜に俺はサラダをムシャリながら悠長に考えていると、しびれを切らしたのかついに席を立ってその腕を大の字に広げてみせる。
「これ!新しい制服のこと!どう!?似合ってる!?……かしら!?」
「語尾」
もうそれキャラ云々じゃなくなってるじゃん。
あまりに取って付けたかのような、罰ゲームみたいなキャラ性に一つ嘆息して今一度柚菜を見る。
今日の彼女は中学時代に見慣れたブレザーと違ってセーラー服姿だった。
紺色のスカートとジャケットに白色のタイ。白色の襟には一本の線が入っており涼やかさを感じる。
抑えきれないドヤ顔を見せつけつつ茶色の髪を揺らし今か今かと俺の返事を待つ彼女に俺は頬杖ついてフイと目を背ける。
「……馬子にも衣装だな」
「も〜。相変わらず颯は素直じゃないんだから。このツンデレさん」
「………」
「なに?その『何言ってんだコイツ』みたいな目は」
「みたい、じゃなくてそのものなんだが」
「む~!!」
さすが腐れ縁。言葉にせずとも分かってくれてる。
しっかりと伝わった以心伝心を喜びつつアボカドを口に運ぶ俺と、抑えきれぬ怒りを唸り声でぶつけてくる柚菜。
今日の朝は人の少なさから若干静かで、それ以上に騒がしいひとときとなった――――。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「ヤバイヤバイヤバイ!遅刻する!!」
「なんで!?なんで早く起きたのにこうなっちゃったの!?」
バタバタと。
俺たちはあれやこれやを急いでバッグに詰めていく。
その手は目の求まらぬスピードで。額からは冷や汗がドバドバと出てまさに緊急事態といった模様。
右へ左へ部屋を渡り歩き朝の必要なルーティーンを高速で済ませていく。
それもこれも、全ては朝食後の出来事のせいだ。
朝食後。美味いご飯を食べてまだまだ時間に余裕があるからとコーヒー片手に優雅なモーニングタイムを過ごしていると、洗い物をしてくれていた柚菜が真っ青な顔で俺に話しかけてきた。
それ自体は大したことじゃない。普通の朝の一幕だ。問題は彼女の表情。話しかけてきた柚菜はまるで買ったばかりのスマホを落として画面が割れてしまったかのようだった。そのあまりの絶望顔に俺も戸惑いながらどうしたかと問いかけると、彼女は震える声でこう言った。
『課題、一個やっていなかった』と―――――
課題。高校から春休みに入る直前に送られてきた幾つかの冊子。
それはどれもこれも中学時代の基礎を問われるものだった。もちろん俺は既に全部記入済み。しかし彼女がその言葉とともに見せた一つの冊子は、見事漂白剤でもぶち撒けたのかと思うほど真っ白だった。
それは完全にやっていなかったという証明。そして課題は全て入学式の今日回収すると通知されているものである。
つまりこれから導き出される結論はどういうことか。考えるまでもない、高校の一発目から柚菜は危機的状況にあるということだ。
さすがに幼馴染として初日からそんな大ミスは見過ごす訳にはいかない。今から解くのは絶対に間に合わないと確信した俺は、最後の手段として自らの課題を取り出し丸写しするという手段に踏み切った。
そんなこんなで何とか終わる頃にはギリギリもいいところ。よりにもよってやり忘れた課題が途中式も必須な数学だったことが災いした。書き写すのに余計に時間がかかってしまった。
そんなこんなで危機的時間帯。
何とか全ての準備を終えた俺たちはバッグを片手に玄関へ駆け込んだ。あとは靴を履いて扉を開けてダッシュで行けば多分まだ間に合う!だから大急ぎで靴紐を結んで――――
「――あっ!ヤバい!忘れ物!!」
「えぇ!?こんな時に!?」
「すまん柚菜!先行っててくれ!俺のほうが足速いからすぐ追いつく!!」
「も〜!絶対だよ!絶対すぐに追いついてよね!!」
こんな切羽詰まった状況、わざわざ柚菜の口調が戻ってるとか言っている余裕すらない。
俺は結びかけていた靴紐をほどき大急ぎで2階へと駆け上がっていく。たしか机の上に…………あった!!
よかった。俺のカビ生えた記憶も案外役に立つものだ。意外とすんなり見つかった"ソレ"を手に取り広げてみせる。
これ、出来上がって気づいたけど思った以上に映りが悪かったんだよな。普段よりも仏頂面だし眉にシワ寄ってるし、できることなら撮り直したい。やっぱり街中の証明写真じゃなくてカメラ屋で頼んだほうがよかったかも。
「……っと、今はそんなゆっくりしてる暇なんてなかった」
映りの悪さのせいで思わず感傷に浸ってしまったが、そんな事してたら俺一人だけ遅刻してしまう。さすがに高校一発目でそんなことはできやしない。
俺は手にした"ソレ"をポケットへと突っ込んで部屋を飛び出す。
火の始末はちゃんと確認したし鍵も今ちゃんと確認した。スマホや忘れ物も問題ない。よし、行こう!!
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
燦々と太陽が照らす道を全速力で駆けていく。
涼しい風が吹く春の朝の風。しかしそんなことは知ったことかと俺はひたすら風を切る。
まだ柚菜と会えていない。思ったより家で時間がかかったから随分と離されたみたいだ。しかしこのペースなら合流することは出来なくても遅刻は回避できることだろう。
これまで通ってきた通学路とは違い、見慣れぬ道を右へ左へ進んでいく。春休み中に通学路の下見をしておいて本当に良かった。頭の地図から外れる気配も無いし迷うこともなさそうだ。
ギリギリということもあって他に人が見えぬ通学路。午前中は入学式だけで在校生は関係ないから当然のことだろう。初日から遅刻危機となるのは俺たちくらいなものだ。
しかしようやく学校が見えてきた。あとはこの角を曲がって直進すれば――――
「キャアッ!!」
「えっ……?うわぁ!?」
直進する手前の最後の角。
人も見えず何とか間に合いそうということもあって油断していた俺は、出会い頭に誰かが来るという可能性をすっかり頭から排除してしまっていた。
突然聞こえてきたその悲鳴にようやく視線を向ければそこには人影が。このまま行けば衝突してしまう。そう確信を得てしまった俺は反射的にグッと身体を捻ってその影を回避する。
チッと、俺の腕と影の持つバッグが掠る音が聞こえる。しかしそれ以上接触する感触はなく、ギリギリとのところで影の前を通り過ぎ停止する。
「っ……つつ。すみません大丈夫ですか!?」
「え、えぇ……」
結果は成功。
なんとか回避に成功した俺はすかさず頭を下げた。
少しだけ視線を上げて目に入るのは見覚えのある制服。柚菜と同じもの。状況的にも同じ高校生だろう。
しかし無事で良かった。このままぶつかっていたら遅刻回避とかそういう問題じゃなくなっていた。
「あなたこそ大丈――――」
「それと重ねてすみません!遅刻しそうなんでこのまま失礼します!!」
「――――えっ!?」
頭を下げるのもそこそこに、俺は踵を返して思い切り地面を蹴る。
なにか言いかけてた気もするがここまで来たんだ。これ以上道草食っていたら今度こそ遅刻してしまう!眼の前の女生徒から驚きの声が上がるも今はただ前だけを見て突っ走る。
「…………行っちゃった」
その場に取り残されたのは女生徒ただ一人だけ。
彼女は去っていったその姿を呆然としながら見送りつつ、ふと視線を落とせば何かが落ちていることに気づいた。
「あら、これは……」
それは身体を捻った時の反動でポケットから落ちたもの。渡す相手が居なくなったその場で拾い上げた"ソレ"を何気なしに開いてみせる。
開かれた中身は女生徒にとって見覚えのあるものだった。まさか思いもしなかった中身に思わず驚きの顔を浮かべる。
「この……顔は……!っ――――!待って!!」
驚きに目を丸くしながら勢いよく視線を上げるも、やはりそこには誰も居ない。落とし主は既に去ってしまった後。暫く待ってみるも落としたことに気づいていないのか引き返してくる気配もない。
それならばこちらから行くしか無い。そう結論づけた女生徒は大事そうに"ソレ"を胸ポケットに収め、神妙な面持ちを浮かべながら同じ道を歩み始めた――――。
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