第23話 私が本当にしたかったこと

 *


「着いた……」


 午前一一時。二日ぶりに、自宅に戻ってきた。町野宮駅を発ってから五時間。多分、徒歩では間に合わなかった。本当に、熊野さんには感謝しないと。自転車から降りて、家のドアを開ける。


「……ただいま」


 誰に向けているのか分からない挨拶を告げ、自宅に足を踏み入れる。さて、ゆっくりと横になりたいけど、そうも言っていられない。もうすぐお昼だ。これが、人生最後の料理。私にとっての「ラスト・ミール」になる。


「……よし。作るか」


 リュックから、この三日でかき集めた材料を取り出し、キッチンへと向かった。

 七輪に火を点ける。フライパンにツナ缶から取り出して油を引いて、これで準備完了。まずは肉じゃがの缶詰から、ニンジンとタマネギを取り出して、ニンニクと一緒に炒める。とは言っても、既に火は通っているから、本当にさっと火を通すだけでいい。ジャガイモはあんまり早くから入れると煮崩れしちゃうから、後回し。

 次に、トマトに火を通す。トマト缶から取り出したカットトマトを半分くらい投入。あんまり多すぎると酸味の主張が激しくなるから気を付ける。大体、二分から三分程度煮ればいい。同時に缶詰から取り出した牛肉も一緒に入れる。

 ここでようやく、各種スパイスの出番だ。カレー粉、トウガラシ、クミン、ガラムマサラ、コリアンダー、レッドペッパー、ターメリックを投入。香り立たせるように、さっと全体と混ぜ合わせる。

 そして、水を二五〇ml加える。あとは仕上げまで煮るだけ。本当は具に火が通るまで念入りに煮た方がいいけど、今回は加工済みの缶詰を使ってるし、あんまり時間はかけない方がいいかな。大体、五分くらいでいい。


「これは……」


 五分後、フライパンの様子を見ると、そこには――完全にカレーらしきものが出来上がっていた。いいぞ。あと一息だ。ここでジャガイモと、リストには書いていなかった中濃ソースを投入。そして、塩を加えて、味を調える。どれ、味見。


「……っ」


 あぁ、涙が出てくる。完全に夢にまで見たカレーだ。でも、何か足りない。これは……辛味? 実を言うと、ちょっとトウガラシとレッドペッパーの量を控えていた。あんまり辛くすると、カレー本来の味を損ねると思って。でも、やっぱりこの程度の辛さじゃ物足りない。もう少し、トウガラシを加えよう。

 一振り、更に一振り。よし、これでいい。これで――もう一振り行っちゃえ!


「うわぁ。やっちゃったよ」


 思わず、自分でも呟いてしまった。トウガラシを三振り、三振りかぁ。結構行っちゃったなぁ。辛いぞぉこれは。

 もう味見は不要だ。どれだけ辛いか、食べてからのお楽しみ。最後に水溶き片栗粉を振り撒いて、とろみを付ける。湯煎しておいたご飯の缶詰を取り出し、白米を皿に盛る。そして、ルーを注いで――完成。


「……んっ」


 目の前の光景に、息を呑んでしまう。これが、三日間死ぬ思いをして材料を集めて作った、最後の晩餐カレー。食べるのすら惜しい。このまま芸術作品として、眺めていたい。でも……私の胃袋は耐えられそうにない。


「……いただきます」


 その一声と同時に、スプーンで掬ったカレーを口に運ぶ。


「…………」


 言葉はいらない。これが、私の求めていた――最高のカレーだ。本当に、ここまで生きてよかった。間違いなく、今日この日が、私にとって人生最良の日だ。胸を張って言える。

 死ぬにはいい日だ、と。


 *


「……懐かしいな。これ」

 カレーを食べ終え、現在時刻は午後二時を回っている。残された寿命は一時間。その最後の時を私はアルバムを見て過ごしていた。人生を振り返るという意味ではこれ以上の道具は存在しない。亡き母が写っている写真を見ると、どうしても耐えられなくなってしまって、これまでアルバムをあまり開けなかった。でも、ようやく……見ることができた。

 一通り感傷に浸り、時計を見る。もう三時。あっという間だな。あと十分ちょっとで、私の人生は終わる。最後に思い出すのは……この三日間の出来事だ。川でゾンビに噛まれ、カレーを食べて死ぬと決心してから、本当に色々なことがあった。そして、気付いたことがある。


 私は……そこまでカレーを食べたかったわけじゃない。死に場所を求めていただけだ。


 昔、「ラッキー」という猫を飼っていた。私が小学校の帰りに拾ってきた捨て猫で、父に無理を言って飼ってもらった。でも、ラッキーは生まれつき腎臓が悪くて、私が高校生の頃に腎臓病で死んでしまった。いや、正確に言うと、死んでしまったと思う。私はあの子の死に際には立ち会っていない。ラッキーは死ぬ直前に、家から脱走して逃げてしまった。

 ずっと、不思議だった。なぜ、ラッキーは看取らせてくれなかったのか。そこまでして、外に出たかったのかと。今なら分かる。どうせ死ぬなら、悔いは残したくない。自由にやりたいことをやって、死にたい。ラッキーにとって、残った悔いがそれだったのだろう。あの子は最後に、自由を手に入れて、この世から去った。それは……とても幸福だったと思う。


 私がカレーを食べようと思った理由もこれに近い心情だったと思う。正直、カレーの出来に関してはどうでもよかった。ただ、最後に何か……目的がほしかった。この文字通りに腐った世界でも、何かをやり遂げたって達成感がほしかった。紅葉ちゃんを助けたのもそうだ。私が彼女を助けた理由はただ正義感に駆られたわけじゃない。無論、それもあったと思うけど、本質的には違う。


 私は……ずっと、後悔していた。父が市民のために残した食糧をただ貪り、生きている日々を。


 最後に、私も誰かの助けになりたいと思った。その時に現れたのが紅葉ちゃんだった。私は――彼女を利用した。彼女を救えば、自分の罪が少しでも清算されると思った。


「はは……そりゃ、合わせる顔もないか」


 今頃、紅葉ちゃんは何をしているだろうか。熊野さんから全てを聴いて、泣いているのかな。最後に託したあのクロスボウが、少しでも彼女の助けになることを祈る。

 父の貯蓄によって、私は命を救われた。そして、私は紅葉ちゃんを町野宮駅に送り届けた。多分、こうやって人類は……命のバトンを繋げて来たんだと思う。親から子へ。人から人へ。その輪に少しでも貢献できたと思うと、案外、私の命も無駄じゃなかったと思う。これで、心残りはなくなった。


「……時間か」

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