第22話 カレー・オブ・ザ・デッド
用意されたソファに腰を下ろす。すごいな。元地下鉄だってのに、ちゃんと家具が用意されてる。一体、どうやって運んだんだろう。
そういえば、駅に入ってからずっと気になってたけど、電気は既に止まっているはずなのに、この駅は照明が生きている。自家発電の設備もあるってことか。
「既に冷めてしまっているが、どうぞ」
「あ、どうも」
やかんに注がれたお茶を差し出される。一瞬、飲もうか迷ったけど……既に私は感染者だ。万が一ということもある。ここは遠慮しておこう。というか、ここに来て、私って「どうも」しか言ってないな。どんだけ口下手なんだ。
「事情は一応、他の者から聞いている。今回は本当に……紅葉を助けてもらって、ありがとう。感謝しても、しきれない」
「い、いえ……そんな。私はただ、当然のことをしただけです」
「正直……昨日、遠征班が帰ってこなかった時点で、覚悟は皆していたんだ。でも、紅葉だけでも帰ってきてくれた……これは奇跡としか、言いようがない。本当に、ありがとう」
熊野さんは深々と頭を下げる。誠実な人だな。紅葉ちゃんにあれだけ慕われているのも分かる。
「ところで、赤羽さん。君は一体、どこからやってきたんだ? 他にも生き残りが集まっているコミュニティがあるなら、ぜひ情報共有したいんだが」
「えっと……私は……」
ここで、私は熊野さんに、自分の素性を明かす。
この町野宮駅から数キロ離れた地区の自宅で籠城していたこと。そこで偶然、紅葉ちゃんが襲われているところに通りかかって、助けたこと。無論、既に自分が感染者だということは伏せて。
「だから、私がいた地区に他に生存者が残っていたかどうかは分からないです。お役に立てずにすみません」
「……そうか。だが、まだゾンビがそんな何体も徘徊しているとなると……生き残りは絶望的だろうな」
私も、彼と同意見だ。何となくだけど……私がいた地区には町野宮のようなコミュニティはもう存在しない気がする。
「あ、あとこの駅に来る途中に、紅葉ちゃんと「オゾン」の方に寄ってみたんですけど、そこにも一応生存者はいました」
「……なに? オゾンにも? それは本当か?」
「えぇ。でも……私たちを襲ってきたので、このクロスボウで足を撃って逃げてきました。多分、もう今頃は……」
「……そうか。気に病む必要はない。どこでも起こり得る事態だ。俺もこの三年間で、何人もそういう輩を殺めたことがある」
予想はしてたけど、そこまで珍しいことじゃないのか。生存者同士でも争うことって。まあ、そうだよね。現代人が犯罪を起こさない理由なんてのは結局、警察っていう圧倒的な法の暴力によって支配されていたからで、それが機能しなくなれば、あとは個人の善性に頼るしかない。
殺すのも、奪うのも、犯すのも好きに生きるやつが出てきても、何も不思議じゃない。でも、そこまで腐ってしまったら……ゾンビと何も変わらないと、私は思う。
「赤羽さん。君はこれからどうするつもりだ? 町野宮のコミュニティは君を歓迎する。ここで一緒に暮らしてもらっても、何も問題はないんだが」
「…………」
やっぱり、こうなる、か。どうしよう。この流れで断るのはあまりにも不自然だ。よっぽどの理由じゃないと、納得してもらえないはず。いや――もういっそのこと、告白してしまった方がいいかもしれない。これが一番、説明するなら手っ取り早い。
「ごめんなさい。私、嘘をついていました」
「嘘?」
「はい。これは紅葉ちゃんにも言っていません。あの子には……私がここを去るまで、黙っていてください」
私は靴と靴下を脱ぎ、足の甲を熊野さんに向けて見せる。そこには――確かに、噛まれた跡が残されていた。言葉はいらない。これだけで、全ての事情が伝わるはず。
「……っ」
一瞬、熊野さんの私を見る目が変わった。分かってはいた。こうなることは……でも、紅葉ちゃんだけにはこんな目で私を見てほしくない。
「安心してください。噛まれたのは二日前の午後三時。まだ、猶予はあります」
「……そう、か。君も……本当に、残念だ」
熊野さんの目は元に戻っていた。本当に、いい人だ。心の底から、初対面の私に同情してくれている。
「よく……よく言ってくれた。俺に手伝えることはあるか? できる限り、協力したい」
「そうですね。じゃあ、一晩だけ、ここで休ませてください。明日は日の出と共に出発して、最後は自宅で過ごそうと思っています」
「分かった。他の者と接触させるわけにはいかないが、個室を用意しよう」
よかった。追い出されずに済んで。さすがに、私も夜の闇の中でゾンビを躱しながら、帰宅する自信はない。
こうして、私は用意された駅の部屋で、一晩を過ごした。紅葉ちゃんには……私は疲労で、既に眠ってしまったと伝えてもらった。これが彼女と顔を合わせる最後の機会だったけど、多分、私の方が耐えられなかったと思う。これでいい。もう、あの子が泣く顔は見たくないから。
*
翌朝、私は熊野さんに連れられて、昨日訪れた西出口へと向かっていた。昨晩は本当によく眠れた。同じ屋根の下、というか地下だけど、他人がいる空間というのは本当に安心して床に就ける。
「自宅まではどのくらいあるんだ?」
「大体、六、七キロってところですかね。急げばギリギリ間に合う距離です」
そう。唯一の懸念事項は――
「……かなりの距離だな」
「えぇ。でも、できる限りは頑張ります」
「……そうだ。ちょっと待っててくれ」
そう言うと、階段の手前まで来た辺りで、熊野さんはどこかに行ってしまった。五分程度、私はその場で待ち惚けていた。いや……時間、ないんだけどな。
「すまない。待たせてしまって」
そう言うと、熊野さんは両手に何かを抱えて登場した。一瞬、それが何なのか、頭に疑問符を浮かべてしまったが――すぐに、正体に気付いた。
「それ……もしかして……〝自転車〟ですか?」
「あぁ。使えるかと思って持ってきたんだが……必要か?」
「……最高ですよ」
シャッターの外に出ると、ちょうど顔を出したばかりの太陽が輝いていた。朝日って、こんなに綺麗だっけ。あぁ、死ぬにはいい日、ってやつかな。
「本当に、ありがとうございます。これなら、時間までには間に合いそうです」
熊野さんから譲ってもらった自転車の存在は大きい。これなら、ゾンビに怯えることなく、駆け抜けることができる。走行者ですら、追いつけない速度のはずだ。
「紅葉のことを思えば、このぐらいお安い御用だ。本当に、最後にあの子に会わなくていいのか?」
「えぇ。私が行ったら、熊野さんから伝えてください」
「……そうか。最後に、紅葉に何か伝言はあるか?」
「……伝言、ですか」
言いたいことは山ほどある。もっと、紅葉ちゃんと色々話したかった。でも、これでいい。きっと、交流を深めれば深めるほど、別れが辛くなる。私が最後にあの子に残してあげられるものは何だろうか。少し、一考する。
「……じゃあ、これを」
私は手に持っていたクロスボウと腰にある矢筒を取り外し、熊野さんに差し出す。
「これを紅葉ちゃんにあげてください。もう、私には不要のものなので」
「……いいのか?」
「えぇ。自転車に乗ったら使えませんし、リュックに入れることもできないので。それに、私よりもあの子が持っていた方が……父も、喜びます」
ふと、父のことを思い出してしまった。元々、これは父が管理していた倉庫から拝借したもので、所有者は私じゃない。きっと、お父さんなら――「人助けのために使え」と言うだろう。なら、これが最良の判断だ。
「……分かった。本当に、ありがとう。赤羽さん。俺たちは君のことを忘れない」
「大げさですよ。私のことなんて、すぐに忘れてもらっていいです。じゃあ、これで……さようなら」
「あぁ、無事に家に戻れることを祈っている」
熊野さんに別れを告げて、町野宮駅を後にする。まだ、全部終わったわけじゃない。私には最後の仕事が残っている。それを果たすまでは――死ねない。カレー・オブ・ザ・デッドはこれからだ。
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