第21話 町野宮へようこそ

 その後、私たちは順調に町野宮駅に向かって歩を進めていた。現在時刻は午後五時過ぎ。陽も傾き始めている。

 いつの間にか、私に残された猶予時間も二四時間を切っている。このまま町野宮駅で一晩を越して、夜明けと同時に出発すれば……何とか、間に合うかな。本当に、ギリギリだと思うけど。


「紅葉ちゃん。あと駅までどれぐらい?」

「この道は見覚えがあるので、もうすぐだと思います。あと数百メートルぐらいです」


 ふう。やっと、ここまで来た。

 おっと、最後まで気を緩められないな。私にはまだ本命の使命が残ってる。理想のカレーを食べるまでは死んでも死にきれない。この町野宮駅周辺も、ゾンビの数はそれなりに多い。どこに尖兵が潜んでいるか、分かったもんじゃない。


「あっ! あ、あそこです! あれが入口です!」


 紅葉ちゃんは前方百メートルほど先にある場所を指差す。あれは……地下鉄の出入口に続く階段、だろうか。シャッターが閉め切られていて、外部と完全に遮断されている。


「どうやって入るの?」

「各出口の近くには絶対に一人は見張りの人がいるんです。その人に向けて合図を出せば、中に入れてくれると思います」


 なるほど。セキュリティは完璧ってわけか。伊達にこの三年間を生き延びている集団じゃない。シャッター前に到着すると、紅葉ちゃんはコンコンと、何回か不規則なリズムでシャッターを叩く。恐らく、これがゾンビと人間を見分ける合図なのだろう。


『誰だ?』

「私です。斎藤紅葉です」

『紅葉ちゃん⁉ ちょ、ちょっと待っててくれ』


 シャッターからは聴こえた声は明らかに動揺しているようだった。そりゃそうか。向こうから見たら、一晩経っても帰ってこない遠征隊なんて、何らかの事故か襲撃に遭って全滅したとしか思えないはず。それが生還して帰ってきたんだから、幽霊と対面してる気分になるよね。

 シャッターが半分ほど開く。紅葉ちゃんは中腰になって構内に足を踏み入れる。その動作を真似て、私もお邪魔する。


「うおっ⁉ そっちのは誰だ⁉」


 私の顔を見た見張りの男は一瞬ゾンビかと警戒して、さすまたのようなものを構えていた。なるべくこちらも無害なことをアピールするように、両手を上げる。


「あ、その人は大丈夫です。実は話すと長くなるんですけど……」


 そして、紅葉ちゃんはこれまでの経緯を彼に話した。遠征中に、ゾンビの襲撃に遭い、自分だけが生き残ったこと。そこで、私と出会い、共に町野宮に帰還したこと。

 道中のショッピングモール内での出来事は……彼女もあまり思い出したくないのか、省いていた。


「そうか……大変だったな。みんな本当に心配してたんだ。紅葉ちゃんだけでも、帰ってきてよかった。そこの……赤羽、っていったか」

「はい」

「よく紅葉ちゃんを助けてくれた。あんたは恩人だ。本当にありがとう」

「……どうも」


 見張りの男は深々と頭を下げて、感謝の念を伝えた。この男の態度だけで、紅葉ちゃんがどれだけ慕われているのか、分かった気がする。まあ、めったにいるもんじゃないか。こんな顔も性格もいい子。おまけに元芸能人。アイドル的な扱いを受けていても不思議じゃない。



「さっそく、みんなにも知らせてやらねえとな。ついてきてくれ」

 そう言うと、男は階段を降りて、地下へと進む。続いて紅葉ちゃんが。私は二人の後を追うように、その背中を追った。


 *


「紅葉ちゃん⁉ 無事でよかった!」

「おい、紅葉ちゃんが生きてたぞ!」


 駅構内に入ると、続々と大勢の人々が紅葉ちゃんを出迎えた。最初は彼女以外の遠征組の生存者の全滅の報せを聞くと、皆、悲しみの表情を見せていたが、1人でも生き残りがいたということを喜ぶべきだという流れに変わった。多分、彼らもまた……身近な死が多すぎて、慣れてしまったのだろう。

 しかし、本当にこれだけの人間がまだ生きていたとは驚きだ。中には赤ん坊を背負っている女性の姿も見かけた。まだ、人類は生命のバトンを繋ぐことができている。その事実は――どこか、感動の念を覚える。


「あの人が紅葉ちゃんを助けてくれたらしいぞ」

「ありがとう! 本当に、ありがとう!」

「ど、どうも」


 話が広がり始めると、私の方にも人が集まってきた。困った。どう反応すればいいのか分からない。そして同時に、人々の視線が、突き刺すように痛くも感じる。この場で、私が感染者だということを知っているのは――誰もいない。そのことを伝えたら、私は英雄から一転、死体もどきとして即追い出されるか、最悪この場で叩き殺されるだろう。それが、とてつもなく恐ろしい。

 その時、非常に体格のいい男が人混みをかき分けるように、私たちの前に現れた。うわ、でっか。身長は一九〇……いや、二メートルはある。しかも、肩幅と胸筋も半端じゃない。前職は消防士か、ラグビー選手かと疑うほどの巨体だ。体育会系だということは間違いない。


「あぁ、よかった……本当に、紅葉なんだな」

「く、熊野さん」

「よかった……本当に、よかった……」


 そう言うと、熊野と呼ばれた人物は紅葉ちゃんに熱い抱擁をする。一瞬、二人の関係性を疑ってしまったが――すぐに、余計なお世話だったということを察した。熊野という人は完全に、娘の無事に安堵する父親の顔だった。


「赤羽さん、紹介します。この人は熊野さん。町野宮駅の代表を務めている人です」

「君が、紅葉を助けてくれた人か。ありがとう。感謝しても、しきれない」

「……どうも」


 代表リーダー、か。納得。明らかに、他の人とは雰囲気が違う。まさしく、人を束ねるに相応しい器の人物だろう。

 初対面の私ですら、こう感じるほどだ。きっと、彼を中心に、このコミュニティが形成されたに違いない。


「少し、慌ただしくなってきたな。紅葉はみんなに無事を報告してきなさい。俺は少し、赤羽さんと話をする」


 え、知らない人と二人きり……気まずい。と言いたいけど、まあそんなこと言っていられる状況でもないか。それに、年齢はだいぶ年上に見えるし、これならまだ話しやすい。

 そんな流れで、私は熊野さんの部屋に案内された。

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