第20話 腐っているのは死体だけじゃない

 その後、昼食を店内で済ませ、出発の準備をする。時刻は午前二時。この調子なら、陽が沈む前には町野宮に到着できる。


「……紅葉ちゃん。さすがにちょっとそれ多くない?」

「あ、あはは……やっぱり、そうですかね」


 彼女が背負っているリュックは缶詰がギチギチに詰められており、今にも溢れようとしていた。というか、絶対持ち帰れない量だ。


「んんっ! お、重い」

「はぁ……ほら、もっと減らさないと」


 紅葉ちゃんの身長と筋肉量を考えると、精々持ち運べるのは三キロから四キロだろう。それぐらいの量になるように、缶詰を外に放り出す。


「よし、これくらいかな。大丈夫?」

「はい! オッケーです!」


 ある程度、紅葉ちゃんの荷を解き、出発する

 。今のところはまさに理想的の展開。これで終わってくれるなら、何も問題はない。でも……私の中で、ある疑念が頭を過っていた。


「…………」

「どうかしたんですか?」

「いや……別に、気にするほどのことでもないと思うんだけどね。ほら、あの店の棚、ちょっと変じゃなかった?」

「……?」


 やっぱり、紅葉ちゃんは特に不審には思わなかったらしい。私が心配性なだけ、だと思いたい。


「あそこの店、一部の商品だけがちょっと数が少なかったんだよね」


 そう、あの店の陳列には違和感があった。一見すると、均等に商品が並べられているように見えたけど、よく見ると偏りがあった。なぜか、肉類の缶詰が異常に減っていたのだ。まるで、誰かがそこだけを抜き取っているかのように。


「あー……確かに、お肉の数だけなんか減ってましたね。でも、それが何か?」

「……いや、別に何かあるってわけじゃないんだけど」


 やっぱり、気にし過ぎだ。もう忘れよう。縁起でもないし。そうこうしているうちに、メイン通路の一階へと到着していた。あとは……またあの裏口から外に出るだけ。

 その時――ふと、物陰に、何か妙なものが見えた。反射的に、クロスボウを構える。しかし、その影は私が照準を合わせるより先に――紅葉ちゃんに襲い掛かった。


「え――っ⁉」

「なッ――‼」


 一瞬の出来事だった。私の中で最悪の予知が思い浮かぶ。喉笛を噛み千切られ、生気が抜ける目でこちらを見つめる紅葉ちゃんの姿が――っ。


「おいお前! 動くなよ!」


 ――ゾンビじゃない。こちらに向けて、その人物は警告を発した。


「その武器を捨てろや! こいつ刺すぞぉ!」


 人間だ。野太い声、薄い頭髪、無精髭、そして手元に握られたナイフは紅葉ちゃんの首元に当てられている。その男は血走った目でこちらに向かって叫んでいた。


「あ、赤羽さん……」


 何が起きているのか分からず、紅葉ちゃんは今にも潰れそうな声を発する。

 もっとも、状況を呑み込めていないのは私も同じだ。突然現れた謎の男。握られたナイフ。人質にされた紅葉ちゃん。察するに、この男は……ショッピングモール内を根城にしている生存者、ということになる。


「……落ち着いて。私はあなたに危害を加えない」

「いいから置いて両手上げろやぁ‼ こいつが殺されてもいいんかぁ!」


 対話を試みるが、効果はないようだ。明らかに冷静な人間とは思えない。どうする、ここでクロスボウを手放すべきか。

 いや、応戦するなら、それは避けたい。でも……向こうには紅葉ちゃんがいる。恐らく、私が戦闘の意思を見せるなら、この男は容赦なく彼女を刺すだろう。接近戦ではナイフの方が速い――ってことか。


「……分かった。これでいい?」


 おとなしく、私は彼の言葉に従い、クロスボウを足元に置いて両手を上げる。

「へへ、それでいいんだよ……」

 男は紅葉ちゃんを捕らえたまま、クロスボウを拾い上げる。あぁ、最悪。これで、反撃する手段が消えた。


「おう、てめえら……どっから来たんだよ。他の生き残りなんて、もう何年も見てなかったのによ」


 クロスボウをこちらに向けて、男は質問してきた。


「……とにかく、落ち着いてほしい。私たちはただ、物資を求めてここに来ただけ。ここがあなたの陣地エリアだったなら、取ったものは返すし、何なら詫びにこっちの物資をあげるから、その子を離してあげて」


 できるだけ相手を刺激しないように、丁寧な物言いで交渉する。紅葉ちゃんは……涙をこらえながら、こちらに助けを求めている。クソ、何とかしないと。考えろ、考えろ。


「あん? 答えになってねえだろうが‼ どっから来たのかって聞いてんだよ‼」


 男は激昂しながら、地団駄を踏む。まずい、このままだと矢が飛んでかねない。


「……町野宮。町野宮の地下鉄に、生存者のコミュニティがある。私たちはそこから来た」


 厳密には私は違うけど、そんな事情を話す時間もないだろう。


「地下鉄だと……? そんなところに集まってたのか。ったく、俺以外は全員死んだと思ったのによ」


 どうやら、この男も私と同じで、1人でこのショッピングモールを占拠して、何年も生き延びていたらしい。どこか親近感を感じ――るわけもない。こんなやつと、一緒にされてたまるか。


「ほら、こっちの食糧は全部あげる。だから、その子を離して」


 背負っているリュックを降ろして、彼に差し出す。


「はぁ? 何言ってんだてめえ。食いもんなんてな。こっちはまだ腐るほどあんだよ」

「……じゃあ、何が望み?」

「望み? そんなの……決まってんだろ」


 男の下衆な視線が、舐め回すように全身を這う感覚がした。

 あぁ、本当に――最悪。これでやっと分かった。この男は正真正銘、ゴミクズクソゲロ野郎だ。これから何を要求してくるかなんて、容易に想像できる。ゾンビとは別の意味で腐ったやつ。ある意味、ゾンビの方がマシだ。

 どうする。まだ私はいい。だって、最悪、感染している私はこいつを道連れにすることができる。でも、紅葉ちゃんは違う。この子だけは絶対に助けないと。どうすればいい。

 こちらから仕掛けるのは絶対に無理だ。少しでも不審な動きを見せれば、紅葉ちゃんに危害が及ぶ。どうにかして、あいつの死角から不意の一撃を喰らわして、紅葉ちゃんを解放する必要がある。そうなれば、いくらでも手はある。でも、どうやって――っ。


 その時、紅葉ちゃんの腰元に――包丁の柄が差さっているのが見えた。そうだ。あれは護身用に持たせておいた武器。ちょうど、鞘の部分が腰元で隠れているから、あの男も気付いていない。残された手はこれしかない。

 私は紅葉ちゃんに向けて、アイコンタクトでサインを送る。小刻みに首を下に振り、彼女に包丁の存在を思い出させる。お願い。気付いて。


「……てめえ、何してんだ?」

「……首が、痒くて」


 自分でもだいぶ無理がある言い訳だと思う。でも、これぐらいしないと、紅葉ちゃんには伝えられない。彼女に目を合わせて、促すようにしせんを下げる。


「……っ」


 私の動作に釣られるように、紅葉ちゃんは自分の腰元に視線を下げる。そして――気付いた。そこに、武器があることに。


「…………」

「…………」


 言葉はないが、互いに瞳同士で意思疎通ができたという手応えを感じた。今、私にできることは全部やった。あとは……彼女に任せるだけだ。こっそりと、自然な動作で、紅葉ちゃんは自分の腰元に腕を動かす。そして――


 グサッ


「っいってぇ⁉」


 紅葉ちゃんは――男の太腿付近に、包丁を突き刺した。本当によくやってくれた。あとは……私の仕事だ。


「こ、このっ……!」


 男は目の前の紅葉ちゃんに向かって、ナイフを振る。しかし、足を怪我しているため、踏み込みが足りず、その刃は届くことはない。

 そうだよね。緊急時には……使い慣れた武器に必ず頼るよね。自分の手に、遠距離用の武器が握られていることは忘れて。


「――ッ!」


 私は全力で男の背に向けて、タックルをお見舞いする。今、あいつの意識は完全に自分に危害を加えた紅葉ちゃんに向けられている。

 加えて、左脚は負傷していて、バランスが不安定。つまり、女の私の突撃でも、充分に通用する威力になる。


 ドンッ


「うぐっ⁉」


 突然、背後からの衝撃。あの足の傷だと、僅かな衝撃でも耐えることはできない。たちまち、男は転倒した。その手に持った、クロスボウと一緒に。


 カランッ


「なっ……」

 その衝撃音で、男は自分がクロスボウを手放したことを悟る。でも、もう手遅れ。無傷の私の方が、拾うのは速い。


「……っ!」


 男が接近するよりも素早く、クロスボウを回収し、照準を合わせる。これで、形勢逆転。あとは――引き金を引くだけでいい。

 私は男の額に狙いをつけ、引き金を引いた。


 シュンッ

 グサッ


「がぁっ⁉」

 矢は――男の左膝の皿を貫いた。


「あがっ……痛ぇぇぇ‼」


 男の左脚は既にその役目を果たすことができないほどの深手。駄々をこねる子どものように、その場を転げ回っていた。


「あ、赤羽さん!」

「紅葉ちゃん、ありがとう。本当に、よく気付いたね」

「い、いえ。私、包丁のことなんてすっかり忘れてて……全部、赤羽さんのおかげです」


 本当に、よくやってくれた。きっと、失敗したら……突き刺されているのは自分だと覚悟していたはず。私が思っていたよりも、紅葉ちゃんは強い子だった。


「あの……赤羽さん。どうするんですか。あの人」

「ク、クソオオオオオオオオオ‼ 許さねえぞてめえらあああああああああああ‼」

「…………」


 まだ男は床を芋虫のように這っている。その瞳には確実に殺意が込められており、近付こうものなら、容赦なく嚙みついてでも反撃してくるだろう。


「行こうか。もう、ここには用はない」

「……そう、ですね」


 多分、トドメを刺すまでもなく、この男はもう助からない。太腿ってのは人間の部位の中でも特に血管が集約している場所だ。あの傷を放っておいたら、どんどん血が流れて、失血死は逃れられない。しかし、その事実を紅葉ちゃんは知らなくていい。

 あの瞬間――私は確かに、こいつの額を狙って、矢を撃った。でも、実際に命中したのは膝。そう、私は反射的に、この男を直接手にかけることを躊躇してしまった。今までゾンビの頭を何十体も撃ち抜いてきたのに……なぜだろう。


 あぁ――そうか。そういうことか。どうやら……ゾンビは殺せても、私はまだ、殺人には抵抗があったらしい。よかった。最後にそのことに気付けて。


「待てゴラアアアアアアアア‼ 逃げんなああああああああああああ‼」


 モール内には男の怒号が響き渡る。その声を無視して、私たちは「オゾン」を後にした。

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