第19話 新大陸発見

 裏口の扉を開けて「オゾン」内に侵入する。他の建築物と同じく、通路内は陽の光が届きにくいため、昼間と思えないほど薄暗い。ライトを付けて、周囲を照らす。


「あ、赤羽さん……」


 紅葉ちゃんは怯えているのか、私の袖を掴む。仕方ないか。建築物ってのは人の温もりがあって初めて安心感を得られる。

 逆に、人気ひとけがない廃墟ってのは……普段のギャップも相まって、恐ろしいほどに不気味だ。下手なお化け屋敷よりも怖い。これでは屋外のように見張りの役目は任せられないだろう。


「私から離れないでね」

「わ、分かりました」


 慎重に、足音の一つも聞き逃さないように、通路を進む。そして、数十メートルほど進んだ辺りで――広い空間に出た。


「ここは……」

「モール内のメイン通路かな」


 天井のガラスからは太陽光が差し込んでおり、周囲を照らしている。紅葉ちゃんも少し安心したようで、ようやく袖から手を離してくれた。


「ここも、ゾンビはいないようですね」

「うん。でも、用心は怠らないでね」


 メイン通路にも、ゾンビの姿は見られない。周囲を観察していると、あるモノを発見した。


「あ、それ、ここの地図ですか?」

「そうだね。私たちのいる場所は……ここか」


 通路内に設置してある案内図から、現在地を確認する。

 今、ここは一番北のフロア。ここから南に数々の店舗が立ち並んでいる。しかし、だいぶ数が多いな。ざっと見る限り、五十近い店がこのショッピングモール内にはあるらしい。全てを回っている時間は当然ない。


「とりあえず、優先度が高い食品関係の店だけ今回は回ろうか」

「はい。私もそれでいいと思います」


 地図を見ると、近場の飲食関係の店は……あった。二階に食品売り場がある。今日はここを中心に探索しよう。


「……あ、紅葉ちゃん。ちょっと待って」

「どうかしました?」


 二階に登る前に、ある店に通りかかり、足が止まる。

「はい、あげる」

 そして、彼女に向かって、あるモノを投げつけた。


「これ……リュック、ですか?」


 そう、私が手に取ったのはアウトドア用品店に並んでいたリュックサック。容量はかなり入りそうで、普段はキャンプや登山で使用されるものだと思われる。

 今、紅葉ちゃんはほぼ手ぶらの状態。装備は私が渡した包丁を腰に差しているだけだ。このままではせっかくこの「オゾン」で物資を入手しても、持ち帰る手段がない。


「それなら、手土産を持って帰れるでしょ?」

「あっ……た、確かに! ありがとうございます!」


 紅葉ちゃんは嬉しそうに、身体のサイズには少し大きいリュックを背負う。あぁ、もう、本当に可愛いな。こいつめ。


 *


「ここ、ですかね」

「うん、そのはず」


 二階の食品売り場に辿り着いた。通路は日光が差し込んでいたけど、店内はやっぱり薄暗い。ライトを付けて、周囲を確認する。


「――ッ⁉」

「どうかした――ッ⁉」


 その光景を見て、二人とも、言葉を失ってしまった。

 店内には……まるで、三年前にタイムスリップしたかと思える光景、陳列棚には大量の食品が残されていた。

 ま、まさか――ここまで物資が残されているとは思わなかった。心のどこかで、このショッピングモールも他と同じく、もぬけの殻になっていると考えていた。そこに現れた予想外の僥倖。はは……新大陸を発見したコロンブスの気分だ。地上にこんな楽園がまだ残っていたなんて……小躍りでもしたい気分だ。


「や、やりましたね! 赤羽さん!」

「うん……さっそく漁ろうか」

「はい!」


 この場所にもまだゾンビが潜んでいるかもしれない。そんなことすらも忘れて、私たちは百パーセントオフセールの買い物を始めた。


 *


「うーん……やっぱり、お菓子とかは賞味期限がとっくに切れてますよね。食べられるのかな、これ」


 紅葉ちゃんはスナック菓子の裏面を眺めながら、物欲しそうな目で眺めていた。


「未開封なら、多分食べられるとは思うけど、味に関してはだいぶ落ちていると思うよ」


 お菓子なら、多分そこまで影響がないはず。私も災害前にうっかり二年も期限が切れているお菓子を食べちゃったけど、ちょっと湿気ているくらいで特に味は変わらなかった。でも……今ではどうしても、この手の期限には気にするようになってしまった。というのも、一度、それで文字通り痛い目に遭ってしまったのだ。

 あれは二年くらい前だったかな。地下を整理していると期限切れのカレーの缶詰を見つけて、それを食べたことがあった。まあ、缶詰なら特に問題ないと思ったんだけど……大失敗。

 それから数日、めちゃくちゃお腹を壊した。あれは本当に地獄だった。私が神の存在を信じるのは腹痛の時だけ。必死に神に縋りながら。涙目でお腹を摩ってずっと横になってた。それ以来、もう期限が切れている食品は口にしなと決めたわけだ。今でもあの時の出来事を思い出すと、ちょっとお腹が痛くなる。


「……うん。やっぱ、やめておいた方がいいよ。持って行くなら、缶詰とかにしといた方がいい」

「やっぱりそうですよねぇ。もったいないなぁ」


 お菓子のコーナーを通り過ぎて、缶詰の棚を二人で眺める。


「……っ」


 そこには大量のカレーの缶詰が並んでいた。お、おぉ……本当に、宝の山だ。あぁ、もっと早く、ここに来ればよかったな。今の私だと、残されている食事の回数は三回。大食いの胃袋がこの世界でうらやましく思う日が来るとは思わなかった。

 でも、私の本命は缶詰じゃない。もっと重要なものが……ここには必ずあるはず。


「紅葉ちゃん。私、ちょっと店内を一周してくるから、何かあったら大声で叫んで」

「分かりました。赤羽さんも気を付けてくださいね」


 持ち帰る缶詰を吟味している紅葉ちゃんを置いて、その場を離れる。念のため、ゾンビがこの店内にいないか確認する必要があった。店内をぐるりと一周し、他の人影がないか確認する。


「よし、大丈夫」


 この店には私と紅葉ちゃんしかいない。これで、安心して物色することができる。一直線に、調味料の棚へと向かう。そして、ある商品の前を通りかかった時――私の思考は一瞬停止した。


「あ……あった」

 そこには確かに、こう書かれていた。


『万能カレースパイス粉』


 あぁ、やっと……やっと、手に入れることができた。夢にまで見たカレー粉。しかも、この商品は私が日頃から愛用していたブランドの一つ。これで、限りなく理想通りの味に近付ける。


「お、おいおい……マジか」


 カレー粉を手に取り、道なりに他の商品を眺めていると、とんでもない発見をしてしまった。なんと、この店はスパイスコーナーも用意されているではないか。

 クミン、コリアンダー、ガラムマサラ、レッドペッパー、ターメリック、シナモン、ナツメグ、ガーリックスパイスまで⁉ 

 や、やばい。これはやばい。さすがの私も、平静でいられない。興奮が抑えられない。一旦、落ち着くためにも、リストを取り出して、手に入った材料にチェックを入れる。


 ・カレー粉 ✓

 ・トウガラシ ✓

 ・クミン ✓

 ・ガラムマサラ ✓

 ・コリアンダー ✓

 ・レッドペッパー ✓

 ・ターメリック ✓

 ・片栗粉 ✓

 ・ニンニク ✓

 ・トマト ✓

 ・タマネギ

 ・ニンジン

 ・ジャガイモ


 野菜以外のリストが一気に埋まってしまった。いやいやいや、最強か? もうこんなのほぼカレーじゃん。やっぱりショッピングモールって最高だ。ゾンビ映画でみんな揃って行く理由が分かった気がする。

 さて、あとはタマネギ、ニンジン、ジャガイモだけど、実はもうさっき缶詰コーナーをざっと見て、目星は付けてある。この三つの食材が採用されていて、保存食になっている可能性が高い料理。それは――


「あ、赤羽さん。どうでしたか?」

「うん。ここは安全みたい」


 再び、紅葉ちゃんがいる缶詰の棚に戻ってくる。そして、端から端を、慎重に指でなぞりながら、一段ずつ見落とさないように商品名をチェックしていく。


「……あった」


 そして、ある缶詰の前で足が止まった。


『非常食 肉じゃが』


「……最高」

「ん? 何か言いました?」

「いや、何でもないよ」


 まったく、日本の食品業界には頭が上がらない。特に、保存食技術はインスタントラーメンからレトルトカレーに至るまで、常に日本は最前線を走ってきた。缶詰も、国民食と呼ばれるものは大半が長期保存の加工に成功している。カレーと材料に共通点が多い肉じゃがも……例外じゃない。

 これで、任務完了ミッションコンプリート。あとは家に帰還して、カレーを作るだけ――いや、まだ最後の仕事が残っていた。


「あ、それ肉じゃがの缶詰ですか? へぇ~おいしそう」


 あとは紅葉ちゃんを町野宮駅に送り届けるだけ。これが終わったら、ついに私の最後の晩餐だ。

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