第17話 目指すは楽園

 *


 その日、夢を見た。夢の中で……父が出てきた。自衛官で、三年前のあの日以来、連絡が取れていない父だ。

 夢は嫌いじゃない。むしろ、こんな血と内臓に塗れた世界になってしまった以上、あの頃の日常に戻る唯一の手段が夢だ。現実世界で交友関係が更新されないと、夢の中の登場人物も変わらないというのは今回の騒動で初めて知った。

 無論、悪夢を見ることもあるけど……今でも、平和だった日々の夢はそれなりに見る。目が覚めるたびに、現実世界への帰還に落胆するほどだ。叶うなら、一日中寝ていたい。

 恐らく、父はもうこの世にいないと私は認識している。死の報せがない以上、生存している可能性も僅かにはあると思うけど、それはあまりにも高望みというものだろう。でも……それでも……ほんのちょっとだけ、まだ父は生きていると願っている。その方が、気が楽になるのは確かだ。


「…………はぁ」


 前の世界の夢を見ると、毎回溜め息を吐いてしまう。もう二度と戻ることはないその日々の記憶は尊いものだけど、残酷でもある。この手に届かない宝物を見せつけられているようで、気分が悪い。

 ふと、向かいのソファを見る。まだ彼女は――眠っているようだ。窓を見ると、ちょうど陽が顔を出し始めていた。先に朝食を準備しておくか。重い身体を持ち上げて、調理に取り掛かった。


 *


「……んっ。あ、れ。ここは……」

「おはよう。よく眠れた?」

「あ、はい。えっと、私……」


 瞼を擦りながら、彼女は周囲を見回す。どうやら、ひと眠りしたことで、自分が置かれている状況を一瞬忘れてしまったようだ。


「あ、そうか……」


 そして、全てを思い出した一瞬だけ、儚げな表情を見せたのを私は見逃さなかった。恐らく、昨日見た惨状も一緒に脳裏に蘇ってしまったのだろう。


「朝食用意したし、食べようか」

「あ、ありがとうございます」


 朝食の乾パンとスープを二人で食べる。

 昨日の晩から二人分の食事を用意しているということで、予備の食糧もちょっと底が見え始めてきた。恐らく、この調子では今日の夕食分はないと思う。まあ……それだけあれば、充分か。今日中には彼女を町野宮駅に送り届けて、あとは物資を集めながら帰宅する。そこで、集まった材料でカレーを作ろう。よし、完璧な日程だ。


「それで、ちょっと町野宮駅について聞きたいことがあるんだけど」


 地図を取り出して、場所を確認する。私は町野宮駅には直接出向いたことがないから、正しい道順を聞く必要があった。


「場所はここで合ってる?」

「はい。そこで大丈夫です」

「じゃあ、現在地はここだから……最短だとこういうルートになるか」


 目標は四キロ先の町野宮駅。そこまで遠い距離じゃない。数時間もあれば、問題なく到着できるはず。で、その道中にあるのが――指を添えて、経路をなぞる。


「……ショッピング、モール」

「あ〝オゾン〟ですね」


 大型ショッピングモール「オゾン」。この辺では一番規模が大きい集合商業施設。最初に、目を付けた場所の一つだ。そのショッピングモールが……ちょうど、町野宮駅と現在地を挟む場所にあった。


「実は私たちのグループ……最初はこの「オゾン」を目指していたんですよね」

「え? そうなの?」

「はい。実はこっちも食糧にちょっと困ってて……それで、ちょっと遠征をして物資を探そうってことになったんです。でも……」


 その結果は言うまでもない。なるほど、町野宮コミュニティも、このショッピングモールは未知の領域。つまり、物資が大量に残っている可能性がある。私にとっても好都合だ。


「……どうする? 帰る途中で、ここに寄ってみる?」

「え?」

「もちろん、無理にとは言わない。ここも、大量のゾンビが溢れているかもしれないし、ちょっと覗いて、ダメそうなら、そのまま町野宮に行こう」

「……そう、ですね。みんなが… … 命がけで行こうとした場所ですもん。私も、見に行きたいです

 ゾンビの楽園か、人間の楽園か。確認する価値はある。決まりだ。「オゾン」を中継点にして、町野宮駅に向かおう。


「それにしても……すごいですね。それ」


 ふと、彼女は私の背後にあるクロスボウを指差した。


「ん……? あぁ、まあ、自衛用にね」

「ちょっと、触ってみてもいいですか?」

「いいけど、結構重いよ」


 クロスボウを持ち上げ、彼女に向かって渡す。


「ほ、本当だ……結構重い」


 正確な重量は分からないけど、多分、七百から八百グラムはあると思う。最初はダンベルを持ち上げているかと思うくらい重く感じだけど、今となってはもう慣れた。


「ほ、本当に、すごいですね。赤羽さん。あの火炎瓶も……ぃ分で作ったんですよね」

「まあ……そうだけど」

「私たちも自衛用の武器を色々作ってますけど、あんなの、誰も作れませんよ」

「あー……はは」


 まさか、学生運動の最中に極左団体が発行した本を参考にして作ったとはとてもじゃないけど言えない。本当は爆弾も一緒に作りたかったけど、さすがにそっちは材料が揃わなかった。


「そうだ。武器といえば……一応、これ」


 私は彼女に予備のカバー付きの包丁を手渡す。


「今、何も持ってないでしょ。一応、護身用にはなると思うから」

「あっ……ありがとうございます! ごめんなさい。私、本当にドジで……逃げる途中に、武器も落としちゃったみたいです」


 乾いた笑いを彼女は零す。しかし、本当にこの斎藤紅葉という少女は可愛らしい顔をしている。女の私ですら、見とれるほどだ。もし、私が男なら……って、なに下世話な妄想しているんだ。今のはさすがにキモすぎる。


「あの、私の顔に何か付いてます?」

「あっ、ご、ごめん。そういうわけじゃなくて……もしかして、元芸能人だったりする?」


 やっぱり、この子にはどこか既視感がある。でも、こんな美少女の知り合いはいない。つまり、以前にどこかの雑誌か、テレビで目撃した可能性が考えられる。これだけの美貌だ。モデルか子役でもおかしくない。


「あ、はは。そうですね。今でも、たまに言われます。一応、芸名は佐藤クレアで活動していたんですけど」

「佐藤……クレア……」


 思い出した。聞き覚えがある名だ。確か、当時はそこそこ有名な子役で、バラエティに出演していたのを見たことがある。年齢も、髪型も変わっていたから気付かなかったけど、言われてみると――面影がある。やっと、謎が解けた。


「私、テレビのロケの最中にこの騒動に巻き込まれたんです。だから、今でも家族と連絡が取れてなくて……」

「それは……大変だったね」


 見知らぬ土地で巻き起こった生物災害。私以上に、この子が死線を潜ったのは間違いないだろう。しかも、当時の年齢はまだ一二歳。本当に、よく生き残ったと感心する。


「一体、いつになったら、元の生活に戻るんですかね」

「…………」


 その問いに、私は答えることができなかった。いや、明確な回答は用意してある。ここまで国家という概念が崩壊してしまった以上、もう元の生活に戻ることはない。諦めろ――と。

でも、そんなことを一五歳の子どもに言えるわけがない。しばらく悩んだあと、私は口を開いた。


「多分、もう人類が繁栄することはない。このまま死体の餌になって、滅びる運命だと……私は昨日まで思ってた」

「…………」

「でも、あなたと出会って、他にも生き残りがいることを知った。大丈夫、こんな狭い町でも、これだけの生き残りがいるんだよ。まだ日本にも、世界にも……生き延びた人たちが大量にいるはず。まだ人間は負けてない。きっといつか……元に戻る日が来るよ。絶対」

「そ、そうですよね!」


 嘘は吐いていない。私も、その日が訪れることを願っている。もっとも、私が終戦記念日を迎えることはないけど。


「じゃあ、そろそろ行こうか。えっと……」

「どうかしました?」

「いや……名前。どう呼べばいいのかなって」


 その時、私は初めて彼女の名、斎藤紅葉の名前を呼ぼうとしたが――思いとどまってしまった。昔から、人の名を呼ぶのはどうも慣れない。どこか、馴れ馴れしい気がして、躊躇してしまう。同世代の子でも、名前を呼ぶまで最低でも三か月はかかっていた。


「あ、紅葉で大丈夫ですよ。みんな、そう呼んでくれますので」

「じゃあ……紅葉、ちゃん。行こうか」

「はい! 赤羽さん!」


 こうして、何の因果か、私は元子役の斎藤紅葉ちゃんを町野宮駅に送り届けることになった。

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