第16話 嘘

 一体、どこまで話せばいいのだろうか。三年間、ゾンビから逃れるために引きこもっていたこと。昨日、ゾンビに噛まれたこと。残された寿命で、好物のカレーを食べるために奔走していること。わ、我ながら……なんて馬鹿らしいことをしているんだろう。これじゃ、食い意地の張ったガキと同じだ。とても人には言えない。

 でも……私は既に感染者だということは伝えるべきだ。これだけは最低限の、人としての配慮マナー。この子の安全を守るためにも、言え。早く。言ってしまえ。


「…………っ」


 喉元の辺りで何かが詰まる。なぜだ。その言葉を放つことができない。私は……何かに臆している? 一体何に……この斎藤紅葉と名乗る少女に? 違う。私が怖いのは――人と見られないことに、だ。

 今、私が感染者だと告げたら、彼女はどういった反応をするだろうか。いや、容易にその反応は想像できる。一瞬にして、彼女の眼差しは羨望、敬意に溢れたものから、失望、敵意へと変わる。表情に出すことはなくとも、些細な動作で必ず気付く。この事実を告げたら、私は……同族ヒトと見られない。外にいる大量の歩く死体と同じ扱いだ。


「……私は、この三年、ずっと家で籠城していたの。でも、食糧がついに底を尽きて……こうやって表に出てきたってわけ」


 あぁ、クソッ――言えない、言えない。怖い、怖い、怖い。結局、私も……どこにでもいる平凡な人間だった。そうか。みんな……こんな気分だったんだな。迫る死の恐怖だけじゃない。

 一番恐ろしいのは……同じ人間に敵だと認識されることだ。それが何よりも怖い。こうやって、結局伝えられないまま時間切れになって、更に二次被害が発生したんだろうな。今、やっと分かった。


「え……ま、まさか、ずっと独りで戦ってきたんですか⁉」

「まあ、そうなるかな」

「す。すごいです! そ、そんな人、初めて見ました!」

「……すごくないよ。全然」


 どこか、彼女の視線が突き刺さるように痛く感じる。これは傷を隠していることに対しての後ろめたさなのか、父が市民のために用意した保存食で生き長らえていることに対しての罪悪感なのか。あぁ、自分で自分が嫌になってきた。

 何の意味もなく、窓の外の風景を眺める。時刻は午後七時。もう陽は完全に落ちており、部屋に入ってきた時に火を付けておいた蝋燭が唯一の光源だ。お腹、空いたな。


「……とりあえず、夕食にしようか。話は食べながらすればいいし」

「え……そ、そんな。いただけませんよ。だって、赤羽さんの食糧じゃないですか」


 彼女は遠慮をしているように、手を振りながら拒否の仕草ジェスチャーを取る。よくできた子だ。一日中走り回って、自分も体力の限界を迎えているだろうに、ここにきて遠慮ができるなんて。


「いいよ。そんなケチなこと言うつもりなら、最初から助けてないし。水も飲んだ方がいい」

 リュックから水のボトルを取り出して、彼女に投げる。

「わっ……あ、ありがとうございます。じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて」


 丁寧にお辞儀をして、彼女は水を受け取る。それはもうすごい勢いで飲み干していた。やっぱり、相当疲労していたらしい。水と食糧を余分に用意しておいてよかった。

 固形燃料に火を付け、夕食の準備をする。さて、メニューは……魚鍋にするか。念のために、調理中も手袋は付けておく。私が直接触れたら、あの子も感染しちゃうかもしれないから。

 ツナ缶、鯖缶、サンマ缶、水、塩をフライパンに投入して、沸騰させる。出汁自体は缶詰の汁で出てるから、あとは煮えるまで待つだけ。実に簡単な料理だ。ただ煮るだけで形になるんだから、鍋ってやつは楽でいい。でも、これだけじゃちょっと物足りないだろうから、ご飯の缶詰も投入して雑煮風にする。小型サイズってこともあって、フライパンの中は具と汁とご飯で溢れかけていた。そろそろいいか。火を止めて、フライパンを運ぶ。


「完成。食べようか」

「お、おいしそう……」


 予備のスプーンを彼女に渡し、一緒に同じ鍋を囲む。他人と食事を共にするのも、三年ぶり。


「い、いただきます。ん! お、おいしいです!」

「……そう。口に合ってよかった」


 料理の味を褒められるのはかなり嬉しい。でも、あんまり喜ぶのも恥ずかしいから、必要最低限の反応リアクションをする。あー……こんなんだから、友達があんまりいなかったんだろうな、私。自覚はしているけど、今更治せる癖じゃない。


「……本当に、おいしいです。う、うぅっ」

「ちょっ、だ、大丈夫?」


 鍋を口に運びながら、彼女は泣き出してしまった。え? も、もしかして、そんなにまずかった? おかしいな。私は普通に食べられる味だと思うんだけど。


「ご、ごめんなさい……暖かいご飯を食べたら、何か安心しちゃって……」

「そ、そう。よかった」


 あまりにまずくて涙が出たというわけではないらしい。まあ、そりゃそうか。何人も身近な人の死を見見届けて、自分も死にかけたんだから、緊張の糸が解けたら涙も出る。ましてや、まだ一五歳の女の子だ。でも……こういう時、なんて言葉をかけたらいいんだろうか。わ、分からない。

 その後、私が対応に困ってしまったせいで、特に会話が続くことなく、二人で鍋を平らげてしまった。いや、だから……年下の扱い方が分からないんだって。

 普通なら、もうちょっと話せるから。マジで。と、誰に向けて言っているのか分からない言い訳を心の内で呟く。


「……赤羽さん」

「……んっ?」


 気分が落ち着いたのか、彼女が声をかけてくる。何か、年下の子に気を使わせてしまったようで、ちょっと居心地が悪い。


「赤羽さんは……これから、どうするつもりですか?」

「……どう、する?」


 反射的に、その問いを聞き返してしまった。これからどうするか、と言われても……私に残された時間はもう二日を切っている。カレーを食べるしか、目的はない。その後に待ち受けているのはただの死だ。でも、こんなことはこの子には言えない。


「特に、考えてないかな」

「じゃ、じゃあ! 行く宛てがないなら、町野宮駅に来ませんか⁉ きっと、みんな歓迎してくれると思います!」

「…………」


 まあ、そうなるよね。今の私はただの住所不定。あ、もう学生でもないから、無職にもなってるのか……嫌なことに気付いちゃったなぁ。って、そんなことはどうでもいい。この子を助けた以上、同じコミュニティに誘われるのは必然。


「私なら、駅の場所も知ってますし! 一緒に行きましょう!」

「……そう、だね。じゃあ、そうするか」


 彼女を送り届けることに関して文句はない。むしろ、最初からそのつもりだった。でも、私の役目はそれまで。町野宮駅に着いたらそこで別れよう。私にはまだ、やり残した使命がある。

 その後、夜も更け、体力も回復させる必要があるということで、話は明日の朝に回し、すぐに就寝することにした。

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