第15話 生き残りと死にぞこない
「いやっ……いやっ……」
距離を縮めるにつれて彼女の懇願するような声が聴こえてくる。どうやら、無我夢中で走っているようで、まだ私の姿には気付いてない。
十数メートル後方にはその姿を追うゾンビが雪崩のように押し寄せている。恐らく、逃走を繰り返しているうちに、走行者タイプのゾンビだけを引き連れてきてしったのだろう。見る限りでは武器になりそうなものは何も持っていない。なぜ、あんな丸裸同然の装備でこの亡者の世界をうろついているのか、その理由も気になるけど、今は彼女を助けることが最優先だ。
歩道橋の真下に到着する。ちょうど、彼女は階段を下り始めていた。大丈夫、まだ間に合う。リュックの中から〝瓶〟を出す。ポケットからライターを取り出して、蓋部分に着火する。これで準備完了。あとは――投げるだけ。
「伏せて!」
階段前に立ち、私は彼女に警告する。一瞬、私のことをゾンビだと勘違いしたのか、彼女は目を丸くしていたが、すぐに言葉の意味を理解し、階段を降りながら、姿勢を低くした。
そして、私は――階段を下り始めたゾンビ目掛けて、瓶を投擲した。曲線を描きながら、瓶は宙を舞い、先頭のゾンビの胸に衝突し、破裂した。パリンと、軽快な音が鳴ると同時に、緋色の閃光が発生する。刹那、熱風がこちらにまで伝わってきた。
これは私の特製火炎瓶……父の書斎にある本を参考にして作った。多分、今では所持しているだけで何らかの法に接触する本だと思うから、製造法は内緒だけど。
炎はゾンビに対してそこまで有効ってわけじゃない。あいつらは火だるまになっても、数十秒間は活動できるのは実証済み。灰になるまでは歩みを止めることはない。でも、足止めには使える。炎はゾンビの五感を鈍らせる効果がある。嗅覚、視覚、聴覚、どれを使って人間を探知しているのかは分からないけど、火だるまの状態だとその探知能力が著しく下がり、こちらを追跡することが不可能になる。地面に置いていたもう一本の瓶にも着火して、再び同じ場所に向かって投げる。
一瞬にして、歩道橋は炎に包まれた。先頭にいたゾンビ集団は完全に火だるまになり、その場で転がっている。更に、後続のゾンビも足元のゾンビに躓き、続々と引火していた。
「……え?」
階段を降り、背後に振り返った少女は困惑の表情と声を漏らす。
「大丈夫? 噛まれてない?」
「えっ、あっ、は、はい!」
ざっと彼女の身体を見回すが、噛み傷らしきものは確認できない。
「よかった。走って。逃げるよ」
「え? あ、あの……」
「いいから、早くしないとまた追ってくる」
「わ、分かりました!」
今は互いの身分を説明している暇はない。私は彼女を引き連れて、急いでその場を後にした。
*
「ふう。ここなら……安全か」
「はぁっ……はぁっ……」
数十分後、ゾンビの追手を撒き、郊外のビルにあるどこかの会社の事務所内に足を踏み入れる。一応、ゾンビが潜んでいないか入念に確認はした。扉には鍵をかけておいたし、いざとなれば非常階段を使って逃げることもできる。一晩を過ごすにはこれ以上にない好条件の物件だった。
「あ、あの……ありがとう……ございました……」
「ん? あ、あぁ……うん」
他の住居者がいないか確認が終わり、オフィスに戻った直後、目の前の女の子は感謝の意を伝えた。その突然の言葉に、私は少し動揺してしまった。あれ、私って……こんな人付き合い下手だっけ。いや、前も得意な方でもなかったけど。
「私、
「……赤羽雪音」
ちょっと待って。全然あの子と目を合わせられない。どうしちゃったんだ私。まさか、この三年間で――対人恐怖症になった? せっかくの三年半ぶりの生身の人間との会話だってのに、これじゃこっちが変なやつみたいじゃん。
もっと平然としないと、不審がられる。というか、私……臭くないよね? 最後に水浴びと洗濯をしたのは三日前、まさか……他の生き残りと会うなんて思ってなかった。大丈夫……かな。
「あ、あの! 赤羽さん!」
「え?」
襟元の匂いを確認する私を見かねて、斎藤紅葉を名乗る少女は声をかけた。あれ……なんか……めっちゃ可愛くないか。この子。
ここで、私はやっと自分が助けた少女の顔を真正面から見た。顔はまるでアイドルのように小さく、瞳は吸い込まれるような澄んだ黒色。首元まで伸びたセミロングの髪はファッション雑誌から出てきたモデルのようで――って、何気持ち悪いことを延々と考えているんだ私は。いや、確かに美人だけど、どこか見覚えがあるような……そこが引っかかっているんだ。
「さっきは本当にありがとうございました! 赤羽さんがいなかったら、私……」
「……別に、大したことはしてない。危なかったから、助けてただけ」
「そ、それでも! 赤羽さんは命の恩人です! ありがとうございました!」
「……う、うん。どうも」
んぐっ……どうも苦手なんだよな。年下の子って。一人っ子だし、学校ではずっと帰宅部だったから、後輩みたいな年下とはどう接すればいいのか分からない。まだ目上の方がやりやすいくらいだ。あんまり偉そうにするのもあれだし……って、今はそんなことはどうでもいいか。今はこの子の事情を聴く方が先だ。
「どうして、あんなところにいたの?」
「そ、それが……実は……私、町野宮駅の生き残りなんですけど、物資を集めるために外に遠征していた途中に、ゾンビに襲われて……」
「町野宮駅の……生き残り?」
町野宮。聞き覚えがある。確か、ここから少し離れた先にある地下鉄の駅名だ。
「はい。ゾンビから逃げた人たちが集まって、今はそこでみんな集まってで生活しているんです。多分、数は合わせて二百人くらいはいると思います」
――良かった。まだ、この世界の人類は滅んでいなかった。少なくとも、数百人は生きている。その事実に、どこかほっとする自分がいた。でも、地下鉄か。確かに、逃げるならゾンビの手が及ばない空か、海かとは思っていたけど、地下はどうなんだろうか。侵入口が限られている分、防御はしやすいと思う。けど、一度ゾンビが入り込んだら逃げ道がない。まあ、こんな素人でも分かる問題点なんて、とっくに解消してるんだろうけど。
「急に……走るゾンビの大群が現れたんです。それに、みんな食べられて……でも、田中さんが私を逃がしてくれて……それで……私だけが生き残って……昨日から、ずっと逃げ回ってました」
「……そう」
大体の事情は分かった。多分、今日私が「クローバー」で遭遇したような事故が、彼女の身にも起こったのだろう。そして、唯一生き残った。それから単独でゾンビからの逃走をしているうちに、私と出会ったってわけか。
可愛い顔してるけど、この子もあの地獄を見た生存者の一人。いや、引きこもってた私に比べたら、もっと辛い経験をしているはず。
少し前まで自分が世界で一番不幸だと思っていたことを恥じる。今も変わらず、世界中では多くの死がもたらされている。まだ人間のまま意識を保って死ねるだけ、私はマシだ。
「あ、赤羽さんは……どうして、あんなところにいたんですか?」
「……私?」
「はい、もしかして、赤羽さんもどこかのコミュニティの生き残りですか? この辺の人は私たち以外、みんなゾンビになってたと思っていたので、ちょっとびっくりしました」
「……私、は」
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