第14話 これだからアウトブレイクってやつは
*
再び、繁華街に戻ってきた。
相変わらずゾンビの数は多い。走ればある程度は撒けるけど、確実に何匹かゾンビを引き連れてこっちに誘導することになる。時間はかけていられない。さっさと行かないと。
できるだけゾンビの視界に入らないように、物陰に沿って移動する。目標の「ソコニ」まであと三十メートル。ここからは表通りに身を乗り出す必要がある。よく周辺確認をして、タイミングを見計らう。
よし、今――と、身を乗り出した瞬間、妙な物体が九時の方向に見えた。それはゾンビとは違い、二足歩行ではなく、四足歩行をしている生物のような
猫か犬かと思ったが、それにしては大きさが違う。まだ百メートルほどの距離が離れているため、正確な数値は分からないけど……軽く人間と同じ
段々と、その影はこちらに近付いているのか、巨大になる。ここで私は胸に何かザワザワとした胸騒ぎを覚えた。例えるなら……蛇に睨まれた蛙。そして、ようやくその全体像が見えた。
「……うっそでしょ!」
即座に私は「ソコニ」を目掛けて駆け出す。
なんで、市街地にあんなのがいるの⁉ あり得ないでしょ⁉
この三年間で、信じられない光景は色々見てきたけど、その中でもこれは
体長は一・五メートルから二メートル。全身を茶色の体毛で包まれており、象徴的なのは顔の周囲を覆っている鬣(たてがみ)。猫は猫でも、そいつはネコ科で最強の生物――
あり得ない! あり得ない! あり得ない! あり得ないいいいいいいいいい‼‼‼
心の中で、三下のデータキャラが叫んでそうな台詞を復唱する。しかし、それほどまでに信じられない光景だった。なんでこんなところにライオンがいるのか。動物園から脱走して、そのまま野良猫ならぬ野良ライオンになった?
ちょっと待ってよ。冗談じゃない。ゾンビだけならともかく、ライオンにまで襲われたら本当に命がいくらあっても足りない。あの俊敏な動き、銃でもない限りは人間に勝ち目なんてない。あぁ、もう! くそったれ
どれだけ距離を詰められているのか確認したいけど、そんな暇はない。チーターには及ばないにしても、ネコ科ということはかなりの速度のはず。もう真後ろに迫っているのかもしれない。私にできるのはただ祈りながら走るのみ。入口まであと十メートル。
お願い、間に合って!
扉の取っ手に触れる。そして、全体重をかけて引き戸をこじ開けて、乱暴に戸を閉める。幸運なことに、取っ手のすぐ下には
そして、数秒後――ゴンッという巨大な肉の塊がガラスに衝突する音が鳴り響いた。テーブルを盾にするようにして、私はクロスボウを構える。
それから二分程度、ライオンはどうにかして店内に侵入しようと扉をこじ開けようとしていたけど、やがては諦め、どこかへと去ってしまった。な、何とか……乗り切ることに成功したようだ。
「マ、マジで……なんなの……」
正直、生きた心地がしない。心臓は今でも一秒に十回は鼓動をしているんじゃないかってくらい爆音で体内に鳴り響いている。これならまだゾンビの方がマシだ。今回は運がよかった。あと数秒、反応するのが遅れていたら……今頃はライオンの胃の中だった。
「はぁ~……」
今日一番の溜め息を吐く。これからはライオンの徘徊も視野に入れて、行動する必要があるってこと? もう、勘弁して。
しかし、ここでうかうかしている暇もない。一応、目標であるカレーショップ「ソコニ」には辿り着くことができた。とんでもない事故(アクシデント)があったけど、本題はここから。ざっと見る限りではここも荒らされて何も残っていないように見えるけど……スパイスの一つや二つは残っていてもいいはず。探索開始だ。
*
「こんなもんか」
一通りは探し終わった。その成果は……二点。クミンと、ガラムマサラの小瓶を入手した。どちらもほぼ空だけど、辛うじて一食分は残っている。多分、もう空だと思われて、そのまま放棄されたんだろう。それ以外の物資は……根こそぎなくなっていた。
悪くは……ないと思う。カレー粉が手に入るのがベストだったけど、ガラムマサラが手に入ったのは大きい。このガラムマサラは簡単に言うなら、インドのカレー粉のようなものだ。イギリスで作られたミックススパイスがカレー粉。一方で、インドではこのガラムマサラがカレー粉の役割を果たしている。つまり、これさえあればカレー自体を再現することは可能ってわけ。でも、私が作ろうとしているのはあくまで日本式のカレーだから、できればカレー粉は使いたいわけで……うん、難しい問題だ。まあ、とにかくこのスパイス二種が手に入ったのは大きい。これで、最低限の土台はできた。
時刻を確認すると、もう五時前。そろそろ、今日は切り上げるか。野菜をどうやって調達するかは未定だけど、それは明日の私に任せることにしよう。とりあえず、ゾンビがいない安全地帯を確保しないと。念のために、ライオンが待ち構えている可能性を考慮して、裏口から出ることにした。
*
さて、今日の寝床はどこにしようか。理想はゾンビの侵入を完全に防げて、非常口が確保できるベッド付きの住居。なーんて、さすがにそんなところあったら誰も苦労しないか。ベッドは諦めよう。郊外のビルの一室なら、ゾンビ化した住人もいないだろう。陽が沈む前に、手頃な物件を見つける必要がある。
しかし……今日はとんでもない日だった。一体、何体ゾンビをぶっ殺して、死にかけたのか。数えるのすら馬鹿らしい。自分でも、よくまだ生きていると感心する。既に、陽は傾き始めている。早く繫華街を抜けて、暖かいご飯が食べたい。
「……っ」
周囲を確認し、後方に視線を向けたその時――向かいの横断歩道に人影を発見した。また、ゾンビだ。しかも、走行者タイプ……一心不乱に、どこかに向けて走っている。思わず物陰に隠れたけど、どうやら私を追っているわけではないらしい。そのままゾンビは真っ直ぐ走り、歩道橋に上った。
「……ん?」
その時、ある違和感に気付いた。先頭を走っているゾンビの背後に、軽く数十人近くのゾンビの群れがいることに気付いた。その全てが走行者タイプ。まるでそのゾンビ軍団は先頭の一匹のゾンビを追うように、続々と歩道橋を上がっている。
ちょっと……おかしくない?
あれじゃ、まるでゾンビがゾンビを食べようとしているみたい。ゾンビの共食いなんて聞いたことがない。あいつらが興味あるのは生肉だけ。腐った肉は専門外のはずだ。なら、あの先頭にいるのは――よく目を凝らして、観察する。
年齢は一五、一六くらいの女の子。多少、服は血で汚れているけど、僅かに見える白い素肌は健康な人間そのもの。そして、その表情は……恐怖に怯え、今にも泣き出しそうな顔をしている。あぁ、あれが、ゾンビなわけがない。ここでやっと、私は彼女の正体を察し、歩道橋に向かって駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます