第8話 GとZ

 *


 まずは二百メートル先の大型協同組合スーパー「スコップ」だ。ここは何度も利用しているってこともあって、完全に店内の見取り図は頭に入っている。そこまで大型の店舗ってわけじゃないけど、必要最低限の品揃えはある。運が良ければ、ここで全ての材料が揃うかもしれない。

 普段の川への遠征とは真逆の方向ってこともあって、三年ぶりに通る道だ。でも……ざっと見る限りではこちらも変わらない。人の気配はまったくないと言ってもいい。本当に、静かだ。


 さて、これからスーパーに入るわけだけど、屋外と違って、屋内ではゾンビと遭遇した際には少し注意することがある。それが、退路の確保だ。極端な話、出入り口を複数のゾンビに塞がれたら、脱出するのが非常に困難になる。よって、まずは最低でも二か所のルートの安全を確保してから、探索をしないと、取り返しのつかないことになる。まあ……こっちはもう感染してるから、死ななきゃどうとでもなるんだけどね。一応、致命傷を負わせられるって可能性もあるから、念には念を込めておかないと。

 外部から状況を確認できないこの不確定要素が、一番怖い部分でもある。だって、下手したら大量のゾンビが建物内に監禁されて、すし詰めになってるかもしれないんだもん。わざわざ個人宅に押し入らずに、こうやってスーパーや商店で物資を探すのも、少しでも視界を確保したいって事情がある。


 これは私の予想だけど……感染者が全員、外に解き放たれてるってのは考えにくい。家で籠城中に家族が発症して、そのまま一家が全滅したってパターンも珍しくないはずだ。そうなると、施錠した狭い密室に、数体のゾンビが今でも新鮮な肉を求めて蠢いているってことになる。歩行者だけなら楽だけど、走行者も紛れていたら……私でも、対処は難しい。

 ってことで、できる限りこちらも自由に動ける大型商業施設に絞って、材料を探すことにした。他の人の家に押し入るのも、泥棒みたいであんまり気分はよくないしね。まあ、今からやろうとしていることは盗人そのものなんだけど。


 そうこうしているうちうちに「スコップ」が見えてきた。無意識のうちに、クロスボウを持つ手が震えてくる。怖いってわけじゃない。緊張とか、武者震いに近い生理現象……だと思う。とにかく、ここの物資の確認は重要だ。あの生物災害から三年、一般的なスーパーマーケットで、どれだけの商品が残っているか、そのサンプルを知ることができる。つまり「スコップ」の状態によっては――私の計画自体が、破綻する可能性も出てくる。そう思うと、見たいようで、見たくないな。

 まずは二階の確認からだ。この店舗は二階の出入り口が駐車場になっており、その駐車場が直接道路と繋がっている。ゆっくりと、物陰から駐車場の様子を伺う。人影は……ない。安全クリア、次。出入り口の窓から店内を確認する。動く物体は……ない。ここも安全。既に電源が絶たれて役目を失った自動ドアをこじ開けて、中に侵入する。


「……んっ」


 その異様な雰囲気に、思わず息を呑んでしまった。あぁ、嫌だな。こういう見慣れた場所が、廃墟同然の場所になってるのは……こう、心に来る。かつては繁盛していたこの「スコップ」も、現在では見る影もなく、明らかに人の気配は感じられない。災害当時に行われていたと思われる安売りの張り紙が、痛々しくさえ思える。隣には家族と子どもが描かれているイラストが添えられていた。

 ……感傷に浸っている場合じゃないな。まずは一階の出入り口を確認しないと。一瞬、緩んだ気を引き締め直して、私は薄暗い階段を降りて一階へと向かった。


「──マジか」


 売り場である一階に降りて、思わず声が漏れてしまった。そこにあった光景は……〝無〟だ。目に入る全ての棚の商品が空になっており、一個も残っていない。畜産、農産、水産、総菜、缶詰からお菓子コーナーまで、全てが売り切れだった。一〇〇%セールでもあった? 閉店間近の大晦日でも、まだ多少は商品が残っているだろう。隅々まで確認するまでもない。この店には文字通り、何もない。

 これは……ちょっと、いや、かなり予想外だった。まさか、ここまで何も残されていないとは。自分の思慮の浅はかさに、泣きたくなる。恐らく、三年前、このスーパーには大勢の人が押し寄せたのだろう。目的は食糧の確保。まともに金を払ったのか、それとも暴徒にも近い状態で略奪が行われたのか。全てが奪い去られた今、それを確認する術はない。


「……はぁ」


 疲労二割、落胆八割が込められた溜め息を吐く。いきなり出鼻を挫かれてしまった。この「スコップ」が特別、何もないというのは考えにくい。つまり、他の店舗も……似たような状態だろう。こうなると、食材のリストが金銀財宝を書き連ねた無理難題のものに見えてきてしまう。もしかして、私は……とんでもない無謀な冒険をしているのではないだろうか――ダメだ。どうしても思考が最悪ナーバスな方向に傾いてしまう。切り替えないと。

 そんなことを考えていたまさにその時、ふと視界の端に何かが動いた。


「――ッ」


 咄嗟にクロスボウを構える。そこにいたのは――体長約数センチ、長い触覚を震わせ、黒光りの体を輝かせている、ただの〝ゴキブリ〟だった。

「…………」


 その姿を見た瞬間、全身が悪寒に包まれる。あぁ、もう、こいつだけは本当に今でも慣れない。この人間の生理的嫌悪感を最高に刺激させる忌まわしいゴキブリという昆虫は……現在でも、度々現れる。さすが、三億年前から生き延びている種族とでもいうべきか。この程度の災害は屁でもないらしい。むしろ、こいつらの生息数は以前と比較すると、更に増えた。

 その理由は想像がつく。外には奴らの大好物である死体ナマゴミが自立歩行しているためだ。そう、現在のゴキブリはゾンビを食べて、繁殖している。以前、ゾンビの体に大量のゴキブリが蠢いているのを発見した時は……さすがの私も、叫びそうになった。あぁ、ゾンビとゴキブリ。考えられる限りで史上最悪の組み合わせだ。もうマジで勘弁してほしい。唯一の不幸中の幸いはZ-ウイルスは人間以外の生物には効力を発揮しない点だろう。これで、ゴキブリまで感染して、巨大化でもした日には――正真正銘、人類の終わりだ。


 でも、そんなゴキブリにも、意外なことに、使い道はある。現代のゴキブリは死肉を主食にしている。つまり、ゴキブリがいる場所というのは……ゾンビがいる可能性が非常に高い。ゆっくりと、私はゴキブリが走り去った方向を確認する。

 そこには一体のゾンビが、立ち尽くしていた。なぜ、その場から動こうとせず、何かを眺めているのか、ボーっと突っ立っている。まだ、私の気配には気付いていないようだ。

 ふぅ、良かった。こっちが先に見つけて。探索をするまでもなく、もうここには用はない。ゾンビもいることだし、さっさと出よう。そう思い、私は振り返る。


 ブンッ


 刹那、何か聞き慣れない音が……足元から聴こえた。例えるなら、モーターが振動するような機械音。小刻みに何か揺らすような、そんな音。あ、違う。もっと身近な例えがあった。そう、それはまるで、昆虫の飛行音――ッ⁉

「ギャッ⁉」

 足元に視線を移した瞬間、私は情けない叫び声を上げてしまった。ゴキブリが……服に飛びついていたのだ。こ、このクソゴキブリが! 反射的にゴキブリを払い落とす。無理無理無理無理! これだけは絶対に無理!

 そして、僅かコンマ一秒後に、私は自らの愚行を後悔した。


『アァ――』


「……最悪」

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