第7話 死出の旅路
*
「できた……これが、ベストだ」
そして、一時間後――ようやく、完成した。これが、私の理想のカレーだ。ライスはまだ缶詰が残っているから、作るのはルーだけでいい。材料も、恐らくまだ外に残っている可能性が高いものを集めた。実現性は高いと思う。使いたい〝隠し味〟もあったけど……この状況だと絶対に手に入らないものだし、諦めることにした。
・カレー粉
・トウガラシ
・クミン
・ガラムマサラ
・コリアンダー
・レッドペッパー
・ターメリック
・片栗粉
・ニンニク
・トマト
・タマネギ
・ニンジン
・ジャガイモ
まず、第一優先はカレー粉だ。最低でも、これさえ手に入れば形にはなる。本当は市販品のルーを使いたいけど、災害以前のものは確実に期限が切れている。カビが生えていたり、味が落ちていたりする可能性が高いから、なし。次にトウガラシ。辛味と旨味を引き出すためにはこれも必要不可欠。最悪、あとの材料が手に入らなくても、この二つさえあればいい。
次に、各種スパイスだ。クミン、ガラムマサ、コリアンダー、レッドペッパー、ターメリック。香り付け、味付け、色付けにはこれらのスパイスが欠かせない。でも、一応このスパイス群はカレー粉に内蔵されているもので、代用自体は可能。
そもそも、カレー粉ってのは本場であるインドで生まれたわけじゃない。インドを植民地にしていたイギリス人が、本国で現地のカレーを再現するために作った総合スパイス調味料の総称だ。日本に最初に入ってきたカレーも、元はそのイギリス風カレーで、そこから更に派生したのが日本カレー文化で……一言でカレーと言っても、これだけの派閥がある。絶対不可欠というわけじゃないけど、このスパイスは最低でも二種類は欲しい。スーパーでも普通に置いてるから、入手難易度はそこまで高くないはず。
次に片栗粉。これの用途は簡単。ルーにとろみを出すためだ。小麦粉、薄力粉でも一応代用はできる。まあ、煮込めば水っぽさはある程度解消できるから、そこまで重要度は高いってわけじゃない。でも、一応時間制限があるからね。用意するに越したことはないと思う。
ニンニクとトマトは下味を整える役割があるから、結構優先度は高い。スパイスのちょい下くらいかな。ニンニクは乾燥品、トマトは未開封のケチャップや缶詰があるから、まだ入手難易度は易しめ。
そして最後に……具だ。多分、これが一番入手するのが難しい。肉はまだ缶詰で代用できるけど、野菜やイモはそうはいかない。特に、タマネギはカレーを作るなら絶対に欲しい。カレーには辛味と同様に、甘味が必要になる。俗に言うところの〝コク〟というやつだ。
このコクを凝縮させる担い手がタマネギなんだけど……どこで入手すればいいのか、現段階では皆目見当がつかない。街中で偶然生えている確率なんてゼロだし、缶詰に……あるのかな。祈るしかない。ニンジンも同様に、甘味を出すのに必要。そして、ジャガイモだけど……これに関しては賛否両論があるだろう。カレーにジャガイモを入れるかどうか論争は私も承知している。
でも、私の……母が作ったカレーにはいつもジャガイモが入っていた。だから、今回は絶対にジャガイモは入れる。何か、文句でもある?
これで全部の材料は出揃った――改めて眺めると、一からこの全てを集めるのは苦労しそうだ。地図を取り出して、近場の商店の位置を確認する。まず、二百メートル先に最寄りのスーパーマーケットがある。そして、五百メートル南下すると、そこそこ大きめのスーパーマーケットが更に一つ。そこから更に五百メートル先には周辺で一番品揃えのいいチェーンのスーパーマーケットが君臨している。道中にはコンビニ、商店街も立ち並んでいるし、駅周辺には飲食店もある。よし、ひとまずはこのルートを通って、食材を探そう。
「……ん?」
めぼしい店を探している最中、六キロほど先に――大型のショッピングモールがあることに気付いた。あぁ、そういえば、あったな。いつも利用している駅の先にあって、普段は立ち寄らないから、すっかり存在を忘れていた。
ショッピングモール――それなりにゾンビ映画を見ている者なら、この忌まわしき聖地に良い印象を持っている者はいないだろう。大抵の作品ではこのショッピングモールという場所は物資の豊富さから人類最後の砦として選出され、そして必ずと言っていいほど、悲劇の舞台になる場所でもある。例えるなら、
「よし……できた」
それから二時間かけて、カレー完成へのルートマップが完成した。移動範囲は三キロ圏内に収めてある。これなら、日帰りもできる距離だ。フフッ、我ながら、惚れ惚れする。完璧な道程だ。どれだけ物資が残っているかによるけど、これならかなり高確率でカレーを作ることに成功するんじゃない?
「ふふっ……ふふふふ」
死が三日後に迫っているということを一瞬忘れて、薄気味悪い笑い声を出してしまった。時刻を確認すると、夜の十時を過ぎている。ここまで夜更かししたのは久しぶりかも。大抵はもう八時か九時になると、寝てるから。
ゾンビに噛まれたのが三時一五分頃、残された時間は約六五時間――あまりにも短い。
「……上等じゃん。やってやる」
赤羽雪音。最後にして最大の一仕事が、始まろうとしていた。
*
翌朝、朝の五時に起床した。季節が秋ということもあり、まだ日は昇っていない。睡眠時間は充分に取った。体調は万全……体内にZ-ウイルスが潜伏している以外は。
朝食を取りながら、リュックサックに物資を詰め込む。水、食糧、マップ、武器、調理器具。日帰りでも問題ない距離だけど、何が起こるか分からない。一応、物資を集め終わったら帰宅する予定だけど、もうこの家には帰ってこられない可能性だってある。用心に越したことはない。材料自体はそこまで多いってわけでもないから、リュックには小袋一枚分のスペースさえ残しておけばいいだろう。
荷物の総重量は……十キロ前後ってところかな。うん、結構重いけど問題ない。この三年で、私もだいぶ鍛え上げられた。これぐらいなら、動きに支障が出ることはない。
クロスボウのメンテナンスも完了。最初は三十本あった矢も、今では一八本まで減っちゃったけど、まだ戦える。最悪、そこら辺に転がってる鉄パイプや木片でもぶん殴ればいい。時刻を確認すると、六時を回っていた。よし、時間だ。忘れ物がないか、あらかじめ作成しておいたリストを確認する。物資は全て詰め込んだ。あとは――
「……〝お守り〟はどうしようか」
棚に厳重に保管しておいたその「お守り」を見て、私は呟く。必要か否かと問われたら――持っておくに越したことはない。でも、これは本当の最終手段だ。できれば、頼りたくない。これを使用することは……全ての失敗を意味する。
「……やめておくか。縁起でもないし」
数分間、悩んだ挙句に、置いていくことにした。これで準備は整った。さぁ、出発の時だ。
「……いって、きます」
無人になった家に別れを告げる。果たして、再び戻ってこられるかどうか。無茶な冒険をするよりも、余生を静かにこの家で過ごした方がいいのではないかと、正直、今でも悩んでいる。
でも……引きこもるのはもう飽きた。それに、今の私にはカレーという悔いが残ってしまった。その欲望を抑えることなんて、不可能だ。あぁ、これだと、食欲に支配されているゾンビと何も変わらないな。結局、もっとも原始的な欲望の〝食べる〟って行為には……誰も逆らえないってことか。
そのどこか皮肉にも思える運命に笑みを零しながら、私は自宅を後にした。こうして、亡者が住まう世界へと私のカレーを追い求める
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