第2話 生物災害発生初期段階
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私、赤羽雪音は運がいいと自称している。その理由は過去に大災害を二度も経験して、生還しているからだ。その中の一つが三年前に起こった生物災害というのは言うまではないだろう。では、残りの一つは? それは……今から一二年前に、東北で発生した〝大震災〟だ。
そう、私の出身は福島県。当時、九歳だった私はあの災禍を経験した被災者の一人だった。午後二時四六分に鳴った地響きを忘れることはないだろう。一瞬で日常は崩れ去り、母を亡くした。
父は自衛官ということもあり、無事だった。でも……それはあくまで身体的なもので、精神面はどれだけ傷ついていたのかは子どもだった私には計り知れない。とにかく、あの大震災は父の心にも大きな傷跡を残したのは間違いないと思う。後のことを思うとね。
震災後、私と父は関西に移住することになった。慣れない言葉、慣れない土地、慣れない住民。色々、苦労はしたけど……父の助けもあって、何とか乗り越えることができた。
余談ではあるけど、それから少し内向的な性格になって、その、まあ……かなり、サブカルチャー関連にのめり込むことになる。おかげで、今回のゾンビパニックも平然と受け入れることができたけど。
でも、移住してから数年後、確か、中学生に上がったばっかの頃だったかな。そこで、私は父のちょっと異常な部分を目にすることになる。
ある日、家に大量の缶詰が届いた。これだけだと、精々段ボールひと箱分くらいって想像すると思うけど、実際はその数十倍の量だ。何も知らない私は父に質問した。
「この缶詰、どうしたの」
「備えあれば患いなしってやつだよ」
父は――ただ一言、そう言った。缶詰は父がネットショッピングで購入したもので、後日、また同じ量の缶詰が届いた。多分、合計金額は……軽く三桁万円は行ってると思う。
それから、父は何かに怯え、憑りつかれたように、防災意識に異常な執着を見せるようになった。バッテリー、ラジオ、ライト、医薬品。とにかく、お金に糸目をつけることなく、最新式の防災グッズを揃えた。家も改築して、避難用のシェルターみたいな地下室まで作った時はさすがの私も言葉が出なかった。
多分、父は……もう二度と、後悔をしたくなかったんだと思う。少しでも、私を含めて、目の前の命を救おうとしたんだ。いざという時はあの缶詰をご近所に配って、市民を助けようと、わざわざ自腹で何百万円も払った。しかも、缶詰の賞味期限が切れる一年前には食べきれなかった分を全部フードバンクに寄付した。
本当に……立派な人だと思う。私と違って。
その後、私は二度目の大災害を経験することになる。それがご存じ、このくそったれな生物災害。
そもそも、人を化け物にするこのウイルスはどこから流出したのか、情報は錯綜としている。中国の研究所説、アメリカの製薬会社説、アフリカの古代花説、ヨーロッパで封印されていた寄生虫説、あと、隕石に付着してた未知のウイルス説なんてのもあったっけ。
まあ正直、発端なんてどうでもいい。それこそ、地獄で死者が満員になって、地上に溢れた可能性だってある。重要なのは結果だ。こんな事態になったら、誰にも責任を追及することなんてできない。
でも、もしこれが科学技術の発達によってもたらされたものなら……それは人類という種の自業自得だろう。蝋でできた翼で太陽を目指そうとしたギリシャ神話のイカロスと同じ。中国の始皇帝をはじめ、歴史上の権力者たちは不老不死を夢見て、研究を重ねてきた。ある意味、そんな神を冒涜するような真似を続けてきたら、いつか罰が当たるというものだ。まあ、私は無神論者だけどね。もし、この世界に神様がいるなら、そいつはこの現状を見て大笑いしているクソ野郎ってことになるし。
話を戻そうか。Z-ウイルスが日本に上陸して、最初の数週間はその動向を完全にコントロールできていたと思う。確かに、日が経つにつれ感染者は増えていたけど、それでも一桁か精々二桁。ちゃんと隔離をして数を抑えることには成功していたし、街には緊急事態宣言が出されて、みんな外出を控えるようになった。うまくいけば、そのまま収束する可能性も万に一つはあったと思う。
でも、段々と雲行きが怪しくなってきた。最初に大規模な感染拡大を起こしたのは……都内某所で行われたある音楽フェスだった。
あぁ、うん。言いたいことは分かるよ? なんで人をゾンビにするウイルスが流行ってんのに、そんなフェスをしてんのかって? んなの私が聞きたいわ。本当に、馬鹿じゃないの。これが映画なら、リアリティのない展開だってレビューでボロクソに叩かれてると思う。でも、実際こんなアホみたいな出来事が本当に起こってしまった。
まだ自粛ムードが漂う中で、強行されたその音楽フェスには数百人の参加者がいた。その中に、感染者が紛れていたみたいで、フェスの最中に発症。瞬く間に、音楽の祭典は血と贓物の祭典になった。
当時、まだZ-ウイルスが人をゾンビにするってのは都市伝説みたいな扱いだった。政府は徹底的にただの新型の狂犬病だって言い張っていたから、国民もそれを信じてた。一応、海外ではもう既にかなり感染が進んでいて、ゾンビが人を食う動画は投稿されていたんだけどね。まあ、当事者にならないと、信じないのも無理ないか。私も、さすがにガセネタだと思ってたし。
その音楽フェスを機に、一気に情勢が変わった。まず、東京で徐々にゾンビが増えだして、それが他県にも広がり始めた。
東京の人口密度はご存じ? 一平方キロメートル当たりに約一万五千人、一辺が一キロの正方形の中にこれだけの人数が入る計算になる。こんなに感染に都合がいい都市も中々ない。この頃になると、国内でも人喰いの動画が出回りだして、これ本当にゾンビなんじゃないかって風潮ができたんだけど、時既に遅し。一週間もしないうちに、感染は全国に及んだ。
さて、その時に私、赤羽雪音一八歳は何をしていたかというと……ネットでその様子を眺めながら、ただ「ヤベー……」って呟いていただけでした。
いや、だって仕方なくない? その時、私ちょうど大学に進学したのに、授業が全部取り消しになったんだよ? そんなの、めちゃくちゃ暇でニートやるしかないじゃん。というか、結局大学なんて一度も行ってないし。こんなことになるなら、受験勉強なんてせずにずっと遊んでたわ。貴重な高校生活と入学金返せやボケ。
……思い出したら腹立ってきたな。まあいいや。そういうわけで、私はただ一人、テレビをSNSで実況しながら、無駄に時を過ごしていた。間抜けなことに、その時の私はまだ、この生物災害を異国の出来事のように感じていて、どこかで楽しんでいた節がある。あぁ、行きつけのインドカレー屋にしばらく行けないなぁとか考えてて……死体はもうすぐそこにまで、迫ってきていたっていうのに。
風向きが変わったのは遠征中で家を空けていた父から電話がきた時だ。まだ、騒動初期はネット回線が生きていて、こうして連絡を取り合うことができた。それも、本格的にゾンビが溢れるようになってからは回線が
父は私に、最寄りの避難所に向かうように伝えた。最初は私も、そんなに乗り気じゃなかったけど、電話越しの父はどこか必死で、この時にようやく事態が深刻だと私は気付いた。そして、避難所である小学校に向かったわけだけど……結果は前述した通りだ。安息の場所は一瞬で崩壊してしまった。
命からがら、私は避難所から逃げ出すことができた。これに関しては本当に運がよかったとしか言えない。目の前で走っていた人は曲がり角の死角からゾンビに襲われて噛まれてたし、文字通り、一歩間違えれば私はとっくにあいつらの仲間になっていた。でも、私は生き延びることに成功した。
避難所は亡者の餌食になった。気が付けば、右も左もゾンビだらけ。街はあっという間に生きた死者に占領されてしまった。周囲には至るところ火災が発生して、車があちこちで事故を起こし、悲鳴が絶え間なく響いてる。恐らく、どこの避難所も似たような状況だろう。そう判断した私は……一目散に、自宅へと戻ることにした。
通常、この状況で籠城は悪手以外の何物でもない。まず、食糧の問題がある。一般的な家庭の備蓄では精々持ってひと月かそこらが限度だ。水道も使用できなくなることを考慮するなら、もっと短い。必ず限界が来る。でも……うちの場合はちょっと事情が違った。
父が缶詰の補充をしたのはこの生物災害が起こるちょうど一年前。つまり、期限はかなりの余裕がある。加えて、長期保存水もまだ大量にあった。つまり……私一人なら、数年生きられる程度の蓄えは用意されていた。
恐らく、どこの避難所も私が抜け出した小学校と同じような惨状になっているのは間違いない。テレビを付けると、この一日で全国的に感染爆発が起こったようで、全ての局で避難を呼びかける緊急特番を放送していた。もはや、安息地は残されていない。ただ一つの場所を除いて。
私は……この要塞と化した家で籠城することにした。大丈夫、現実にゾンビなんて出ても、近代兵器の力の前では最長でも数か月もあれば駆逐できるはず。自衛隊には父もいる。そうすれば、必ずこの家にも救助は来るはず。
でも、現実はそうじゃなかった。
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