黄昏を照らす者達Ⅱ
カランコロン、カランコロン。
玄関のドアがゆらゆらと揺れていた。
初夏の爽やかな風が店に吹き込もうとしてくれるが、陰鬱な空気を感じて引き返している、そんな様に思えた。
辺りの空気は澱んでいた。
血の匂いが充満していた。
なんとなく右目を手のひらで覆ったら、冷たくヌメっと湿った感じがして、手のひらを見てみれば真っ赤っかだった。
ミナの血だ。
あぁ、そうだ、ミナ、ミナが居なくなってしまった。
どうしよう。
どうしよう。
どうすればいい。
ミナが遠くへ行ってしまう。
会えなくなってしまう。
連れ戻さないと。
でもどうやって。
ふと足元の血溜まりを見ると、腕が落ちていた。
ギョッとした。ミナの右腕だ。
あの時ミナは自分で自分の腕を切り落として、そして正気を取り戻した。
私はその腕を拾い上げる。
まだ微かに熱があった。滴る血が更にローブを濡らした。
その手に抱えて頬ずりした。
「ミナ…ミナぁ」
涙が溢れてくる。咽び泣いた。
ミナに、ミナに会いたいよ…。
ふと人の気配がして玄関を見やる。
「—ミナ?」
「違う」
目を擦ってみれば、ブラウンのおさげが見えた。
「せん、せい?」
「そうだよ」
西日に照らされた先生の顔は険しかった。
私は思わず駆け寄ってその懐に飛び込んだ。
「先生!どうしよう!わたし!わたひ、ミナに酷いことを…!ミナがぁ、居なくなっちゃう、うぅ、うわぁーーん」
自分でも何言ってるかわかんない。
「うぅう、私のせいで、ミナが死んじゃったらどうしようぅ…!」
感情が洪水を起こしてどうしようもない。
先生は黙って私の言葉を聞きながら、頭を撫でてくれた。
ひとしきり泣いた後、まだ嗚咽も治らない中、先生が静かに、優しげな口調で言った。
「大丈夫、ミナは強い娘だから、絶対に死んだりなんかしない。ウルカ、何があったか、教えてくれるかい」
「うぅ、うん…」
私はあったこと全部洗いざらい話した。
先生はうんうんと頷きながら聞いてくれた。
全部ぶちまけたら少しは気持ちが落ち着いてきた気がする。
「そうかい。取り敢えず、ウルカ。おまえが無事でよかった」
話し終えた後、先生は私をぎゅっと抱きしめた。
「本当に、良かった…」
「もう…先生、ちょっと苦しいよ」
先生ってこんなに優しかったんだ。
いつもは結構私に厳しいのに…。
「お前のやった事は全部最悪も最悪だが、ミナのおかげで無事に済んで、本当に良かった」
——ん…あれ…。
先生は私を抱き止める腕を解放して、「ふぅ」と一息つくと、私の頬っぺたを両手でベシッと挟み込んだ。
「痛っ!!」
「なぁウルカ、言いたいことは山程あるが簡潔に言うぞ!この大馬鹿野郎がぁっ!!!」
そう言って、先生は頬をツネってベーって横に引っ張った。
痛い痛い痛い!取れちゃうよーーー!!
「お前、抑制剤隠すってアホか!?渇望発症してる吸血鬼がどんだけ危険か分かんないのか!?ウルカ!!もしミナが高位の吸血鬼じゃなかったらお前下手すりゃ殺されてたんだぞ!!ミナの強靭な精神力がなきゃ、お前今頃、血全部抜かれて干物みたいになってたかも知れないんだぞ!!それを分かってんのかって聞いてんだよ!!」
「イタタタ!分かったから、分かったから離してぇええ!」
漸く先生が手を離してくれた。
確かに血の渇望が危険な状態と言うのは知っていた。でも血さえ飲ませればすぐに治ると思っていたんだけど。
「あのな…まぁ本だけ読んでりゃそのくらいの認識かもしれないけど、実際に渇望が治るまでにはラグがあるんだよ。だから理性を欠いた状態の吸血は、相手の血を一滴残らず吸い尽くして殺してしまうのが常なんだ、それが例え自分の大切な人でも」
「ってことは…」
「ミナが自分の腕を噛みちぎってまでも吸血したくなかったのは、お前を守りたかったからなんだよ」
わ、私は…
「ミナの意志の強さは並大抵のものじゃない。それこそ吸血鬼の本能を押し込めて自分の命が危険に晒されたとしても、ウルカ、お前を傷つけたくなかったんだ」
「それなのに、私は…ミナのこと何にも知らないで…」
「お前として善意だったんだろう?抑制剤は繰り返し飲む必要があるし、完全に渇望を抑え込める訳でもない。ミナが長く苦しむなら自分が血を飲ませればすぐ楽にできるって思ったんだろ?まぁ多少の下心もあっただろうが…」
「うぅ、間違いありません…」
「それに関しては責められる様なことじゃない。どのみち抑制剤に頼り切りなのは、私もよくないと思っている。ミナは人間の血を吸える様になる必要がある、これは間違いない。ミナにもお前にも、この事をちゃんと伝えなかった私にも責任がある」
「うん…」
「ただし、お前のやり方は強引過ぎた。危険なのは勿論だが、何よりミナの気持ちを蔑ろにしている。なぁウルカ、ミナはなんで人間の血が飲めないんだと思う?」
血が飲めない理由。
確かに、苦手とか、嫌いとかは言ってたけど、なんでかまでは知らなかった。
私はてっきり、単に口に合わないんだろうとしか思ってなかった。
もっと明確に、嫌いな理由…。
「なんでなんですか?」
「そりゃミナにしか分からない。ただ少なくとも、ミナの過去と何らかの関係があるのは明らかだろうね」
先生は屈むと私に視線を合わせて言った。
「ミナはまだ私たちに隠していることがある。多分それが、ミナの吸血への嫌悪に繋がっている。ミナははぐらかすかもしれないがきちっと向き合ってやるんだ。これはウルカ、お前にしかできない事なんだ」
私にしか、出来ないこと…
———私はミナの家族で、お姉ちゃんだから!
———だからぁ!!それが嫌なんですよ!!!
「——先生、私、やっぱりミナに血を吸って欲しい」
「ああ」
「だから私、ミナに会ってその理由全部聞き出さなきゃいけない。聞いて、共有して、一緒に向き合いたい」
「私はミナの家族で、今のお姉ちゃんだから」
§
「やあエルマ、急に呼び出して悪いね」
「問題ないよ、ミナの件で借りもあるしね。領主様の呼び出しとあっては無碍にもできないよ」
「冗談はいいよ。その、ミナ君の事なのだが…」
「うん?」
「幾つか個人的に気になっていることがあってね。私の方で色々調べてみたんだ」
「おー!そりゃあ良いね。エーベルハルトなら公文書へのアクセスもやりたい放題だしね。私の手の届かない情報を調べてくれるのはとっても助かるよ」
「職権乱用みたいな言い方はやめてくれ。漁ったのは公文書じゃなくて彼女の地元セイデンの過去の地方紙だ。ミナ君は血が飲めないと言っていたね。その理由が分かったかもしれない。あくまで仮説だが」
「聞かせてちょうだい」
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