渇きⅠ
燻んだ木板がぎしりと鳴いた。
急に周りの音が遠かった気がして、聴こえるのは目の前の、腹を空かせた猛獣の様な彼女の苦しそうな呼吸音だけ。
肩を押さえ付ける手に力が篭る。ちょっと痛い。
「——いいよ、ミナ」
私はなるべく優しく、囁く様に言った。
§
「ねえ、ミナ。君が最後に血を摂取したのはいつ頃だい?」
夕食後ののんびりタイム、洗い物当番を終えたミナに先生が声を掛けた。
ミナは「うーん」と言って天井を眺めたりした後、
「確かここに来る2日前なので、おおよそ1週間前ですかね」
「ふむ、渇望の兆候は未だないかい?ああ、すまない。吸血衝動の様なモノのことだよ。妙に身体が熱ったり、喉が渇いたり、頭が痛くなる様な症状。まぁ何度も経験してると思うけど」
「無いですね。今の所は…」
ミナが私の隣に腰掛けたので身体をぐいっと倒して、白くて柔らかい太腿を枕に借りた。
最近の流行りである。
「1週間以上か…結構吸血頻度は低いみたいだね」
「大体10日に一度くらいでした」
「しかも人間の血では無い、と」
「はい」
ミナは私の髪の毛をさわさわ毛繕いしながら事もなさげに答えているが、結構大事な話である。
吸血鬼はその名の通り血を飲まなければ生きていけない生き物だ。
人間と違って常に魔力を消費し続ける吸血鬼は、他の生物から血を媒介に魔力を貰い受ける必要があるのだ。
吸血鬼は長い間吸血せず魔力量が低下すると『血の渇望』と言う症状を発症する。
理性の欠如に加え攻撃的になり、周囲の生物を片端から襲って血を吸おうとする。
症状が進めば完全に発狂し、自傷の末に死に至るという。
必要な吸血の頻度は吸血鬼ごとに異なるが、力の強い、即ち優れた魔力効率を持つ吸血鬼ほど吸血の必要性は薄い。
魔力の純度が高く無いであろう人間以外の生物からの吸血でこれほど長く活動できるミナは、そんじょそこらの奴とは明らかに一線を画している。
とは言え、全く吸血しなくていいわけじゃ無い。
「じゃあさ、血が吸いたくなったら私の血を吸ってよ」
ミナに私の血を吸ってもらう…なんか良いよね。特別な関係って感じがする!
でもミナは一瞬驚いた様な目をしたけど、何やら申し訳なさそうな顔で言った
「えっと、気持ちは有難いんですけど…。ごめんなさいウルカ、遠慮しておきます」
あれ、振られちゃった。
「どうして?私は全然ウェルカムなのに」
「その、こんなこと言うのは変かもしれないし私のわがままなんですけど…人の血はなるべく飲みたくない、です…」
マジかぁ…
吸血鬼に有るまじき発言であるが、ミナの過去を鑑みると納得出来るところがある。
ミナは最初に姉の血を吸ってから他の人間の血を一切飲んでいない。
余程人間の血は嫌らしい。血が嫌いな吸血鬼というのも変な話だが、私だって苦手な食べ物の一つや二つあるしそういうモノなのかな。
「好き嫌いは良く無いよ」
「別にそう言うわけでは…、というかウルカだってキノコ嫌いとか言って私のとこに投げ込んでましたよね?」
「もう!それはそれ、これはこれ」
例えば私がキノコが嫌いで食べなかったとして死にはしないが、吸血鬼が血を飲めないと言うのは死活問題である。
「もう…じゃあまた吸血したくなったらどうするのさ」
「その時は、またそこら辺の野良猫とかカラスとかから…」
「流石にダメ!」
「えぇ…」
ミナは長年の放浪生活でこう言う衛生観念とか色んなものを欠いちゃってる節がある。野生動物じゃあるまいし流石にばっちいでしょ…
「じゃあどうすれば…」
「だから私の血を…「まぁそうだろうと思ったよ。だからミナにこれをあげよう」
私の言葉を遮った先生は、ミナに錠剤の入った小瓶を手渡した。
「これは…」
「渇望の抑制剤だよ。血よりも効率はよく無いけど、これを飲めば魔力を補給して血の渇望を抑えられる。発症から数日間飲み続ければ落ち着くだろう」
「先生!」
「ぐわっ!」「あ!ごめんなさいウルカ…」
ミナが急に立ち上がったもんだから私はソファから転げ落ちてカエルみたいな声が出た。
「ぜ、ぜんぜん大丈夫ケロ」
「ケロ?」
「てゆうか先生ちょっと!それずるくない!?」
「ずるいって何だ、ずるいって…」
人間であれば外部から魔力を補給するのは難しいことでは無いが、吸血鬼の場合吸血でしか行えない。ハズ、なんだけど…
うちの天才大魔女にはそう言うの関係ないらしい。
「もう血飲まなくてもいいってことですか?」
「まぁ暫定的な手段だがね。動物に牙を突き立てるよりはマシだろう」
私の計画が…
「本当にありがとうございます、先生!!」
「ぐぬぬ…」
というのが5日前の晩の出来事である
§
ミナは一昨日くらいから血の渇望を発症した。最初はちょっと顔色悪いくらいだったけど、次第に側から見ても熱っぽい様な感じでフラフラとし始めた。
先生から貰った抑制剤を飲むとすぐにそういった症状は治ったが、数時間するとまた具合悪そうにしていた。
渇望の期間が終わるまでベッドで安静にしておくかと先生に提案されたが、薬を飲めば治るからと言って、いつもと同じ様に私に勉強を教えてくれたし、店の業務もしっかりこなしていた。
抑制剤の効果は多分ある。先生に何回も確認したけどそう言ってたし。
ただ何と言うか、ミナのこういう行動は正直あまり見ていたいものではなかった。
薬がぶ飲みで何とか持ち堪えている様な危うい感じはずっとしているのに本人は問題ないの一点張り。
血なんて飲まなくても生きていけると自分に言い聞かせている様な気がして痛々しかった。
だから私はとある計画を実行することに決めた。
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