おてんば令嬢とひつじ姫Ⅲ
ユリアは冷製パスタを振る舞ってくれた。ツナとアスパラガス、トマトのあっさりした奴。暑い日にはピッタリだ。
午後からはみんなで昼食のお礼に畜舎の掃除を手伝ったりして、残った時間はこうして外でのんびり過ごしている。
ユリアは先に家に戻ってしまった。
私たち4人は木陰で涼んで、なんやかんや話していたが、春の陽気に包まれた昼下がりはあらゆる生命を眠りへと誘う。
私はゴツゴツした木の幹に背中をもたれていた。
なんとなく見上げると、木の葉の隙間から青空が見え隠れしている。
時折緑の屋根に隙間が開いて太陽が見えて眩しい。
アンナはクラウディアに背中を預けて眠ってしまい、クラウディアはアンナを抱えながらモコモコの髪に顔を埋めて眠ってしまった。
スースーと寝息が聞こえてくる。
2人はお互い小さい頃からの幼馴染で、何をするにも一緒だったらしい。
活発で忙しないクラウディアとおっとりで浮かぶ雲のようなアンナとでは全然タイプが違いそうだが、クラウディアは暇さえあればアンナの家に突撃するし、アンナもそれを鬱陶しがることも無くのほほんとしている。
意外にもいい組み合わせであるらしい。
というか元々距離感のおかしいアンナはともかく、クラウディアは相当に入れ込んでいる節がある。
私は5年くらい前に此処に越してきた。
同年代の友人の居なかった私の手を引いてくれたのがクラウディアとアンナだった。
2人とも新参者だった私にとても親しくしてくれた。
今でもかけがえのない親友だ。
ただまぁ仲がいいとはいえ、過ごしてきた時間の差より隔たりを感じることも少なからずある。
「ねぇ、ウルカ」
「うお!?ミナか、もーびっくりさせないでよ」
ぼーっとしている時に急に話しかけられると流石に驚く。
「なにか、考え事ですか?」
「うん、まぁ大したことないけど」
「私でよければ話して欲しいです。ウルカには貰ってばっかりで、何も返せていませんから」
そんなことない。
「私はもう結構もらっているんだけどなぁ」
「どういうことですか?」
ミナがきょとんと不思議な顔をした。
ほんと、そういうとこなんだよなぁ。
「じゃあさ、ここ、頭置いてみて」
私はぽんぽんと膝を叩く。
「い、いやですよ。恥ずかしい…」
「相談、乗ってくれるんじゃないの?」
「うぅ…」
ミナは渋々と言った感じで私の側に寝転んで膝に頭を乗せた。
いわゆる膝枕だ。
「重くないですか?」
「ううん、全然」
「そうですか」
ミナはそっぽを向いた。横顔を見下ろす感じになる。
色白なので恥ずかしがっているのがすぐに分かる。
ここに来る時には私のこと分かりやすい奴とか何とか言ってたけどミナも大概だ。
そこが可愛いんだけど。
ミナの頭を撫でる。
すべすべの銀糸はいつ触っても最高だ。幸せな気持ちになる。
「触り方がやらしいです」
失礼な。たださわさわしてただけだっての。
「——話してくださいよ。隠しちゃダメです、私には」
まぁそうだよね。ミナもこの間全部話してくれたんだし。
「私ね。5年くらいより前の記憶がないんだ」
「…え?」
「だから昔の事とか分かんないんだ。先生から聞いた話なんだけどね。私は大きな事故に遭って家族がみんな死んじゃって、私自身も大怪我をしてその時に記憶も無くなっちゃったみたい。先生が魔術を使ってなんとか治療してくれて、私の身元も弟子っていう名目で引き取ってくれて、それでこの街で暮らすようになったんだ」
ミナは目を丸くして聞いている。
ミナのこと、訳アリ訳アリって言ってたけど、実のところ私も訳アリなのだ。
まぁミナほどでは全然ないけど。
私は過去がわからない。分からないから、辛い記憶もない。
普通は、家族がいなくなって自分1人残された子供は悲しむだろう。
ミナがそうだ。
心に深い傷を負った。涙が枯れる経験をした。
私は幸か不幸か記憶がなかったおかげでその経験をしなかった。
私の知っている家族はその時にあった先生だけだったから。
でも事実として、私は何かを失ったのだろう。
「あの2人を見るとね、思うんだ。私にも2人みたいに長い時間一緒に過ごした人がいたのかなって。家族とか幼馴染とかみたいな。先生も2人も優しいし、一緒にいてすっごく楽しい。もちろん、ミナもそうだよ!時間なんか関係ないって、思う。でもさ、そういう沢山の思い出を共有してる深い関係っていうのがさ、なんか、羨ましくなっちゃって。こんなに良くして貰ってるのに、私、とんでも無いわがままだよね」
なんか勢い余って全部ぶちまけてしまった。
あんまり重い話したく無かったんだけどなぁ…。
「———どうして」
ミナが静かに何か噛み締めるような声色で言った。
さっきより頬が赤い気がする。
「ミナ?大丈夫」
私がミナの頬に触れようとした瞬間、私の手がガシッと掴まれたかと思うと。ぐるっと顔をこちらに向けた。
「どうして…早く言ってくれなかったんですか?」
ミナの紅い瞳には静かな怒りが感じられた。
2人を起こさないように声を抑えてはいるけれど、手は震えていて溢れる感情を抑えているのがわかる。
「早くって言っても、ミナとはまだ初めて会ってから1週間も経ってないし…。ミナはミナのことで気持ちの整理とか必要だと思ったし。何よりそんなに重要なことじゃないから…」
「重要じゃなくないです。私は、ウルカの全部が知りたいです。姉を名乗りたいならそういうの全部共有してくださいよ、家族じゃないんですか…」
ミナ…
「…ごめんなさい」
「そうです。それに、分かりました」
ミナは徐に起き上がると私の肩を両手でがっしり掴んで顔を向き合わせた。
とっても真剣な顔。
「ミナ?」
ちょ、そんな面と向かって見つめられると色々意識するんだけど。
うわ、肌きれい。そんでいい匂いする。
「ウルカ、深い関係が欲しいんですよね。じゃあ私とそうなりましょう。今からいっぱい思い出を作るんです。ウルカが忘れた分の時間を取り戻すんです。クラウディアやアンナも羨む深い関係になりましょう。そうすればウルカはもう寂しくありません。どうですか?」
ちょ、ちょっと待って!!
ミナァ!?
さらっととんでもないことに言ってるよね!?
深い関係って!?
や、やばい…色々勝手に妄想しちゃって目回りそう。
いやまぁ自分で言ったけど!
深い関係って何!?
「どうなんですか。なんか言ってください…」
えーーーっと、こんな時はぁ…
「…か、可愛い」
あ、間違えた。いや間違いではないけど…
「——ふ…」
…ふ?
「ふざけてるんですか!?!?私とっても真面目に言ったんですけど!この期に及んでなんでそんなこと言って揶揄うんですか!」
ミナは私の肩を掴んでぐわんぐわんやった。
「ちょっとミナーー!おちついてぇーー!」
吸血鬼の怪力でそんなことしたら首取れちゃうよぉおおお!!
「——もう、うるさいですわよ。静かに出来ませんの?」
「ちょ、クラウディア、た、助けて…」
クラウディアのお陰で解放された私は地面に倒れて伸びてしまった。草の絨毯がこそばゆい。
「——はぁ、はぁ。申し訳ありません。ウルカが、とんでもないヘタレで、頭に血が上っただけです」
へ、ヘタレ!?
「ミナって、結構感情豊かだったんですのね…」
「クラウディアー。あたしにもひざまくら」
「もう、しょうがないですわね」
やれやれ感を出しつつ満更でも無く、内心ウキウキだろうクラウディア。
そして、
「…」
まだ怒ってるミナ。
多分すごい睨まれてる。
地面に突っ伏してるから見えないけど、私には分かるんだ。
「——ごめんなさいでした」
「はぁ」
「——あと、ありがとうね、ミナ。私のために。冗談でも、嬉しかったよ」
「——冗談だと思ったんですか?」
「でも、自分の身体は大事にしてね。そういうのは本当に大事な人と…うぅ」
「あの、ウルカ?なんか話ズレてませんか?あといつまで突っ伏してるんですか?」
ミナがしゃがんで、私の頭に手を添えた。
真下を向いてた顔をミナの方に向ける。
しゃがんでいたミナのスカートの中が丁度見えた。
うむ、なるほど。確かに私の下着だ。
まぁ共有してるからな。
顔をまた地面に向けた。土の匂いがする。
「ウルカ?」
いや待てよ、そうだな。
「——パンツ共有するのって結構深い関係だよね…ヘブッ!」
やめて!転がさないで!
結局私は夕方まで、ミナの機嫌を治すために膝の上で散々撫で回されたり頬っぺたを突っつかれたり遊ばれてた。
帰る頃には機嫌が良さそうだったので、まぁ一件落着、かな?
§
カラスが鳴く茜色の世界。西日に向かって歩く。
先程までいた高原の方を見れば、空は私のローブと同じ藍色に染まっていた。
「クラウディア。今日は本当にありがとうございました」
「あら、そんな感謝されることしたかしら」
「今日、一緒に遊んでくれて。私とっても楽しかったです。同年代の人達とこうして時間を過ごすのはすごく久しぶりで」
「そんなこと。良いんですのよ。私もミナと一緒に遊べて楽しかったですわ。まぁ私に羊小屋の掃除をさせたというのは些かどうかと思いましたけれど」
「へー。でもクラウディア、あんときアンナに色々教えてもらってなーんか嬉しそうにしてたじゃん」
「ウルカ!?私そんな…見間違えじゃありませんの?」
「うふふふ…」
あ!ミナが、笑ってる!
「もう、ミナまで…。茶化さないでくださいまし」
「いえ、すみません。なんか、こういうの、いいなぁって思って」
「ふふ、まぁ、そうですわね」
和やかな会話のうちに、潮騒が聞こえてくると、いつの間にやらクラウディアの家の前まで来ていた。
「エーベルハルト様にもよろしく伝えておいてくださいね」
「わかりましたわ!じゃあ、また今度、ですわね!」
「はい、また今度!」
「またねー!」
クラウディアは去り際、私の横を通った時に少し屈んで、耳元で囁いた。
「なれると良いですわね。深い関係に」
ちょ!?やっぱ聞かれて、
「バイバイですわー!」
クラウディアは手を振りながら門を潜って去っていった。
「ん?ウルカ。なんか言われました?顔、赤いですけど」
…誰のせいだと…
「なんか言いました?」
「言ってない!もう、帰るよ!」
「なんでちょっと怒ってるんですか?」
家までの道をスクーターで走る。
もう殆ど陽が落ちて、あたりが暗くなってきたのでヘッドライトをつけた。
「ウルカ」
背中に抱きつくミナが声をかけてきた。
「どうしたの?」
「今日は、ありがとうございました」
「なに?あらたまって」
「いえ、なんか夢みたいな時間だったなぁ、なんて」
「夢じゃないよ」
「えっと、それはそうですけど」
「夢じゃない。だからこれからもっと、いくらでも幸せな時間がある。楽しい思い出、いっぱい作ろう、ミナ!」
「——はい!そうですよね。そうしましょう」
ミナの抱く力が強くなる。ちょっと痛いかなぁ。
「おーい。2人ともー」
声がしたかと思ってミラーを見ると、斜め後方からぼんやりと光が見えた。
先生が低空飛行で私たちと並走してた。
光はローブの首元に着いた小さいランタンが発していた。
「先生!今帰りですか?」
「うん。君たちも随分遅くまで遊んでいたみたいだね」
「クラウディアと羊姉妹とね」
「おお!友達ができてよかったね、ミナ」
「はい!みんなとってもいい人たちでした!」
「今日の話、ぜひ聞かせておくれ」
楽しかった今日は特別な日にしたくない。
今日がなんでもない日常の唯の1ページになるような、毎日が今日みたいな幸せに溢れた、私たちはそんな日常を送るんだ。
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