おてんば令嬢とひつじ姫Ⅱ

 小麦の海を割るように高原へと伸びる街道を歩く。

 それほど背丈の高くない青々とした小麦は風が吹くと本当の海のように波打つ。なんだかいい感じだ。

 雲ひとつない快晴は気持ちいいが、陽射しでローブの中が灼熱になるので脱いで腰に巻いた。

 半袖になると風を感じられて、一気に涼しくなった。

 まだ5月なのにこの暑さなら夏本番になったらどうなるのかと。


 ミナは吸血鬼なのでフードまで被って肌を隠している。見ているだけで暑い。全然平気そうな顔をしているのが不思議だ。


 クラウディアは最初っから半袖で髪もポニーテルに結っていた。

 春の陽射しは夏より鋭いなんて聞くけれど、日焼けとか全然気にして無さそうなのがクラウディアらしい。


「それにしても、ミナが吸血鬼だったなんて思いもしませんでしたわ。なんで早く言ってくださらなかったんですの?」

「——クラウディアは怖くないの?吸血鬼」

「全く怖くない、と言ったら嘘になりますわね。実際にそう教えられてきたというのもありますし」

「…」

「でもミナは怖くありませんわ。だって良い子ですもの。一眼見た時からそう思っていましたわ」

「いい子なんて」

「貴女がそう思わなくても、私たちはそう思っていますのよ。それで十分なんですの」

「クラウディア…」

 むーなんかちょっといい雰囲気になってる。

 むず痒い感じがする。

「——ちょっと、何私のミナを口説こうとしてんの?」

「あら、そう見えました?」

「…うん」

「ウフフ、ミナ?貴女結構愛されていますのね」

「ちょっと!クラウディア!あんたねぇ」

「ウルカ、心配しなくても私は何処へも行かないですからね」


 なんなんだよもーぅ…。揶揄われてるみたいじゃんかぁ。

 私の方がお姉ちゃんなのに…

「ほんと、ウルカって分かりやすい人ですわね」「はい、本当に」



 §



 そうこう駄弁っているうちに目的地のある高原に辿り着いた。

 右手には広大な小麦畑と海を見下ろし、左手には雪の積もった山々が聳える。

 放牧された羊がそこかしこで草を食んでは寝転んだりしている。

 のどかな風景だ。

 ミナは「とっても良ところですね」なんて穏やかな顔で言っていた。お気に召したようだ。


 道を進んでいくと小さな集落がある。

 その中の一つの前まで来ると、クラウディアが扉をどんどん叩いた。

 貴族らしからぬ蛮行である。

「アンナー!遊びにきましたわよー!開けて欲しいのですけどー!」

 ミナは若干引いていた。クラウディアとはこういう奴である。


 どんどんやっていると、扉が開いて中から白髪ボブカットでポンチョを被った女性が出てきた。

「またアンタね。うるさいっていっつも言ってるでしょ」

「あら、ユリアじゃないですの?アンナはいらっしゃるかしら?」

 悪びれる様子もない。

 ユリア・シェーファー。私たちの親友、アンナ・シェーファーのお姉さんだ。少し歳が離れている。

「アンナなら羊の面倒見てるわよ。一緒に昼寝でもしているんじゃないかしら」

「分かりましたわ!ありがとうユリア!」

「ちょっと!勝手に扉閉めようとすんな!やあウルカ、おはよう。いつもありがとうね、妹と遊んでくれて」

「いやいや、私たちが勝手に押しかけてるだけだからいいんだって」

「なんで私には感謝の言葉がないんですの?」

「知らないわよ。えっと、そこにいるのは、ミナちゃん、だっけ?噂の、エルマ先生の新しいお弟子さんの」

「はい。初めまして、ミナ・ア…えっと」

 ミナが私に目をやる。あぁなるほど。

「いいよ、ユリアなら」

 ユリアは少し不思議そうな顔をした。

「ミナ・アンデルセンと申します。よろしくお願いします」

「え、あぁ、宜しく」

「えっと、その角は…」

 ユリアは頭から生える一対の短くまっすぐな羊角を摩った。

「あぁ、これはね。まぁちょっと事情があるんだ」

「そうなんですね…実は、私も」

 ミナがまた私のほうに目をやった。

 わかってるよ。

「ユリア、ちょっと話したいことがあるんだけどいい?」

 ミナが私の手を握った。やっぱり緊張するみたい。

 ユリアには多分隠さないほうがいい。アンナのこともあるし、信頼できる大人だ。

「あぁ構わないよ」

「じゃあ私はアンナを探してきますわね!」

 クラウディアは察したらしい。もしくは単にアンナに会いたいだけか。

 ミナと私は家に引き入れてもらった。



「ふーん、なるほどねぇ。吸血鬼か」

「——はい」

 ユリアはアイスカフェオレの入ったグラスをテーブルに置いた。氷がカランと涼しげな音を立てた。


 私はミナの事情を話した。吸血鬼であること、吸血鬼狩りに追われていて偽名を使っていること、そして人に危害を加えることはないという事。

 ユリアは存外にも落ち着いて聞いていた。


「どうして、それを私に話したの?別に隠していてもわからないと思うのだけど」

「ユリアだったら受け入れてくれると思ったからだよ。それに、隠し事しながら遊ぶなんて、あんまり楽しくないでしょ?」

「そうかい。ありがとう話してくれて。私は…「アンナを連れてきましたわよー!!」

 どたどたと廊下を走るクラウディア。

 大事なとこで話ぶった斬ったなお嬢様。

 そんなお転婆娘に手を引いて連れてきたのが、

「——おはよーウルカ、ミナー」

 私よりちょっと高いくらいの背丈、ユリアと色違いのポンチョ、腰まで届くモコモコで羊のような白い癖毛、そして頭には大きな渦巻き状の羊角が一対生えている。平べったい巻貝を側頭に貼り付けたような感じ。

 フワフワと眠そうな雰囲気を纏うこの少女こそアンナ・シェーファーである。


 ミナはユリアにしたのと同じように自己紹介すると、アンナは「うん。よろしくー」といつもの間延びしたような返事をする。

「——おー。ミナ、あたしとおんなじ。人間じゃないんだねー」

 その場にいた全員がギョッとしてアンナの方を見た。

「え!私、そんなこと一言も伝えてませんわよ!?」

「うーん。なんとなくそんな気がするー」

 アンナは元々感が鋭いのは知ってたけど、そんな一瞬で分かるものなの!?

「あの、私、吸血鬼で!でも私、皆さんと仲良くしたいだけで!」

 急にそんなこと言われたもんだからミナがテンパってしまっている。

「うん。大丈夫。分かるから。これからよろしくねー」

 アンナはゆっくりとミナに歩み寄ると、

「はい、しんあいのぎゅー」

「ちょっとアンナ!?」

 いきなりミナにハグをかました。

 えーーーーーー!?距離感どうなってんの!?

「え、あっ!アンナ!?あの!これは!」

 ミナは顔真っ赤っかで言葉にならない声をあげている。

「もぉーーー!ミナばかりずるいですわ!!私にもハグしてくださいましっ!!!」

 なんかよく分からないことを言って暴走するお嬢様。


 結局私とユリアでなんとか3人を落ち着かせた。

 アンナ、おっとりしてるようで恐ろしいヒツジさんである。


「ミナちゃん、私から伝えたいことは一つだけだよ。何か困ったことがあったら頼って欲しいな。エルマ先生はすごい人だから私の出る幕なんてないかもしれないけど。それでも私はあなたの味方だから。それだけは覚えておいて。アンナを宜しく頼むわね」

 ユリアはミナの頭を撫でながら優しげに話した。

「ありがとうございます!ユリアさん!」

「ユリアってそんな優しい所があるのですね。意外ですわ、私のことは随分邪険にしてくださるのに」

「別に邪険にはしてないわよ。なんか気に食わないだけ」

「ほんとなんなんですの?」


 ゴーンと振り子時計が正午を知らせた。

「結構歩いたからお腹減りましたわ」

「図々しいわね、あんた。いいわ、簡単なのだったら作ってあげる」

「わ、私も手伝います!」

「おー気がきくねえミナちゃん。んじゃ、あんた達は洗濯物でも仕舞ってきてちょうだい」

「はーい」「わかりましたわ!」「おっけー」



 §



「どうだい?この定食屋は。なかなか良い味だろう。最近のお気に入りなのだが…」

「うん!悪くないね。味も好みだし、この庶民的な雰囲気よ。帝都にこんな穴場があったなんてね。やっぱ分かってるねえクラウスは。あ、すみませーん、ご飯おかわりで」

「長い付き合いだからね。ところで一つ聞きたいことがあるのだが」

「ん?なに、なんでも聞いて」

「エルマ。今度はいったい何を考えているんだい?」

「———知ってたの?」

「ああ」

「どうやって?」

「吸血鬼狩りの動向を監視していたのは君だけじゃないんだよ」

「そう」

「答えては、くれないのかい」

「どうせアンタなら目星ついてるんでしょ」

「長い付き合いだからね」

「はぁ。何か言いたい事でもあるの?」

「いいや。ただ、そうだね。相談くらいはして欲しかったかな。1人の友人として、さ」

「…今度からそうする」

「そうして欲しいね」

「——私は出来ることをするつもりだよ」

「君は、それでいいのかい?」

「私は良い、今はそれしか方法がない。でも…」

「彼女はどう思うのか、か。いずれにせよ、そろそろ伝える必要があると思うよ。どうせまだ隠しているのだろう?」

「うぐ…。まぁそうだけど。私は、選択を押し付けたくない。できるのなら自分で、選んで欲しい。それに……怖いんだ。ほんと、情けない話だよ」

「そうかい。でも少し安心したよ。いつものエルマで」

「なにそれ」

「一つ、願いを聞いてほしい。以前のように1人で抱え込まないでくれ。私たちを頼ってくれ。いつも私たちが君を頼るように」

「分かってるよ。同じ轍は踏まない。間違えそうになったら、止めてくれるのよね」

「ああ」

「頼んだよ」

「任された」

「ついでにここの会計も」

「元からそのつもりだよ」

「やっぱお前いい奴だな、クラウス」

「都合が、かい?」

「まぁ、どっちもだよ」

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