おてんば令嬢とひつじ姫Ⅰ

「ふぅ…」

 ミナが自分の胸に手を当て深呼吸する。

「もう、そんなに緊張しなくても良いのに」

「無茶言わないでくださいよ…。領主さまに会うんですよ、緊張くらいします」

 ミナがうちに来てから4日目の朝、私とミナは今、町の外れに佇むお屋敷を訪れている。

 ミナはこの町の新しい住人なので領主様への挨拶が必要なのだ。

 因みに領主は、この前会ったクラウディアのお父さんである。

 本来は先生も一緒に来る予定だったが、急用で帝都に召集されているので、私たちだけでやって来たという訳だ。

 因みにお揃いの藍色のローブを着ている。なんかテンション上がる。


 応接室に通されてから少しの間待たされている。

「先生が先に話通してくれてるみたいだから大丈夫だよ」

「そうは言っても私は吸血鬼で…」

「その話禁止。はい、あーん」

 出された茶菓子をミナの口に突っ込んだ。

「むがっ、な、なにしゅるんでしゅか!はしたないで「ミナ。食べながら話しちゃダメでしょ。はしたないよー」

 ミナは不服そうにモグモグと口を動かしながら私を睨んでいる。全く、可愛いやつだ。


 そうしていちゃついていると、突然ガチャリとドアが開いて、金色の髪にメガネの優しげな中年男性とクラシックなメイド服に身を包む女性が入ってきた。

 私とミナは即座に立ち上がりお辞儀をした。

「よく来たね、ウルカ君、ミナ君。楽にしていて良いよ」

 男性に促されて顔を上げ座り直す。

 2人はガラス張りのテーブルを挟んで対面に座った。


「改めまして、当代領主のエーベルハルト・フォン・ウェーバーだ。会えて嬉しいよ」

「こちらこそ、お会いできて光栄でございます。エーベルハルト様」

「こ、光栄です…」

 空気感がむずむずする。

「そんなに気を遣わなくて良いよ、ミナ君」

 貴族でありながら、新参者の平民にもこの真摯な対応。

 先生が信頼を置いているのも頷ける。


「君の話は娘から聞いているよ。なんでも、とても可愛いお姫様みたいだ、なんて言っていたよ」

「そそ、そんな!恐悦至極に存じます…」

「良いなぁミナ、私は?なんかそういうのないんですか?」

「ちょっと、ウルカ!」

「ええ、聞いていますよ、貴女の先生から。なんでもミナさんと一緒じゃないと眠れない、なんて毎晩駄々を捏ねているとか。本当、お可愛いですね」

 鳶色のサイドテールのメイドが、にやっと笑って言った。

「ちょ、なんでそんなこと!」

「クリスティーネ、大人気ないぞ」

「おっと失礼いたしました。お気に触りましたようでしたら申し訳ありません、ウ・ル・カ・さ・ん」

 くあーーームカつく!なんでよりにもよってコイツにあの事話したんだ先生!

 クリスティーネ・オットー。魔女でありながらクラウディアの教育係としてウェーバー家に仕えているとっても変わったやつだ。

 そして何故かいつも私に食ってかかってくる。マジで大人気ないぞお前!


「確認だが、ミナ君は、エルマ・グーテンベルクの弟子ということで間違いないかな?」

「はい、間違いありません」


 国から資格を与えられた魔女や魔術士には、皆二つ名が与えられる。

 例えば今言ったとおり先生は『鉄床の魔女』、クリスティーネは『水瓶の魔女』、エーベルハルト様は魔女ではないが『潮騒の魔術士』という二つ名を持っている。

 私もいずれは…


「ではこちらの誓約書を黙読し、同意されましたら署名をお願いします」

 クリスティーネが渡してきた誓約書には、堅苦しい文言で当たり障りのない条文が並べられている。

「出身地の欄は何も書かなくて大丈夫です」

「分かりました」

「一応聞くが出身は?」

「セイデン地方リアスハーゲンです」

「ふむ。それでアンデルセン、か。分かった、ありがとう」


 ミナは条文を読み終えたのか署名用の筆を握ったが、その手は一向に動かない。

「ミナ?」

「あの!わたし実は…」

「ヴァンパイア、なのだろう?エルマから聞いているよ。そして、吸血鬼狩りに追われている、ということもね」

 ミナはいっそう姿勢を伸ばして、先の言葉を待つ。

「案ずるな。君が吸血鬼だからと言って何かするということはない。それとも何か、私を殺して血を吸う気でもあるのか?」

「いえ!そんなことは断じて!!」

「ならば全く問題はない。しかし、そうだな。やはりアンデルセン姓を名乗るのは危険だろう。署名はグーテンベルク姓にしたほうが良いね。出身は戦争孤児の為不明ということにしてある。信頼できる者以外の前ではそういう体で話すと良い。そうでないと、私が書類の偽装に加担したことがバレてしまうからね、ハハ」

「承知しました。ご厚意感謝します!」


 署名したミナは誓約書を渡した。すごく綺麗な字だ。

「はい。必要な手続きは貴女の先生と私で既に終わらせておきました。これでミナさんは正式にヴァイツェンシュタットの住人になります」


「では改めて、我がヴァイツェンシュタットへようこそ、ミナ・グーテンベルク。我々は君を歓迎しよう」



 §



「はぁーなんか緊張したたぁー」

「領主さん、とっても親切な方でしたね」

「ね?言ったでしょ、大丈夫だって」

「ウルカは気を抜き過ぎです」

「はいはい。———で?要ってなにさ、メイド」

 ウェーバー卿だけ部屋を出ていってクリスティーネはなんか用事があるとか言って残っている。

「本当に礼儀がなっていませんね、貴女は。ミナさんに手取り足取り教えてもらったほうがいいんじゃないですか?」

 手取り足取り…ごくり。

「あら貴女、どうして赤くなっているのかしら。何か邪な事でも考えたのですか?とんだエロガキですね。ミナさんは心を寄せる人間を選んだ方がいいかと思います」

「よし!帰ろうミナ!ほっとこう、こんなん」

「いえ、失礼しました。お待ちください」

「失礼すぎんだよお前!だから用事ってなんなにさ。私にちょっかいかけるために残れって言ったんなら帰るぞ!」

「えっと、2人とも落ち着いて…」


 その時ドアがバァンと開いた。

「や、ウルカ、ミナ、ご機嫌よーう!」

 いつものベレー帽に動きやすそうな装いのクラウディアが飛び込んできた。

「お嬢様がお二人と遊びたいと仰られて」

「それを早く言ってよ…」

「ミナ!お疲れ様!2人とも今日の予定はもうないわよね?アンナのとこに行きましょうよ。ミナにも紹介したいですし!」

「良いねそれ、じゃ、いこう!」

「車を出しましょうか?」

「必要ないわ。歩いて行くから」

「えぇー。結構距離あるよ?」

「良いじゃありませんか。今日はこんなに天気がいいのだから、運動にもなるしちょうど良いですわ」

「では、皆さまお気をつけて」

「い、行ってきます…」


 こうして私たちはもう1人の親友の元を訪れることになった。



 §



「徒歩で行くのか。いやはや元気なことだね」

「全くです」

「色々、話したいこともあるのだろう」

「——本当に、良かったのですか?ミナさんとお嬢様を一緒に行動させても」

「…君は、ミナ君を、彼女をどう思う?」

「私は、彼女が悪意のある吸血鬼には見えません」

「それはエルマの熱弁を聞かされたからかい?」

「確かにそれもありますが、一番は…そうですね、直感と言いましょうか。なんとなく、彼女からそう言ったものが感じられないのです。ただ純粋に人として生活したい、そう考えているのだろうとさえ思いました。会うのは初めてのはずなのですが…」

「奇遇だね、実のところ私もそうなのだ。私は彼女がクラウディアの血を吸ったり、眷属にしたりすることはないと確信している。理由はよくわからないが、彼女に会った時、ふと思ったのだよ」

「不思議なものですね」

「ああ。———もしかすると、彼女は。——いや、なんでもない」

「?——それにしても、あの魔女があそこまで必死になっていたのは初めて見ました」

「そうかい?私は懐かしいなと思ったよ」

「いつの話です?」

「君はその時まだここには居なかった。今から5年前、エルマが初めてここにウルカ君を連れてきた時だ」

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