吸血鬼でも夜は眠るI
「ご馳走様でした、とっても美味しかったです」
「うんうん!良かったー。ごちそうさまー」
「洗い物は私がやるので、お二人は休んでいてください」
「おお助かるよ、ミナ」
「いえ、これくらいしかできないものですから」
夕食はクラムチャウダーだった。買ってきた食材から見当はついていたけど。
ミナにはかなり好評で、時折目を潤ませながら美味しい美味しいって言ってた。
先生も上機嫌だったし、和やかな団欒って感じで、先生と2人の時みたいに魔術の話題ばっかりの感じとはまた違った夕食の時間だった。
私とミナが風呂と調理の手伝いを入れ替わりで出来たからかなりスムーズだった。
おかげで今日は早めにまったりタイムに突入できた。コーヒーでも入れようかな。
涼しい夜風が網戸を抜けて部屋を満たす。微かに聞こえる波音と時折夜鳥の声が聞こえるだけの静かな夜。ぺらりと本のページをめくる音が妙に大きく感じる。
そんな時、
「——なあ、ミナ。無理にとは言わないが、差し支えないなら君の出自に関して教えてくれないか?」
先生が切り出した。
部屋に少し緊張が走った。
「———はい。問題ありません」
ミナが俯きじっと目を瞑った。
「ミナ。ほんとに、話しづらかった大丈夫だからね!」
「いえ、いつまでも隠しておくべき過去ではないですから。それにこんなに良くして貰ったのに、自分の事は何も話さないなんて恩知らず、私が嫌です。ただ…」
「ただ?」
「すみません、ウルカ。その、お願いがあって。手を握っていて貰えますか?」
え、なにそれ!ちょー可愛い!
「喜んで!!」
「盛るな。すけべ」
ソファのミナの隣に腰掛けてその手を握ってやると、ミナはゆっくりと話し始めた。
§
ミナのアンデルセン家は少々特殊な家柄だった。
元貴族、いわば没落貴族である。
帝国南東のミナの故郷は80年前まで帝国領ではなく、セイデン王国という国だった。それが帝国との第三次鋼絹戦争を経てスタール帝国に統合された。セイデンの貴族だったアンデルセン家は権威を剥奪された。
しかしアンデルセン家は代々優秀な医者の家系ということもあり、その地位は守られていた。
余談だが魔術がこれほど広く普及する前までは、魔術は貴族の力を誇示する重要な素養であった。貴族家系のミナが魔術に精通しているのはそれが理由だ。
ミナも将来は親の代をついで医者になろうとしていたのだそうだ。貴族としての教養と医学、さぞ大変だっただろうと感じるが、ミナにとって家族と過ごした幼少時代はかけがえの無い幸せな時間だったようだ。
しかし今から3年前。ミナが14歳の時の夜。
その幸せは突如として完全に消し去られた。
その時のことは記憶が曖昧で断片的にしか思い出せないらしい。
覚えているのは、悍ましい感覚。全身が灼かれるような痛み。身体の内側が何かに蝕まれ侵食されていくような、尋常ではない恐怖。
深夜に目を覚ましたミナを襲ったのはそんな感覚だった。
何とか寝床から這い出て、ミナは同じ部屋で寝ていた姉のベッドに這うようにして向かった。怖くて仕方なかったミナは姉に助けを求めた。
しかしながら、いくら呼びかけても姉は目を開けることはなかった。
ミナは勝手に姉の布団に潜り込んだ。中はじっとりと濡れていた。
姉に抱きついたが、いつものように安心出来なかった。
真っ暗なのにいやに目が冴えていた。
布団に顔を埋めた時、その目は捉えてしまった。姉の身体の至るところの皮膚が裂け、温かい血がコクコクと流れ出ている様を。
ミナは直感した。姉は最早生きていないのだと。
ミナは何が何だか分からなかった。ただ絶望と悲しみがあった。
ミナは姉の血濡れた亡骸を抱いて泣いた。
次第に冷たくなっていく姉の温もりを決して逃さぬように。
泣いていると次第に喉が渇いてきたことに気がついた。
水が飲みたい。でも姉から決して離れたく無かった。
喉の渇きは急激に強くなった。
そうしてミナは思い出した。
そうか、
お姉ちゃんから分けて貰えば良い、
と。
姉は優しかった。
姉と2人で散歩に出かけたとき、ミナが水筒を忘れることがあった。
そういう時は決まって姉がミナに自分のお茶を分けてくれたのだ。
優しい姉ならいつもみたいに、許してくれるはずだ。
ぼんやりとそう思った。
ミナは聞いた。
お姉ちゃん、私またお水忘れて来ちゃったみたい。
亡骸の姉はいつものように笑って答えた。
ミナはしょうがないなぁ。私のを飲んで良いよ。
ありがとう、お姉ちゃん。
ミナは喜んで、姉の首元に歯を突き立てた。
覚えているのはそれが最後だった。
目が覚めたらミナは見知らぬ部屋のベッドにいた。
そこは孤児院だった。
何が何だか分からなかったが、確かなことは、もうあの日常には戻れないということだった。
何故だか涙は出なかった。
孤児院の子供も先生も皆優しかった。
前の生活とはまるで違う質素な生活だったけど、楽しい日々だった。
ただなにか心にぽっかり空いたような穴が埋まることはなかった。
孤児院の大人はミナに、何か変に喉が渇くようなことがあったらすぐに教えてくれと言っていた。
今思えば大人達はミナが吸血鬼だということを知っていたのだろう。
しかし、ミナは怖かった。
自分が血を欲し、人に牙を突き立てるのはどうしても嫌だった。
だからミナは喉が渇くと隠れて、孤児院で飼っている鶏や野良猫に噛みついた。血は不味かったけれど、取り敢えず喉の渇きは治った。
しかしそんな孤児院での生活も長くは続かなかった。
孤児院で1ヶ月ほどが過ぎた頃、ミナには心を寄せる友達がいた。モニカという少女。彼女は相当ミナに懐いていて、いつも行動を共にしていた。
しかしミナがいつものように喉が渇いて、野良猫を捕まえて吸血しているところを、見られてしまった。よりにもよってモニカに。
その時の彼女の、なにか怖いものを見てしまった、という目が今でも忘れられないという。
弁解しようとモニカに歩み寄ろうとした時、心の中に湧いたある衝動。
彼女の血が欲しい。
自分はまた、大切な人にこの忌々しい牙を突き立てしまう。そう思った。
それに気づいた瞬間、ミナは一目散にその場から逃げた。
身体は異常に軽く、森の中を駆け抜けた。
孤児院を離れ、深い森の中で1人になった時、草木で皮膚が切り裂かれていたことに気がついた。
その傷がゆっくりと、しかし異常な速さで塞がっていくのを見た。
その時やっと理解した。
自分はとっくに、人間ではないバケモノに成り果てたのだと。
それからミナは1人流浪の旅を始めた。
森の中で動物を狩って暮らしたこともあった。吸血鬼の身体能力は狩りに好都合で、熊だろうと難なく仕留められた。
街に出て盗みを働いたりして生活したこともあった。吸血鬼とはいえ血以外にも人間と同じ食事を必要とするからだ。
ある時から吸血鬼狩りと名乗る魔術士に追われるようになった。好都合だった。
彼らを殺しては衣服や金銭を奪った。血を啜った。
吸血鬼狩りに拠点を知られては街や森を転々と渡り歩いた。
そうして昨日までの4年間、逃亡生活を続けてきた。
ミナは時折辛そうな顔をしながら淡々と話した。
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