新しい日Ⅲ

「そんじゃ、行ってらっしゃい。道草食うんじゃないよ」

「分かってるって。さ、行こう、ミナ!」

「はい!では行ってきます」


 店のドアを開けた瞬間、温かな春風が吹き込んだ。

 日も傾いてきた夕方、私とミナは先生にお使いを頼まれた。

 近場の街に夕食の具材を買いに行くだけの簡単なやつだ。今日一日座りっぱなしで勉強してたから、先生が気を利かせたのだろう。


 平然とミナを連れて行くことになっているが、本来吸血鬼は日光に弱い。

 陽の光を受けると肌が火傷のようになる。ミナの場合、真昼間は流石に肌を隠す必要があるみたいだが、西陽くらいなら暴露しても問題ないらしい。

 そこそこ高位の吸血鬼でないとこれ程の耐性を得ることは出来ないはずなのだが…。


 まぁそんな事はどうでも良い!

 麦わら帽子にワンピース、白銀の髪を靡かせるながら小麦の海を背景に立つミナは超絶絵になるのだ。写真機を持ち出さなかったことをもう既に後悔している。


 町は北に少し進んだところで、徒歩だとそこそこ時間がかかるので愛用のスクーターを使う。運転手の魔力でモーターを回すため燃料要らずで、小回りがきくので重宝している。本当は箒で空が飛べれば一番良いのだが、私はまだ制御出来ないので仕方なし。


 私たちの住むヴァイツェンシュタットはスタール帝国西端の辺境、いわば田舎街だ。海岸線と南北に連なる山岳地帯に挟まれた縦長の平野には小麦畑が広がっている。

 先生が帝都から越してきたのもこの穏やかな風土に惹かれたからなのだという。俗世を嫌う魔女らしいと言えば魔女らしい。


 まだ16時くらいだが陽射しは赤みを帯びて、山間に遠く見やる空は群青に染まりつつある。ツーリングにはちょうど良い時間だ。



 ミナを後ろに乗せて、海岸線に沿って伸びる街道を走る。そんなにスピードは出さないけど肌を撫でる風が気持ちいい。


「どう?ミナ。気持ちいいでしょ?」

「はい。とっても」

 背中に熱を感じる。

 お腹に手を回してぎゅうっと背中にしがみつく彼女に愛おしさを覚える。

 運転中って結構冷静になるから、存外にも距離近すぎ!とかいって茹で上がったりしないものだ。てゆうかそんなんなったら事故っちゃうよ。



 なんとも言えない幸福感のうちにスクーターを走らせれば10分くらいで町に着いた。そんなに大きくはないけれど、そこそこ活気のある港町。夕方なので市場はご婦人たちで賑わっていた。


 玉ねぎ、にんじん、ジャガイモ、アサリ。メモに書かれた食材でだいたい想像がつく。

 行きつけの店を周って食材を買ってゆく。

 お使いなんて偉いねぇ、なんて食材も幾つかおまけして貰った。子供扱いされているようだが、良くしてもらっているので悪い気は全くしない。


 ここまではいつもと同じなのだが、今日は私一人ではない。

 ミナは荷物持ちをしてくれていたが、名のある魔女の弟子だからか小さな町だからか、顔の知られてる私と知らない美少女が一緒にいるもんだから、いつにも増して話しかけられた。


 奥様方やら仕事帰りの旦那やらにしきりに足止めをくらっては、先生の拾ってきた新しい弟子だと何度も説明した。

 ミナはずいぶん緊張してしまって、買い物中ずっと私に引っ付いて、繋いだ手を離さなかった。

 当然のことながら、しきりに可愛い可愛いと褒められていたので、ミナは夕陽で誤魔化せないくらい分かりやすく照れちゃってて面白い。

 私も人のこと言えないくらい赤くなってたのは内緒だ。距離が近いんだよ…。

 ただそれでもしっかりとした受け答えができるあたり、ミナのコミュ力の高さが窺える。



 そんなこんなで、買い物を大方終えた私たちがスクーターに荷物を積んでいたとき、

「あら、ウルカじゃない!」

 聞き慣れた声に振り向けば、カーキのベレー帽に同色のケープを纏った少女が駆け寄ってきた。


「ご機嫌ようクラウディア。その格好…どうせまた抜け出してきたんでしょ」

「その通り!こんなに良い天気なんですもの。屋敷に缶詰なんて勿体無いわ」

 ハーフアップに結われた金色のロングヘアーを振り乱し、腰に手を当て得意げな彼女は私の友人だ。

「それに、そこの貴女。噂に聞いた大先生の新しいお弟子さんですわね?」

 ミナはいつの間にか私の隣でぺっこり頭を下げていた。

「——お初にお目にかかります、クラウディア様。ミナ・アん、失敬。ミナ・グーテンベルクと申します。ご認識の通り、先日エルマ・グーテンベルク先生に弟子として迎え入れていただいた次第でございます。以後宜しくお願い申し上げます」

 とんでもなく堅苦しい挨拶を披露するミナ。クラウディアもちょっと困惑している。

 因みにグーテンベルクを名乗らせているのは、この国では珍しいアンデルセン姓を大っぴらに名乗るのはミナの現状ちょっと危ないからだ。

「え?あぁ、こちらこそ。わたくしクラウディア・フォン・ウェーバーと申しますの。そんなに畏まらなくても良いですのに」

「そうだよミナ。クラウディアには気使わなくて大丈夫。一応、この辺りを治める貴族の令嬢だけど歳も近いし、普段通りでいいよ」

「えぇ…」

 そう。クラウディアはヴァイツェンシュタットを治めるウェーバー卿の御息女。

 ケープの下には貴族が見繕う上品なドレス。ミナはクラウディアを見た瞬間それに気づいてそんな態度を取ったのだろう。

「なんですの、一応って。でもまぁそうですわね。そうしてくださる方が、こちらとしても気負いせずに済みますわ。ウルカのようにクラウディアと呼んでくださる?」

「わ、分かりました。クラウディア…」

 なんかだんだん声ちっちゃくなってったな。

「うん!それで良いですわ!」

 それで良いらしい。



「おじょーさまー!!何処ですかー!!逃げても無駄ですよー!」

 突如そんな声が聞こえてきた。クラウディアはしょっちゅう自分の教育係と追いかけっこをしている。

「げ!どうしていつも見つかりますの!?では、ウルカ、ミナ、また今度ですわ!!」

 そう言ってお転婆令嬢はドレスを着ているとは思えないほど軽快な走りで去っていった。


「えっと、面白い方、ですね…」

「そうねー。クラウディアは貴族だけどあんな感じだから。てゆかミナ、よく気づいたね」

「ええはい。まぁ…雰囲気で」

 うーむ、ミナはミナでやっぱりなんかありそうだよなー。

 まぁいずれ分かることか。

「そっか。まぁじゃそろそろ帰ろっか」



 帰り道。

 色々話しかけられたりしたせいで、太陽は沈みかけている。空気もひんやりとしてきた。

 日没までには着くだろうが、先生にはまた油売ってたなんて疑われるだろう。


「ミナ、寒くない?」

「いえ、大丈夫です」

「そう」

 私はローブを羽織ってるから良いが、ワンピースのミナは少し寒いだろう。

 ミナは私に抱きつく力を少し強めた。

 やっぱり寒いのかな。

「——町の人たち、皆んな良い人そうでした。あの、クラウディアも」

「ん?まぁ、そうねぇ。なんだかんだ色々貰っちゃったし。クラウディアは貴族だけど、そんなの関係なしに皆んな接してる。ウェーバー卿も彼女ほどじゃないけどそんな感じ。珍しいっちゃ珍しいかもね。ヴァイツェンシュタットは田舎だからさ、自然にひと同士の繋がりみたいなのが強くなるのかもしれないね」

「なにか随分、忘れていた感覚なような気がします」

「そう」

 無理もないか。

 吸血鬼の社会とかよく分かんない。けどミナがここに来た時の経緯や様子から察するに、人の温もりとかとは無縁の、寧ろ真逆の生活を送っていたのかもしれない。


「まぁ時間ならたっぷりあるしさ。ゆっくりそういうのの中に身を置けるようにすれば良いよ。最初っから全部信頼するなんて無理だし、怖いでしょ?町のみんなもクラウディアも、エルマや私もね。だからゆっくりで良い」

「———なんでそんなに……」

「ごめん、風でよく聞こえなかった。最後なんて…」

「って、ウルカ!お店通り過ぎちゃいましたけど!」

「あっ、あちゃー。もーミナが運転手の気散らさせるから!」

「私のせいなんですか!?」


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