新しい日Ⅱ

「此方が注文の品です。ご確認を」

 先生が工房から縦長の木箱を持ち出してカウンターにドスンと置いた。

「では失礼して」

 対面のお客はうちの常連さんだ。シルクハットにスーツ姿の小綺麗な中年男性。アドラーさんと呼ばれている。グリップが鷲の頭に彫られた良さげな杖をいつも使っている。


 彼が木箱の蓋を開けると、中には梱包用の布に埋もれた黒い鉄パイプみたいな部品があった。表面にはびっしりと刻印が彫られている。

「これは…」

「おや、見るのは初めてかなウルカ君。うちの工作機械の制御中枢に組み込む部品だよ。これが無いと魔導機械は動かないからね。色んな工房産の物があるけどグーテンベルクさんのが一番精度が良くてね。愛用させてもらっているよ。まぁ、少々値は張るけどね」


「値切りなんて無駄ですよ。私1人で作っているのですから、手間賃考えれば妥当です。寧ろ安いくらいかと」

「ハハ、冗談ですよ」

 彼は慎ましく笑うとカバンから樫の小さな木箱を取り出すと中身を見せた。束になった紙幣が押し込まれている。トランプができそうだ。

 先生は束を数え終えるとローブのポケットに突っ込んだ。大金なのに扱い雑すぎるだろう。


「今日は午後からも予定があってね。お茶でもしたいところだが、お暇させていただくよ」

「はいはい、またのご利用お待ちしておりまーす」

 なんたる棒読み。

「全く、君は昔から変わらないね」

「昔話は結構ですよ。さっさとお暇しちゃってください」

「もし帝都に用があったら是非うちに寄って欲しいな。君とも話したいし、ウルカ君が来てくれるとうちの孫娘が大層喜ぶんだよ」

「はぁ、考えときます」

「それと、後ろの君もね」

 私の背中に隠れていたミナがびくりとして顔を覗かせた。

 彼はふっと笑い掛けた。

「あ、有り難く存じます…」

 ミナはガチガチだった。

「新しく弟子を取るなんて、らしく無いじゃないか、エルマ?」

「色々と事情があるのですよ。出来れば他言無用でお願いします。言いふらしたら次回は3倍価格に吊り上げますよ」

「ハハハ、それはたまったものではないですな。では、失礼致します」


 アドラーさんは上機嫌そうに外に停めていた車に乗り込んで去っていった。

「はぁ、年々接しづらくなるな、彼も」

「あの…さっきのお客さんは」

「先生の古くからの友達なんだよ。えっと50年でしたっけ?」

「んな訳あるか。30年くらいだ。全く、彼だけ歳をとってくもんだから妙な感じだよ」

「そう、ですか…」


 魔女は歳をとらない。そもそも寿命という概念がないのが魔女だから。

 周囲の人間が老いて死んでいくなか魔女は1人止まった時を生きるのだ。

 私は魔女になることを目指しているけれど、その感覚がどういったものなのか、知る由はない。



 §



「——ところでウルカよ、お前その本いつから読んでるんだったか」

 これはいけない。良くない流れだ。

「えーといつだったかな…。一昨日くらい?」

「私がそれ読んどけって言ったのは1週間だ!!お前進捗どうなってんだ!どうせ、『眠くて進まなーい』とかいってんでしょ!」

 まずいバレてる!

「挙げ句の果てに、吸血鬼のミナに勉強教えてくれだ?」

「げ!どうしてそれを…」

「ウルカお前、仮にでも魔女の弟子なんだぞ。ちゃんとやってくれよ…」

 うあー!耳が痛い、痛すぎる!正論という名の暴力はやめてくれ先生!

 先生はバっとミナに振り返ると、彼女の頭を撫でながら言った。

「ミナ、申し訳ないが、このバカに魔術を教えてやってくれないか。魔女が吸血鬼にこんな事を頼むのはどうかしているのは承知の上だが、こいつ1人じゃ出来ることも限られる。私も付きっきりにとはいかない。12月に魔術士資格の試験がある。もし落ちたらそれこそコイツが大恥かいてしまうのだ。それまでこいつの勉強見てやってくれ。頼む…」

 なんだろう、聞いてて虚しくなってきた。

 ミナは先生が急に低姿勢になったから、驚いて手をアワアワさせてる。

「も、もちろんです!もとよりそのつもりでしたし。でも私、今現在魔術が使えないのですけど…」

「あぁ、ありがとうミナ。魔術が使えなくなったことに関しては考えがある。準備が出来次第対策を打つよ。ウルカ…サボるんじゃないぞ」

「は、はいぃ…」

 先生、コワイ。



 §



「ウルカ、ここ、2段目のところ。間違えてます」

「お、おう、本当だ。ありがとうね」

「——もしかしなくても、あんまり集中できてないですよね」

「え!?いや、いやいやそんな事ないよ。ミナって結構ビシビシ言うタイプだよね。あはは…」

「さっきから顔も赤いですし、ほんとに大丈夫ですか?熱っぽいとかありますか?」

「ほ、ほんとに大丈夫だから!へーきへーき!」


 集中できてない。いやほんとにその通りです。

 でもミナ、私の気を散らしているのは他でもない君自身なんだぞ!分かってんのか!?

 大体距離が近すぎる。私たち今日の朝出会ったばっかりだけど?

 顔が近い!美人!可愛い!私を誘惑するんじゃない!

 熱っぽくないか?あったりめぇでしょ!もう心臓バクバクだし、頭ん中ホクホクだよ!

 あーもう、良い匂いするぅ…

「ウルカ、ほらまた間違えてますよ」

 サラサラの銀髪が首にサワサワしてくすぐったい。

 絶対わざとだろ!わざとだよなぁ?



 こうしてミナは私の情欲を刺激し続けた。

 拷問である。無慈悲な吸血鬼だ。

 勉強は…あんまり捗らなかった。


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