新しい日Ⅰ

「———ふわぁああああ…」


 1人なので人目を気にせず思いっきり欠伸ができる。

 眠い。

 春の陽気はやはり危険だ。

 薄暗い店内は涼しく、揺れるカーテンから時折吹き込むからりとした温い風。微かに匂う潮の香りが鼻をくすぐる。

 潮騒、小鳥の囀り、風で靡く草木の声、どれを取っても極上の子守唄だ。

 朝から色々気疲れしていたというのもあるが、一瞬でも気を抜けば気絶するだろう。ある意味で緊張感がある。


 先生は「人手不足だー」と言っていたが実際のところそんな事はなく、私1人でも暇を持て余している。この店に同時に2組以上客が来たことは私の憶えている限り無い。

 客が来ないので品出しもほぼ無い。

 偶にご近所さんがやって来て薬を買ったりするくらい。

 裏の仕事とオーダーメイド品で収入のほぼ全てなのだから、店開く必要なんて全く無さそうだが、先生は何かとこの魔道具店に拘っている。殆ど店に立つことは無いのに。


 店番をしながら持ち出してきた本で勉強する。やることと言ったら専らこれだ。

 とは言え今日は堅苦しく書かれた文言など全く頭に入って来ない。

 今読んでたのは『ネコでも分かる応用魔導回路演算』っていうやつ。思いっきりタイトル詐欺だ。普通の難解な単語だらけで一冊じゃまず読めない。じゃあなんだ、私の頭はネコちゃん以下だってか?因み著者はエルマ・グーテンベルクだ。………うん。

 うとうとしている間に風がページを随分と戻してしまって、どこ読んでたのか全くわからなくなった。もうダメだ。

 昨日読んでた所より明らかに前のページに栞を挟んで本を閉じ、カウンターに突っ伏した。



 いっそのこと一眠りこくかと、諦めかけたその時背後からガラガラっと引き戸の開く音が聞こえた。

 やばい!居眠りしてたのバレたら先生に怒られる!

「オッ、お疲れ様です!」

 急に声出したもんだから上擦って変な感じになった。

 なんとか誤魔化せたか…

「あ、ハイ、お疲れ様です…」

「あれ、先生じゃなくてミナか」

 そうだ、今日はうちにもう1人いたね。

 ほっと肩を撫で下ろした。

 昨夜は色々大変だったみたいだからベッドで安静にしておけって先生に言われていたようだけど、

「どうしたの?りんごでも剥こうか?」

「あぁいえ!そんなんじゃなくて…ちょっと、落ち着かなくて」

 あーそういう。そりゃ昨日まで常に命を狙われてるような生活してたんだから、ベッドで昼寝しとけって言われても難しいか。

 近くにあった丸椅子を自分のやつの隣に持ってきた。

 嬢ちゃん嬢ちゃん私の隣においで。

 座面をペシペシ叩くと伝わったようで、「失礼します」なんて言って腰を降ろした。無骨な木製のやつだから尻が痛くなるだろうけど、生憎これしかない、我慢してくれ。


 なんか一つ一つ所作が妙に綺麗でそこいらの町民の子供とは全く違う。多分良いとこの育ちなのだろうとぼんやり思う。

「——あの、何か付いてますか?」

 おっと舐め回すように見ていたら流石に気付かれた。

「あ、いやなんでもないよ。決して邪な気持ちなんて1ミリも…」

「——うふふ、面白いですね、ウルカは」

 はぁ、やっぱりなんかミナの近くにいると調子狂うなぁ…

「お店の番ですよね。私に何か手伝えることはありますか?」

「いいよ、今日は何にもしなくて。疲れたでしょう、昨日は」

「いえ、もう大丈夫ですよ。エルマさんにもウルカにも親切にして頂いたので」

「そう。あと、エルマさんは他人行儀すぎるから先生って言った方がいいよ」

「わかりました。ではそうさせていただきますね」

 うーんなんかこう、変な感じだなぁ。すごく距離を感じる。

「あと敬語、別に使わなくて良いから。私のこと呼び捨てにするのに、なんでそんなに硬口調で話すのよ」

「えっと、つい癖で…。えっと、じゃあ、気をつけます、ね」

 いや治って無くない?まぁ、良いか。


「別にやることはないけど、そうだなぁ。本でも読む?魔術の知識とかはある?」

「——以前は使う事も出来たんですけど、その、吸血鬼になってから使えなくなってしまって…」

 やば、地雷踏んだかもしれん。

「でも、本を読むのは好きですよ。ウルカが枕にしているその本も以前、読んだことがありますし。先生が、編纂なさったものですよね?」

 え?知ってるの?まさかミナ、私より魔術詳しい!?

 私は恐る恐る、栞を閉じたページを開いて、適当な一文を引用した。

「えっと、『魔導回路を用いた並列演算において、術式がお互いに他の術式の結果待ち状態になることを…』」

「デッドロック、ですよね?」

「せ、正解…。じゃ、じゃあ『TPU魔術処理装置で処理される術式を複数ステージに分けて、ずらしながら並列に実行し…』」

「パイプライン処理です」

「……」

 ミナ、この娘、出来る吸血鬼だっ!

「ミナ!!お願い!あたしに魔術を教えてください!」

 先輩として、魔術士見習いとしてのプライドを捨て去った瞬間である。

「えっ!ちょっとウルカ。頭上げて…」


 その時、

『カランコロン』

 ドアベルの乾いた音が来客を告げた。

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