赤眼の彼女Ⅲ

「——と、まぁこういう経緯なのだが…」

 マグカップのコーヒーを特に意味もなくスプーンでかき混ぜながら先生は話す。ブラックなんだからスプーン要らないでしょ。

「はぁ、相変わらず強引ですね」

「仕方ないだろう?だってミナちゃん全然大人しくしてくれなかったんだしー」

 態とらしい膨れっ面で、ミナに目をやる先生。

「………」

 バツが悪そうに黙るミナ。当然だ。まったく大人気ない。


 因みに朝食はホットサンドだった。簡単早い美味い3拍子揃った我が家の定番だ。ハムと薄切りのトマト、チーズを挟んでがっちゃんこすれば幸せになれる。

 ミナもそれはもう良い顔して頬張っていた。

 マジおすすめだ。



 §



 先生の話はこうだ。

 近頃先生は裏の仕事で『吸血鬼狩り』という組織について情報を集めていた。

 彼らの目的は名前まんまなのだが、一昔前ならともかく現在は法律で吸血鬼をいたずらに殺すことは禁じられている。奴らのやってる事はいわば密猟だ。

 ともかく、吸血鬼狩りの動向を探っていた先生は、ある吸血鬼の討伐作戦の話を耳にした。指名手配されているような吸血鬼ではなかったものの、何やら事情があるらしく、そこそこ大規模な作戦だったようだ。

 興味を持った先生はその討伐作戦を見に行くことにした。それが昨夜である。

 そしてターゲットの吸血鬼が、今私の隣でココアを啜っているミナだった。

 …なんか思ってたより随分訳ありみたいだ。


 ミナはとある廃墟を拠点にしていたらしく、深夜に吸血鬼狩りの武装した魔術士たちが一斉にその廃墟に押し入った。

 先生は外からその壮観を眺めていたらしい。いざとなったら吸血鬼に助太刀しようと思っていたみたいだが、突入から10分程度で物音がしなくなった。

 吸血鬼が逃げ出すか、捕縛されて出てくるかだと思ってた先生は妙だと思って、廃墟の中に入ってみた。


 するとどうだろう、中には無数の魔術士が横たわっていた。

 周囲は血の海と言ってもいい惨状だったが、奇妙なことにどの魔術士も急所を外されていて、皆息があった。

 そして廃墟の奥にただ1人立っていたのが、全身に血を浴び、その地獄を作り上げた吸血鬼、ミナ・アンデルセンだった。


 先生はそんなミナにいたく興味が湧いたようで、彼女を勧誘した。

 ウチで働かないか、と。三食寝床付きだぞ、と。

 バカみたいな話だが先生はこういう所がある。

 無論断られた先生は、ミナと戦って捩じ伏せ、袋に詰めて拉致してきたらしい。手荒が過ぎるだろう。



 §



 まさか、先生と彼女が数時間前まで殺し合いをしていたかと思うと震える。

 まぁともあれこうして3人で食卓を囲んでいる訳だ。

 ミナ。またややこしい事情が色々絡んでいそうというのは今の話で分かった。ただ今ここでそれを聞くのは野暮だろう。


 今一番大事なのは…

「ねぇミナ。ホットサンド、美味しかった?」

「…………はい。とっても」

「うむ。お口にあったのなら良かった」

「——こうして、温かい食事を人と囲めるのが、随分懐かしい気がして」

 ミナの瞳が潤んでいるのが分かった。

 やっぱり。

 ミナは多分強いのだろう。魔術士が束になっても勝てないくらい、強大な吸血鬼なんだ。

 だけどミナは、美しくも小さい可憐な彼女は、ずっと孤独だったのかもしれない。

「———うちの魔道具店は私とウルカの2人でやっているんだが、年中人手が足りなくてねぇ。あーあ、誰かちょうどよくウチで働いてくれる人、居ないかなぁ。人じゃ無くてもいいんだけどなぁ…」

「でも私…」

 ミナは憂うような目で俯いた。

 私の嫌いな目だ。ミナの美しい太陽のような紅玉がこんな風に陰るのは見ていられない。

「ミナ、いっとくけど私、結構強いんだよ。なんたってこの国最強の魔女の一番弟子なんだから!」

「——ウルカ…」

「だから大丈夫。もう一人で戦わなくていい。私があなたの居場所になるから。私たちがあなたを護るから。美味しい料理もいっぱい作ってあげる。だから一緒にいよう、ね?」


 ミナは顔をあげて、目を丸くして私を見つめた。赤い目は波打って、ポツンと大粒の雫がこぼれ落ちた。

「あ、あれ…私…泣いて…」

 ミナは不思議そうに目元を拭うが涙は止まることを知らず流れ出てきた。

 それはやがてポロポロと頬を伝い、大雨となってテーブルクロスを濡らした。

「うぁ…」とか「うー」とか嗚咽しながらミナは泣き続けた。


 それは彼女の心の乾ききった砂原に降る恵の雨だったのだろう。

 なんて詩的に考えてみた。

 私も泣いた。



 §



 ひとしきり泣いた後、ただ静かに見守っていた先生がミナに話しかけた。

「落ち着いたかい?では君はこれからどうするか聞かせてくれるかな」


 ミナは泣き腫らして赤くなった目元をしっかりと拭って、椅子から立ち上がると、真剣な眼差しで向き合った。

「エルマさん。ウルカさん。私は、ひとりぼっちはもう嫌です。この場所にいたいです。3人で食卓を囲みたいです。どうか、ここで働かせてください。お願いします!」


 そんなの、当然、

「こちらこそ、宜し「えーどうしよっかなぁー」

「———ふぇ?」

「よろしくって言われてもー、一回断られちゃってるしなぁー」

 ——先生、貴方という人は本当に!

「『どうしよっかなぁ』じゃないでしょうが!!!先生のバカ!!なんでこういっつもいっつも空気読まないで訳のわからないことばっかり!」

「ウソウソウソ!冗談だって!!だってなんかこんなしんみりしちゃってるのがむず痒くてさぁ」

「ほんっっっっっと、そういうとこなんですよ!せっかくミナが真剣に答えてくれたのに、茶化すみたいなこと言って!アホなんですか!?アホですよね!?」

「わー取り敢えず落ち着いてくれウルカー!!」


「———あ、あのー私は…」

「あぁごめんごめん、冗談だよ!!全然オッケー、むしろ大歓迎だよ!我が家にようこそ、ミナ・アンデルセン!」

「もう、最初っからそう言ってあげてくださいよ…。改めて、宜しくね!ミナ!」

「はい!!ありがとうございます!これから、よろしくお願いします!!」

 ミナはふんわりと幸せそうに笑った。

 それは正しく天使の微笑みだった。

 やっぱりミナには笑顔が似合うよ。



 ある春日の朝のこと。

 私に天使ヴァンパイアが舞い降りた。

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