赤眼の彼女Ⅱ

 吸血鬼。

 それは恐ろしいバケモノ。

 人間の血を糧に悠久の時を生き、身体を自在に変化させ、数多の異能の力を振るい、夜闇を統べる異形の怪物。

 古来より人間社会の裏で暗躍し、畏怖や憎悪、信仰の対象とされ、自然災害の権化とも呼ばれる脅威。

 ノーライフキング、ドラキュラ、ノスフェラトゥ、ヴァンパイア、様々な名前で呼ばれるそれは人類にとって、そして我々魔術士にとって打倒すべき対象なのだ。


(帝国魔術士協会『吸血鬼の生態的特徴と利用について(1950)』 序文参照)



 書物の中でしか見たことのない怪物。まさかそんな恐ろしい生き物が、こんな…こんな可愛いらしい少女だったとは…


「吸血鬼のことはウルカなら大体知っているだろうけど、この娘は未成熟の幼体。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」

「なんで怖がるんですか?この娘を。こんなに可愛いのに」

「——なら良かったよ」


 彼女は私の方に顔を向けると驚いたように目を見開いた。私と目が合う。なんて綺麗な瞳だろう。ルビーのように真っ赤に燃えるその両眼には驚きとともに不安や恐怖の色が見て取れる。

 私は何気なしに彼女の側によってその頭を手を添えた。彼女はまた目をぎゅっと瞑った。血で濡れたその銀糸に手を通して頭を撫でた。

 優しく、繊細に、割れ物を扱うが如く。儚い彼女を決して傷つけないように。

 最初に彼女はびくりと跳ねたが、撫でていると安心してきたのかゆっくりと目を開けて再び私に目を合わせた。

「怖くないよ、大丈夫。君、名前は?」

 彼女はゆっくりと口を開く。隙間から覗く犬歯がやはり人間ではないのだなと思わせる。彼女は何か言葉を発しようとしているが、何か掠れるような音ばかりで言葉になってない。

「私はウルカ・グーテンベルク。敵じゃない。ゆっくりでいいよ」

 彼女を撫でながら安心させるように囁く。胸が引き締まるような感じがする。


「———ミ、ナ。——ミナ、アンデルセン…」

 ミナはゆっくりと小さく、だけどしっかりと口にした。


「ミナ!先生!この子ミナ・アンデルセンって言うんだって!!」

「聞こえてるよ。ミナ・アンデルセン、少々手荒な手段を取ったことを許して欲しい。ウルカの言った通り私たちは味方だよ。まぁすぐに信用してくれとは言わないけど」

「——手荒なこと、したんですね。やっぱり」

「あー…ウルカ、それについてはあとでちゃんと説明するから。取り敢えず、ミナを風呂に入れてやってくれないか。こんな血塗れでこんな匂いのままではおちおち食事もできないからね」

 ミナは瞬間ギョッとしたかと思うと麻袋の中に目元まで潜ってしまった。

「ちょ、先生…いくらなんでもデリカシーなさ過ぎでは…」

「おっと、うそうそ。全然そんなことないから、むしろいい匂いだなぁ…なんて…」

「はぁ…そんなだから万年独り身なんですよ…」

「ウルカ!?今ぼそっと酷いこと言ったよね!?」

「言ってないです。ほらミナ、お風呂行きましょ」

 ミナの肩を掴んで袋からスルッと引っ張り出す。私は結構力持ちなのだ。

 ミナは顔を背けてしまっているが微かに頬が赤らんでいる気がした。ひどく傷んでボロボロのローブに身を包む彼女の体はほっそりとしていて折れてしまいそうだった。そしてやはり全身に血が付着していていた。

 1人で立てるかと問うとミナは頷き、立ち上がる。意外と背高くて私より10センチ以上はある気がする。

「おや、まるで姉と妹だねぇ」

「—うるさいです」

 余計なことしか言わない先生を横目にミナの骨ばった手を握って風呂場に連れて行った。

 私は妹じゃ無くて姉がいい。



 §



 ミナを風呂に入れるのはハッキリ言って途轍もなく疲れる作業だった。

 シャワーで身体と髪の毛を洗っただけだが、ミナの両手には黒い手枷の魔道具が付けられていて、腕に力が入らないらしく私がお世話するしかなかった。外してあげようと先生に言っても念の為だと突っぱねられた。


 別に身体を洗ってやるくらい造作もないはずなのだが…なんというか、その……言ってしまえば、ミナはエロかったのだ、それも凄まじく。

 彼女の色白で傷一つない華奢な肢体は同性の私でもドギマギされられてしまうほどで、目に毒にも程がある。胸無し童顔低身長な私が嫉妬するのは必然であった。湯浴みしている訳ではないのに頭に血が登ってのぼせそうだった、いや多分のぼせていた。

 自分と大差ない年の少女の裸体に発情していたとは、普段の私から侮蔑の視線を向けられているようで辛い。

 これが吸血鬼の魅了なのかと直感した。なんと恐ろしい生き物だ。


 まぁ頭が沸騰しかけていたのは事実だが、己が理性は存外にも強かったようで、無事に穏便に済ませることができた。よくやったぞ、ウルカ。

 理性が、というのも、彼女の出自に関してどうにも色々考えるものがあったからである。

 彼女の纏っていた衣服はどれもかなり使い込んでいたようで、赤黒い血が染み込んでいて酷い匂いだったし、雑巾にもならないレベルだった。おおよそ彼女のような麗人が着ていていいようなものじゃない。

 訳アリなのは一目瞭然だった。

 彼女はここに来るまでどうやって生活していたんだろう。その華奢な身に余る事情を抱えていることを考えると怖くなった。


 湯浴み最中にもミナは一言も発することはなかった。

 私が「どう?気持ちいい?」って話しかけると頷いていたが、やはり警戒心は抜けないようだった。


 そうしてミナの銀色の長髪をドライヤーで乾かしていると、

「おーい、朝ごはんできたよー!まだかーい!」

 先生の声が聞こえる。

「今あがったとこー」

 まぁ小春日和の今日なら自然にしてればすぐに乾くかな。

「オッケー。じゃあ着替えて朝ごはんにしよ」

 少し水気の残る滑らかな髪を名残惜しくも手放し、先生の私服(私のはサイズが合わないから)に着替えさせていると、ふとミナが私の方を見た。そして、柔く微笑むような表情で、

「——ありがとう、ございます——ウルカ…」

 そう言った。確かに。間違いなく。

「—え!?あ、はわ!そそ、そんな!あ、ありがとうなんて、そんな!私はただ先生に言われたことをやってるだけで、そんな、感謝されるようなことは、何も…。え、えへへぇ——」

 自分のことながらなんとまぁ単純なことか。

 予想外の一撃を貰ってつい気持ち悪くにやけてしまった、危ない危ない。

 てゆかほんと可愛いなぁもう!!なんなんだこの生き物は!好き!


「てぇー!お礼はいいから。早く着替えるよ、ミナ!」

 せっかく落ち着いてきていた胸の熱が再燃して暑い。汗が出る。

 ミナは私を見つめてまた何か面白いみたいに微笑んでいる。あーもう調子狂っちゃうなぁ…。

 でもまぁ、なんだ、心配してたけどミナ、ちゃんとそんな優しい顔できるんじゃん。

 よかった。


「あの、そんなに赤くなられると、私まで恥ずかしいんですけど…」

「もー!誰のせいだと!!」

 思わず彼女のふっくらした可愛いお胸を揉みしだいてやろうかと思ったが、すんでのところで思い止まった。

 代わりに着替えに置いておいた先生のワンピースをバサっと乱暴に被せてやった。

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