第8話 年下の部下は避け始める
もっと仕事の手を抜けと言ったのに全然抜かず、その上ほぼ残業もしないで試験件数だけを伸ばしていく彼女。仕事を振る俺も悪いけどさすがにやりすぎだ、と思いつつ忙しくて話す時間がないを理由に少し避けていたが、彼女も同じように俺を避けている気がしている。
一度倉庫で閉じ込められてからなんとなく距離ができた。気まずいとも違うなんとなくできた距離感。
それはきっと彼女だけでなく俺自身にできたのかもしれない。
ふいに見せられた弱さと甘えに上司として受け止められなかった気がしていたからだ。
あの日から数日後のことだ。
渡された試験結果は彼女の表情を固くしていた。試験値にどこか不安そうな、そんな表情だったから問いかけた。
「納得いかない?」
「いかないというか……いいのかなって」
渡された試験結果をもう一度見ながら答える。
「いいと思うよ。突っ込まれるかもしれないけど……(これくらいが妥当だろうな。N数もデータもとってばらつきがここまでなら十分対応できてるし)は、頭の中での独り言で。
彼女は黙った俺に余計に不安になったのか顔を上げて焦った声を出した。
「まだやります、やらせてください」
「え?」
「この結果で久世さんが頭を下げないとだめならまだやりたいです」
その言葉に息をのんだ。
「私じゃ責任取れないから……だから余計にちゃんとしたいんです。できることさせてください」
この瞬間、部下として最高の子だなと思った。
同時に言われたセリフが俺の心を強く打つ。
彼女自身が持つ仕事への責任感とプライドを真っ直ぐぶつけられて胸が震えた。
「突っ込まれるって言ったのは試験の理解度が低い人間が言うことで値どうこうへの文句を言われるわけじゃない。だいたい現場は自分たちの欲しい値が出ない限り文句言うよ。だからこれで十分、うちとしてはできる限りの事をして値を出せてる。だから追加の必要はない」
「……本当ですか?」
まだ不安そうに聞くから言い返す。
「簡単に頭なんか下げないし、俺」
そう言えばプッと吹き出した。
「わかりました……じゃあこれで報告書作ります」
そう笑った顔をとても可愛いと思ってしまった。
彼女は俺よりも若いし、顔だって可愛い部類だ。でもこの時俺が持った感情はその客観的な気持ちではなかった。
倉庫に閉じ込められたとき誤魔化した気持ちがよみがえる。
あの時も思った、言い聞かせたんだ、この子は部下だと。
(部下に思うことじゃない、上司として思うことじゃない)
今もそう言い聞かせる。
言い聞かせないと駄目だ、自覚したら、この気持ちを認めたら、俺はもう上司ではいられなくなる。
彼女が信頼してくれる上司になれない、そう思っていた。
そんな気持ちが少し距離を作っている原因なのは自覚している。
でもなぜ彼女も俺から距離を取るのか。近づいてこられても困るけど気にはなる。
そしてもう一つ、日に日に彼女の表情が暗くなっているのが気になって、余計に無視できなくなっていた。
「でさ、問題はこれ。この作業手順ってさ、菱田ちゃんが作ってるんだよね」
「は?なんで?」
高宮の話に我に返る。
「これは俺の推測。雛型が品管のやつだからうちの課長が前の課長に頼んでてそれを菱田ちゃんが作らされてるんじゃないかなぁって。その頃開発部、環境ISO取るのに躍起になっててめっちゃバタバタしてた時なんだよな、多分。作れる社員がいなかったのか……とにかく言いたいのはさ、これは品管の仕事で開発の仕事じゃないってことだよ。意味わかるだろ?」
「……契約違反ってこと?」
「今度監査が入る。社員の中に彼女の名前がないのにこの手順書を作った人間の名前があるのがちょっとまずい。そこ書き換えてくれる?」
「書き換えるって……作ったのは彼女だろ」
「んなことわかってるよ。てか、何?お前もわかっててそこごねるなよ」
「……」
「名前は残らなくてもやった実績は残る、それじゃダメなわけ?お前の名前で申請しなおすだけだよ。手順書はいじらない」
「……」
「久世ぇ、なにこだわってんの?」
「……わかった。申請しなおしてメールする。あとで確認して。それ一枚だけ?」
「それが何件かあるんだよねぇ。こき使われたんだなぁ、前の課長マジでなんも考えんと仕事させてたんだろ。かわいそうに」とりあえずよろしく、と高宮が出て行ってからため息がこぼれた。
やるせなかった。こんな気持ちになるのは久しぶりだった。
あんなに真摯に仕事に向き合ってる人間の努力を正当に評価してやれないことが悔しい。責任から逃げたくて適当に仕事してるやつなんか五万といるのに、なぜ。
捌いている試験件数、その精度の高さと正確さに今このグループで彼女を超える人間はいない。社員がしている雑務を任したところで彼女が件数を下げることもないだろう、きっと雑務も今より良いようにまとめるかもしれない。
キャパの問題だ、仕事は立場や縛りでするんじゃない、人がする。
誰がどんな風に仕事をこなすか、それで仕事はいろんな形に変わるんだ。
俺はそれをわかっているのに、彼女のやってきた仕事をなかったことにしなければならない。
(守ってやれない)
今の俺には彼女を守れる力も術もない。だから余計に彼女に向き合えなくなっていた。
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